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Bible & Gospel

No.471 2009年04月05日「死を粉砕したキリスト」

おはようございます、高原剛一郎です

 さて、4月がスタートしました。新入生、新入社員新人デビューの季節ですね。この番組も9年前の4月にスタートしました。そして今日から新しいオープニング曲を導入しました。今回この新しい出発にふさわしく復活についてお話したいと思います。
 ところで、クラシックの交響楽団の世界では今から30年ほど前まで、女性の楽団員がほとんどいなかったそうです。特にトランペットやトロンボーン、ホルンなどのラッパ系の楽器には一人もいなかったんです。ところが30年ほど前から、女性奏者が続々と登場するようになりました。一体何があったんでしょうか。

審査員たちの女性に対する偏見

 オーディションの方法を少し変えたんですね。どんな風に変えたんでしょうか。演奏者と審査員の間に衝立を置いて性別がわからないようにしたんです。実は審査員たちには女性に対する偏見があったんですね。大きな肺活量が必要な金管楽器は女性には無理だという偏見です。そこで、吹いているのが男か女かわからないようにした上で、真の実力のみを問うようにしたところ、世界中で女性の奏者が次々と誕生したのでした。

偏見によって宝の山を見落とす

 偏見があると、目の前に100年に一度の天才がいても見落としてしまうんです。偏見によって、偉大なる宝の山を見落としてしまうと言うことが多いんですね。もったいないことです。そしてこれは、聖書や神についても言えることなんですね。
 私たちは聖書をよく調べる前にすでに何らかの偏見があると思います。聖書は宗教の本だとか。西洋のありがたい教えであるとか「精神論である」とか言うものです。しかし、聖書はただの教えではありません。歴史的事実の記録なんです。そして聖書の紹介する歴史的事実の中で、もっとも重要な記録は神に子イエス・キリストが十字架に架かって死なれたという事実と、死後三日目に復活したという事実なんです。クリスチャンとはこの二つを文字通りに信じ受け入れている人のことなんです。

 聖書はこう語っています。
「罪に定めようとするのは、だれですか。死んで下さった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが神の右の座につき、私たちのために執り成していて下さるのです。」

キリストは死後三日目に復活された

 歴史上にいろんな偉人、天才、英雄が現れましたが、彼らはみんな死にました。なぜ死んだんでしょう。自分の罪のゆえに死んだんですね。しかし、歴史に登場した人の中で、たった一人、イエス・キリストだけはあなたのために死んで下さった方です。キリストの死は普通の人の死とは違うんです。キリストは死ななくてもよい方でしたが、あなたの罪を身代わりに負って、あなたの代わりに死んで、罪の償いをして下さったんです。そして、これが単なる後付講釈などではなく、事実であることを立証するために、キリストは死後三日目に復活して下さったんです。  ある方は、「そんなのあり得ない」といって頭から否定なさるんですね。だいたいいのちって言うのはいつか死ぬって決まってる。いつまでも死なないいのちなんかあり得ない。増して死んで復活することなんか絶対にあり得ないというわけですね。

永遠に生き続ける生命体

 しかし、この世の中でも実は死なないで生き続ける生命体があるんですね。何でしょうか。癌細胞です。今世界中の癌研究で使われているのはヒイラ細胞といわれている癌細胞です。これは1959年子宮系癌でなくなったヘンリエッタ・ラックスというアメリカ人女性の体の中から取り出された癌細胞です。この細胞は、本人が亡くなった後、今日に至るまで今もシャーレ−の中で増殖し続けているんです。そして、栄養分をやり続けている限り、永遠に生き続ける生命体なんです。  この世界の中でも条件が揃えば、無限に生き続けるいのちがあるとするならば、死を打ち破って永遠に生きるいのちがないなどと一概に言えないのではないでしょうか。

弟子たちの証言によって復活が事実だとわかる

 キリストは十字架の上で処刑され、死にました。事実です。しかし、三日目に復活したんです。なぜそれが事実であるとわかるんでしょうか。復活のキリストと出会った弟子たちの証言によって、わかるんですね。

 キリストの召された特別な弟子たちを12使徒と言いますが、彼らはよみがえったキリストを見るまではしょげかえっていました。ところが、突如として確信に満ちてキリストの復活を伝え始めたんです。当然反論、反対、迫害を受けましたが、彼らはどんな質問にも答えることが出来ました。また、いかなる脅しにも屈することなく、復活を宣べ伝えたんです。そのような勇気や確信は、一体どこから生まれたんでしょう。本当にキリストと出会ったという事実の体験が、彼らを支えたんです。そして、それを世界中に触れ回りました。とてもじゃないけど内緒にしておけるような出来事ではなかったんですね。なぜならキリストを救い主として信じる者はすべての罪が許されるだけ打破なく、キリストが復活したように復活出来るのだというグッドニュースであったからです。復活が事実なら死はもう恐れるに足らない者になってしまうんですね。

出雲大学対抗駅伝大会

 1996年に出雲大学対抗駅伝大会というのがありました。その前年優勝したのは、早稲田です。そして二位が中央学院大学でした。悔しい負け方をした中央学院の選手たちは一年間厳しいトレーニングを積み雪辱を果たすべく大会に臨んだのです。ところが、最終ランナーまでトップだったのに、その最終ランナーがトラック内は言って後2周というところで後ろから負ってきた早稲田の選手に抜かれてしまうんです。スタジアムでは悲鳴と歓声がわーと上がるんですね。ところが週王学院の選手たちは興奮を抑え流れじっと静かに見つめていました。そして、いよいよラスト一周になったそのとき、一旦は抜かれた中央のランナーが突然別人になったように、猛烈な勢いで走り出し、再度早稲田の選手を追い抜き去って見事優勝したんです。一体どうしてそんな力が残ってたんでしょうか。

 実は昨年の悔しさを晴らすために一年掛けて苦しそうに走る練習をしていたと言うんですね。そして、わざと抜かせた後で追い抜き去ることで鬱憤を晴らしたって言うんですね。一度追い抜かれたとき、中央学院の選手たちが悲鳴を上げずに見守っていたのはなぜでしょう。どんでん返しがあることを知っていたからです。「もう一度追い抜くためにわざと追い抜かせてやった」ということを知っていたからです。そして、最後に笑う者が一番強いんです。クリスチャンの同じです。クリスチャンも死にます。しかし、死んで終わりではありません。どんでん返しがあるんです。だれでもキリストを信じる者には死の解決があるんです。キリストが来られるとき、また復活させていただくことが出来るんですね。

アイム ウェイティング

 私は以前、ハワイのパンチボールというところにある国立墓地に行ったことがあります。そこには戦争で命を落とした多くの兵士たちのお墓があるんです。墓石のプレートには様々な言葉が彫られていますがその一つはとても印象深いものでした。「アイム ウェイティング」と書いてあったからです。「待っています、私は」っていう意味ですね。一体誰を待っているんでしょう。キリストが再び来ることを待っているんです。なぜならそのとき復活出来ると言うことを知っているからです。どうぞあなたもこの朽ちない希望を受け取って下さい。心からお勧めしたいと思います。



大和田広美:主は私の羊飼い
新約聖書 ローマ人への手紙8:34
 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。