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Bible & Gospel

No.462  2009年02月01日   「人を立ち上がらせる神」

おはようございます、高原剛一郎です

 私は何年か前、リスナーの皆さんからのお手紙を読んで、考えさせられたことがあります。あるお手紙で「高原さんのメッセージはわかりやすいけど、関西訛りが強いですね。」とあったんです。ところが、別のお手紙では、高原さんのメッセージは「大阪弁のコテコテだけれど、とてもわかりやすいです。」とあったんですね。どちらの手紙も同じことを語っているんですが、私の受けた印象は随分違ったものでした。

結びの言葉が肯定的だと希望の言葉に聞こえる

 結びの言葉が否定的だと、全体が、否定的に聞こえるんですが、結びの言葉が肯定的だと、同じことを言っていても、希望の言葉に聞こえるんです。言葉ってデリケートだなあと思うと同時に、私もまた、結論が希望であるメッセージを取り次ぎたいと思いました。というのは、聖書のメッセージは喜びのおとずれ福音だからです。聖書は人間の罪や闇について、鋭く指摘し、えぐり出します。しかし、一番言いたいことは、それでも解決がある。望みがある。救いがある。ということなのです。

人類に語られた神の望みのことば

 今日は、イスラエルという人類の代表に語られた神の望みのことばを考えたいと思います。旧約聖書にこう書いてあります。 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。」

 ここに神とはどのような方なのかが書いてあります。3つのポイントで考えましょう。

神はあなたと共にいてあなたを見守る方

 第一に、この方は、あなたと共にいて、あなたを見守る方です。  私には誕生日になると、お祝いの手紙やメールを下さる方々が何人かいます。皆さん遠くに離れて住んでいる友人達なんですが、それをもらうと、やっぱりうれしいですね。というのは、本人ですら忘れている誕生日を祝ってくれることで、まるで365日の全日全部、私のことを覚えていてくれたような気がするからです。誰かに覚えられ、見守られているということは、人に力を与えますね。

見守られていると安心感を持つことが出来る

 今から何年か前、私はちょっと荒れた若者たちの間に入って、話し込んだこそがあったんですね。とても険悪な雰囲気で私は胸ぐらを捕まれたり方とこづかれたりしながら話したんですが、比較的落ちついて紳士的に振る舞うことが出来ました。それは、私が勇敢な人だからではありません。少し離れたところで、元高校の先生でラグビー選手だった私の旧友がじっと見詰めていたことに気づいたからです。いざとなったら、彼は動いてくれるに違いない。いや、そこまでしなくても、私のことをよく理解してくれている人が見守っていてくれるだけで、私はどれほど落ち着きを取り戻せたかわかりません。これが全くの単独行動だったら、私は紳士的に振る舞うことが出来たかどうか、自信がないですね。

 人は、分かってくれる誰かが見守ってくれてるんだと知るときに、大きな安心感を持つことが出来るのではないでしょうか。  神とはどんな方でしょう。私があなたと共にいるのだと宣言する方なんです。あなたは人には知られない人であっても、神には充分知られている人です。神さまはあなたを良く理解した上で、あなたに注目していて下さる方なのです。

神はあなたに自尊心の根拠を与えて下さる方

 第二に、人に自尊心の根拠を与えて下さる方です。  神はこう言われたのです。私の目にはあなたは高価で尊い、わたしはあなたを愛している。と。  ハワイの女性刑務所のカウンセラーによると、入所して来る人の83%は犯罪を起こす前に何らかの性的暴力を受けているということです。彼女たちは、刑務所の中でカウンセラーと向き合う時間を持ちます。やがてカウンセラーを信頼するようになると、自分のレイプ被害や、性的虐待の体験を打ち明けるようになるのです。レイプされたとき、身体だけではなく、時に自尊心を壊されてしまうケースが少なくないというのです。健全な自尊心を失った人は、破れかぶれの人生を生きるようになります。自分のことをくずやゴミのように思い込むとき、くず人生やゴミ人生を生きるようになるというのです。以前この番組で、自分の皮膚に、わざわざ負け犬という入れ墨を彫る人のことを、お話したことがありました。どうしてそんな否定的な言葉を掘り刻むのだろうかと入れ墨やの親父さんに聞くと、心にそう彫り込まれているからじゃないか。と返事が返って来たという話です。

自分を大切に思えない人は人も大切に出来ない

 自分を大切に思えない人は、結局人をも大切に出来ないのです。いつも、心に怒りを抱えているので、突然、破壊的行動に走るんです。問題の根源はどこにあるんでしょうか。自尊心の低さなんです。では、一体どのようにして、人は自分の価値を見出すことが出来るんでしょう。既にたくさんの過ちや自分ですらも軽蔑していることをやってきた、その人間でも、価値があると言える根拠は何なんでしょうか。神です。人は、神が造ったから価値があると言うことが出来るんです。
 人は、価値のない行動をすることがあります。しかし、人の命そのものの価値は、人の行動によっては左右されることがないのです。人間の価値は人間の作者の評価で、決まるのです。神は、あなたを神と交わる人格を持つものとして、創造されました。それゆえあなたは「神の目に高価で尊い存在だ」と神はおっしゃるのです。

神は新しい人生に向かわせて下さる方

 第三に、神さまは人から恐れを取り除いて新しい人生に向かわせて下さる方なのです。  私は昨年末、博多でクリスチャン声楽家の緒方美知子さんのコンサートに共演しました。その折、同じ円卓にいた方からその方の娘さんが書かれた本を頂いたのです。彼女の名前は大藪順子さんという方でした。本のタイトルは、「スタンド」立ち上がれという意味ですね。実は彼女は約10年ほど前アメリカでレイプ被害に遭ったのです。彼女によると、レイプ犯人には3年から5年の刑を科せられるが、被害者は終身刑を受けるという言葉があるそうです。つまり、事件の後、一生消えない傷を負って、泣き寝入りを強いられ、誰にも打ち明けることが出来ずに苦しんでいる人が、世界中にいるというのです。彼女も鬱病になり、苦しみもがく期間を過ごしますが、聖書のみことばを通して、神が立ち上がれと言ってることを確信します。実は、彼女は、クリスチャンホームに育ったクリスチャンだったんですね。

うずくまる選択より立ち上がる選択

 人生は選択で決まります。うずくまる選択もあれば、立ち上がる選択もある。過去から立ち上がり、被害者の立場から痛みをエネルギーに変えて同じく苦しむ人へと励ます人へと立ち上がることも出来るのです。やがて彼女は前米で性暴力被害者の写真プロジェクトを展開し、その活動は日本にまで、広がって来ました。傷を負った人が立ち上がるとき、傷を負って倒れたままの人に生きる勇気を与えることが出来るのです。そして、他の人に勇気を与えるために、自分が役立っているんだと言うことを確信するとき、「傷が一層癒されていくんだ」というんですね。

勇ましく高尚なる人生へ

 恐れるな、わたしがあなたと共にいるからだ。あなたの人生の傷を意味あるものへと変えることが出来るのが、聖書の神なのです。そして、このあなたの創造主に立ち返るための唯一の道が、イエス・キリストなんですね。どうぞ、イエス・キリストを信じ、勇ましく高尚なる人生へと歩み出そうではありませんか。心からお勧めしたいと思います。



しずか:ユー アー プレシアス
旧約聖書 イザヤ書43:4-5a
 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。