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Bible & Gospel

■ No.426 2008年05月25日「いつまでも残る神の賜物」

お早うございます、高原剛一郎です

 朝、近くの公園に行きますと、ずいぶん沢山の鳥が集まっているのに気がつきました。しかしよく見ると、みんな仲間ごとにグループを作るんですね。カラスはカラス、鳩は鳩、スズメはスズメ同士で集まっています。類は類を呼び、友は友を呼ぶというのは自然界の原則ですね。
 そしてこれは、人間についても言えることです。スポーツマンには、スポーツマンの友達が寄ってきます。音楽好きには、音楽マニアが寄って来るし、バイク野郎には、バイク野郎が近づいてくるんですね。それを見ながら思いました、良き友にめぐり合いたいと思うならどうすれば良いでしょう。自分が友情に篤い人になることです。誠実な人にめぐり合いたいと思ったらどうすればよいでしょう。自分が誠実な人に成長することですね。自分が到達したところに従って、よく似た人がやってくるからです。出来ることなら揺るがない、頼もしい、高貴なる人格者に変えられていきたいですね。そういう人が寄ってくるからです。では一体、どうすればいいんでしょうか。

 いつまでも残るもの

 聖書はこう言っています「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番優れているのは愛です。」
 聖書の神様は、天地創造の造り主です。この方をひとことで言うならば、気前の良い神様なんですね。惜しみなく、人間に恵みを施してくださる神様です。私たちはこの神から沢山のものを与えていただいています。しかし、神様の下さるプレゼントの中で、いつまでも残る賜物は三つなんですね。それは信仰と希望と愛です。そして、これこそが人が揺るがない人生に、生きていく為の力になるって言うんですね。これを今日説明したいと思うんですね。

 第一に信仰

 第一に信仰とはすべてのことを最善に導く全能なる神への信仰です。
 私は二年前に本を出版しました。「生きる勇気と聖書の力」というタイトルです。作者として一番うれしいのは読んでいただくっていうことなんですね。では著者としてがっかりするってどういう時でしょうか。古本屋で自分の本を見つけた時なんですね。というのは、読んで見てなんだこんなのいらないと思って古本屋さんに持っていくと予想されるからです。ところが、たまに古本屋で見つけてしまうんですね。

 揺るがない人生の秘訣

 先日、一人の男性が私のいる集会に来られました。集会に行ってみようと決心したきっかけは、古本屋さんで、私の本を手に取り、復活のキリストに、事実性、史実性を感じ取ったからだというんですね。私はそれを間接的に伺い、本当に励まされました。神様はいつも最善をなさる方だということを思い出したからです。私たちは自分の思い通りにならないとき、いらいらしたり、失望したりします。しかし、自分にとって不可解なことも、また不愉快なことも、今の自分の思惑を遙かに超えた良いことを、神が実現していかれるのだと信じることが出来るなら、人生は愉快ではありませんか。自分の願いがなったら感謝、成らないときにはより偉大な素晴らしいことを神様が成し遂げて行かれる。そんな偉大な神が、この世界を、私の人生を支配しておられると、信頼することが揺るがない人生の秘訣ですね。

 第二に希望

 第二に希望です。以前、東北地方で伝道しているあるクリスチャンの家にホームステイしました。「冬になると寒くなってたいへんですね。北の冬はつらいですよね。」と訊ねますとこう言われたんですね。「でもこっちは三寒四温だからね。」三寒四温というのは、三日寒い日が続くと、四日暖かい日が続くという、東北地方の気象サイクルのことなんですね。「今日は寒いなあ。でももうすぐ暖かい日がやってくる。三日間寒くても次の四日間は暖かくなる。冬ではあるけれど、一週間の半分以上は暖かいなと思える日が毎週やってくるんだ。つらい日はずっと続くのではなく、次に暖かい日がくると思うとこらえることが出来る」って言うんですね。
 希望は人に力を与えます。ところが、漢字で希望と書くと、否定的なニュアンスが表れているんですね。希望の希とはうすいという意味であるからです。直訳すれば、望みはうすいと書いて希望なんですね。この発想は日本だけではありません。ギリシャ人もまた希望というものに、否定的なイメージを持っていました。

 パンドラの箱

 パンドラの箱というギリシャ神話の中にその考えが表されています。人間を不幸にするものがいっぱい詰まったパンドラの箱を、人は開けてしまうんですね。そうしましたら中から悲惨や病気や別れや愚痴や戦争やもうありとあらゆる不幸が「わー」と飛び出すんです。急いでフタを閉じると最後に一つ残ってたのが、希望だったのです。ギリシャ人にとって希望とは、人間を不幸にするものなんですね。どうしてそんな風に思ったんでしょう。偽の希望で人生を誤る人が、あまりにも多いということをギリシャ人は知っていたからです。今まで散々な目に遭っているのに、ギャンブルに財産をつぎ込んでしまうのはなぜでしょう。今度こそ大当たりが出るに違いないと、希望を持つからです。今まで異性からひどい目にあっているのに、自分を簡単に相手に任せることを繰り返す人がいるのはなぜでしょう。今度の人こそ、私にとっての青い鳥に違いないと、希望を持つからです。今度こそ、今度こそ、と言っている内に、人生の持ち時間がみるみる内になくなってしまうんですね。偽の希望は、人間から人生を奪い去っていくのです。

 本当希望ってなんでしょう

 では、本当の希望ってなんなのでしょうか。それは、どんなものによっても破壊されない希望です。ところで、ほとんどすべての希望は、死によって打ち砕かれてしまいますね。たとえ希望が希望通りに叶ったとしても、死が来るとせっかく手に入れたものを放して行かなければならないからです。真の希望とは、希望を打ち砕く死そのものを滅ぼすものです。死に対する解決があるということこそ、本当の希望なんですね。神様はこの死を滅ぼしたお方なのです。キリストの復活によって、「死は一時的現象になり下がってしまった」と聖書は宣言するんですね。

 第三に愛

 第三に愛です。神の愛こそがあなたを奮い立たせる力です。なぜなら神の愛は、いつまでも残る愛だからです。この世界で愛される人ってどんな人でしょうか。ほれぼれするような魅力や才能や、姿形を持っている人だと思うんですね。そんな人は幸せだなあって、ないものねだりで思ってしまいますけれども、しかし、ほれぼれする才能のゆえに愛されている人は、ほれぼれされることが出来なくなる時を密かに恐れています。その時、愛が終わることを知っているからです。しかし、神様の愛は、ほれぼれするようなことを出来る人にだけではなく、いや、罪だらけで妬み深く、ひねくれた根性の曲がった人間を変わらない愛で愛する、そんな愛なんです。

 神様の愛を信じるとは

 どのようにして神様の愛を信じるんでしょう。十字架にかかったイエス・キリストを通して信じるんです。キリストはあなたの罪の赦しのために、罪がないのに十字架にかかり、身代わりに刑罰を受けて下さった方であるからです。キリストこそ神の愛の完全な証し、キリストの復活こそ神の希望の完全な証拠、キリストの生涯こそは、ことごとく約束を守り抜いた記録であり、信頼に値する方であるという根拠なんですね。どうぞあなたも、イエス・キリストを、キリストの内にある信仰、希望、愛を受け取って下さい。心からお勧めしたいと思います。



新約聖書 第1コリント13:13
 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。