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Bible & Gospel

■ No.424 2008年05月11日「人間の修復士イエスキリスト」

お早うございます、高原剛一郎です

 最近、携帯電話のサイトでもんじろうというのが若者たちの間に、大人気なんだそうです。これは標準語の文章を各地の方言に変換してくれるサイトなんですね。大阪弁でも、沖縄弁でも、東北弁でも、どれでも好きな方言に言い直してくれるんですが、一番人気のことばは、武士語なんです。つまり、侍のことばに言い換えるコーナーにアクセスが殺到しているというんですね。
 このサイトで「不適切だった」を変換すると、「切腹致す」になります。あるいは「満座の席でお笑い下され」になるんですね。いやずしっと来ます。武士の言葉はおしゃれではありませんが、骨太です。ことばの一つ一つに覚悟を感じます。思えば最近の日本語って軽いですね。何々って感じとか、何何かもとか、微妙とか、とにかく曖昧で軟弱なんです。しかし、武士のことばは語気が強く、迫力があります。その理由の一つは、言ったことばに命をかけたからです。これを武士に二言はないっていうんですね。そしてそれ以上に、いのちのかかったことばが聖書のことばなんです。

神に二言はありません

 聖書が裁きについて語るとき、そこに曖昧さはありません。「人間には死後裁きがある」と断言するなら本当にあるということです。しかし、聖書が救いを語る時そこにも曖昧さはありません。キリストによる救いは、いかなる罪人をも救うことが出来るんです。神にこそ、二言はありません。聖書の神様は、言ったことを必ず果たす神なんですね。
 ところで、この方は人間が作った宗教の神々ではないんです。人間をお造りになった作者なる神なんです。  私は先月大阪の近鉄百貨店に、「山下清展」という絵画展を見に行きました。裸の大将、日本のゴッホ、放浪の天才画家、いろんな異名を持つ方ですが、実物の作品を見るとほんとに迫力がありました。中でも長岡の花火大会という作品は、見事でした。漆黒の闇夜にでっかい打ち上げ花火が広がっている。それを下から何百何千の人が口をあんぐり明けながら見入っている様子を描いたものですが、近づいて見るともっとびっくりすることがあるんですね。何とこの作品は絵の具で書かれたのではなく、ちぎり絵描かれているんです。貼り絵といっていいと思います。色紙を5ミリくらいにチギッて、それをのりで貼付けて行くという画法なんですね。約3万の色紙の断片が貼付けられて、一枚の絵になっているんです。山下さんは、気の遠くなるような紙のかけらの貼付け作業を黙々とこなして、見事な絵に仕上げてきたんですね。

偶然の産物とは言えない人間

 ところで、これらの色紙の断片は、偶然に寄せ集まって自然に立派な絵になったと考える人はないと思います。緻密な絵を見れば、作者の労苦とイメージに感服するのが普通の反応です。ところで、人間の身体もおびただしい物質素材のかけらで出来ているということをご存知ですか。
 人間の身体には60兆の細胞があります。そしてこの細胞一つ一つが、何十兆という原子の粒で出来ているんです。原子レベルで見るなら、人体は、数えきれない原子が組み合わされて出来上がっているんですね。もし、3万の色紙断片で出来た絵ですら、偶然と言えないとするなら、まして何千億兆の原子で出来た人間は、なおさら偶然の産物とは言えないのではありませんか。
 作者が配列したので出来上がった芸術作品と考えるほうが、合理的ではないでしょうか。
 あなたをお造りになった神様は、おられるのです。神とは万物の創造主、あなたの存在のルーツ、あなたの作者であられる方なんですね。

修復士によって生き返った作品

 さて、この絵画展でもう一つ私の興味を引いたコーナーがありました。それは、絵画修復士によって生き返った作品コーナーなんです。実は絵画は完成するやいなや、劣化がはじまるんです。保管場所の湿度や、直射日光を浴びることで、色は褪せ、くすんでくるんですね。このやつれた作品を完成当初の姿に復元するプロフェッショナルのことを絵画修復士っていうんですね。
 山下氏の作品の場合、画材が色紙とのりで出来ていました。ですからその劣化は一段とひどいものでした。決して上質の材料とは言えないものを使っていたからです。これを元の姿に戻す前と、戻した後の両方を比較出来るように写真が掲げてあったんですが、いや見事です。回復するっていいなあって、よみがえるっていいなあって心から思いました。
 さて、聖書の中に次のようなことばがあります。
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」
 この箇所を見るとキリストは、神の作品の修復士であるということが分かります。人は神様に造られていながら、神から離れ、その存在を否定し、あるいは忘れ去り、自分中心の考えで生きるものとなりました。神様といういのちのルーツから切れることによって、すっかり命の輝きを失ってしまったんです。ほこりとよごれと劣悪な環境の影響をもろに受け、健全な自尊心を失い、時間とともに疲れ果て、やつれはて朽ちていく運命にあります。しかも作品は、自分の力で自分をもとの姿にもどすことは出来ないように、人間も自分の力で罪を除き去り、いのちに輝くこと葉できないのです。しかし、キリストはあなたという神の芸術作品を心から惜しまれました。そして、あなたを新しくして下さる方なんです。

古いものを過ぎ去らせること

 それについては、二段階あります。まず、古いものを過ぎ去らせることです。傷つけられた過去、傷付け的孝子、罪と反逆の一切はカミサmあの前に廃棄処分されます。いったいどのようにしてでしょうか。
 キリストが十字架にかかって、あなたの代わりに裁かれて下さることによってです。キリストによって過去は終わりです。その影響圏から逃れることが出来るんです。神様の目に罪人のあなたは見えなくなってしまうっていうのですね。

すべてが新しくなるという段階

 次にすべてが新しくなるという段階です。今まではあなたはこの地上のどこかの家の誰かの子です。しかし、キリストを信じるときから、あなたは神の子とされる特権に入るのだっていうんですね。今まではあなたは、この世のどこかの国の、どこかの国民です。ひょっとしたら在日外国人の立場でつらい目に会ってきたかも分かりません。しかし、キリストを受け入れたときから、天国があなたの国籍となるのです。今まではあなたは、自分の過去の延長線上に生き、過去の何かに縛られ、コントロールされてきました。しかし、だれでもキリストの内にあるなら、過去はあなたに対して力を失うのです。過去ではなく、未来があなたの今に影響を与えて行くんですね。
 十字架にかかり墓に葬られ、三日目に復活したキリストは、やがて天からキリストの救いにあずかったものたちを迎えにまた来られます。そのとき一人一人のクリスチャンは、単に立場が神の子となっただけではなく、自分の性格や肉体のすべてまでもが、キリストのようになると確約されているのです。これは、神の約束です。そして神に二言はありません。どうぞあなたの人生の人生の修復士イエス・キリストを心に受け入れ、新しい人生の中にお入り下さい。心からおすすめしたいと思います。




新約聖書 第2コリント5:17
 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。