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Bible & Gospel

No.439 2008年08月24日「ひとり子を与えるほど世を愛された神」

お早うございます、高原剛一郎です

 最近理由もなく無差別に見知らぬ人に危害を加えたり、暴力を振るったりする事件が続出しています。顔見知りでもない、無関係の人に襲いかかる心理を、専門家はあれこれ説明します。どの説明が正しいのか、私には分かりませんが、一つだけ言えることは、人は満足していないと問題を起こすと言うことです。世の中を騒がせる人たちの特徴は、満足のいく人間関係を持っていないと言うことです。従って、心に平安がないと言うことです。そして、自分を肯定する基礎が欠けていると言うことです。

愛というエネルギーが必要な人間

 私は最近、ハイブリッドカーの新車に乗せてもらいました。この車ではガソリンがゼロに近づくと、ガス欠注意を促すアナウンスをしてくれるんですね。それでも無視して乗り続けると、大きめのボリュームでガソリンを入れるように呼びかけてくれるんです。それをも無視すると、いよいよ大きい音で注意警報を出してくれるんですね。タンクにガソリンというエネルギーがなくなるにつれて、大騒ぎしてくれるんです。私はこれが今の人間の問題行動を解くカギに思えてなりませんでした。なぜ人は大騒ぎを起こすんでしょう。心の中のラブタンクが底をつきそうになっているからではありませんか。本来、愛というエネルギーで満タンに満たされているべき心に、愛がほとんど残っておらず、カラカラに渇いているからではないでしょうか。人間が健康に生きていくためには、衣・食・住が必要です。しかし、それだけでは足りません。愛が必要なのです。

世を愛された神

 さて、聖書の中にこう書いてあります。 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

 ここに「神は世を愛した」と書いてあります。世とは何でしょう。神様を否定する世界のことなんです。神にとって役に立たなくなった世界のことです。神を憎み神に反逆する世界と人間のことを、「世」って言うんですね。しかし、神様はそんな世を愛して下さったって言うんです。人間の愛ってどんな愛でしょう。自分にとって役に立つものを愛する愛ですね。自分にとって利益がある間は、大事にします。でも自分にとって重荷になったり、マイナスの存在になったり、何の役にも立たなくなったら、捨ててしまうような愛なんです。心変わりしてしまうんです。私も含めて多くの人は、いや自分だって愛を持っていると思っています。「現に私は特定の人を愛している」って言うんですね。しかし、なぜその人を愛しているんでしょうか。「可愛いから、賢いから、素直だから」と色んな理由が出てくるんですね。もし、「もっと可愛い人」や、「賢いと思えた人が愚かだと分かったとき」には、その愛はすたれていってしまうんではないでしょうか。実は相手そのものを愛しているのではなく、相手の価値を使って自分を愛しているのにすぎないのです。
 しかし、神様の愛は、神にとって何の役にも立たなくなってしまったものを愛する愛なんです。自分を憎むものを愛する愛なんですね。自分を否定し攻撃を加えてくる者をも愛する愛なんです。あなたは神に愛されています。例えあなたが神にとって役に立つ人であっても、役に立っていなくても、そんなこととは無関係に、神はあなたを愛して下さっています。神様は、あなたがクリスチャンだから愛するのではありません。クリスチャンであるなしに関係なく、又あなたの人生の出来不出来にも全く関係なく、あなたの存在をいつくしんでおられるのです。どうしてそんなことが言えるんでしょう。神は世を愛したと書いてあるからです。そして、あなたを愛するあまり、神はご自分のひとり子をこの世に遣わし、お捨てになったのです。なぜ神様はひとり子イエス・キリストを遣わされたのでしょうか。三つの理由がありますね。

 神がキリストを遣わされた三つの理由

 第一に、父のひとり子だけが父の素顔を誰よりも性格に紹介することが出来るからです。
 数年前ソウルミュージックの天才レイ・チャールズが亡くなりました。彼には伝記がたくさんあって、その人生は作品と共に多くの人に知られていました。そして、映画にもなり、大ヒットとなりました。しかし、そういうレイ・チャールズも素晴らしいんですが、私には彼の息子さんによる父親としてのレイ・チャールズを紹介した言葉がとても印象的でした。公人としてのレイ・チャールズだけではなく、私人レイ・チャールズの素顔を紹介できたのは、息子だからです。
 キリストは神のひとり子として神の本心、神の素顔、神の裸の心を知り尽くしておられました。それは人を愛して止まない天の父としての心です。キリストによって解き明かされた神は、罪人の帰りを首を長くして待つ、父親の姿です。神はキリストによってご自分の本心を人間に知らせることがお出来になったのです。

 重い罪を身代わりに背負える方

 第二に、人類の罪を背負うことに耐え切れる方は、神のひとり子以外にいなかったからです。全人類の罪は何と重いものでしょう。その合計した罪の重荷は、誰もはかり知ることは出来ません。その重い重い罪を身代わりに背負える方は神以外にはありません。同時にこの方は人でなければならなかったのです。なぜなら、罪を犯したのは人間であるので、身代わりも又人間でなければならなかったからです。この神にして人、人となった神であるイエス・キリスト以外に罪の購いを成し遂げることが出来る方はいなかったのです。

 親心を突き動かすひとり子の願い

 第三に、神の心を誰よりも動かすことが出来る方は、ひとり子の神だからです。
 私は高校時代のある冬休み、果物屋さんでアルバイトをしていました。店も閉めて今日一日の労働から解放されようとしていたその時、一人の若いお母さんがシャッターをたたくんです。そして、「スイカがあったら分けて欲しい」とおっしゃったのです。スイカは夏の果物です。今は冬ですから、ありませんと断りました。するとどこかに売っているところを紹介して欲しいと食い下がるんです。そして、そうまでしてスイカを求める理由を話し始めたのでした。実は彼女の幼い子供が血液の病気で、長い間入退院を繰り返しているのです。今度も又入院が決まってガッカリしている。「何かして欲しいことはないか」と息子に聞くと、苦しそうな息をしながら「お母さん、スイカが食べたい」と言ったというんです。熱が上がってきて暑かったからでしょう。しかし、季節は真冬なんです。でも命の灯が尽き果てそうな中で、そのような苦しみの中で告げられた願いは、たといどんなに難しい願い事であったとしても、又ナンセンスな願い事であったとしても、何とか叶えてやりたいと思うのが親心です。

彼らを赦して下さいという祈り

 ひとり子の力を尽くした願いには、親心を突き動かす力があるのです。キリストは十字架の上で、死刑にされながら、皆の物から笑いの種になりながら、裸にされながら、神に祈って下さいました。「父よ」そのとき神様は身を乗り出されたに違いありません。そして、キリストの口から次に出てくる言葉がどんなことであったとしても、それを叶えてあげたいと思われたに違いないのです。その言葉は「彼らを赦して下さい。彼らは自分で何をしているのか分からずにいるのです。」という言葉でした。自分を十字架に釘付けにする者、そして自分が代わりに責任を問われることになる原因となった一人一人を、「どうぞ赦して下さい」と祈られたのです。この祈りはひとり子の祈りでした。従って父の心を揺り動かし、砕いたのです。あなたのために死んだ方の祈り、いや今よみがえって、生きている方の祈りなのです。どうぞこのキリストを信じ受け入れて下さい。心からお勧めしたいと思います。



グローイング・アップ:愛の絆
新約聖書 ヨハネの福音書3:16
 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。