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Bible & Gospel

No.491 2009年08月23日「史上最大の奇蹟」

おはようございます、高原剛一郎です

 私は先月、天使と悪魔という映画を見に行きました。これはダビンチコードシリーズの第2弾なんです。どんなストーリーかと申し上げますと、秘密結社イルミナーティーというグループがあるんですね。このグループがカトリック教会の総本山、バチカン市を丸ごと吹き飛ばそうとするアクション映画なんです。

バチカン市を一瞬で吹き飛ばす爆弾

 この時、バチカン市を一瞬にして吹き飛ばす、原爆並みの爆弾として、利用されようとしているのが、反物質と言われるものなんですね。この反物質が1グラムあったら大阪全体を更地に出来るほどのエネルギーを取り出すことが出来るそうです。じゃあこの反物質ってどんなもんなんでしょう。

反物質って何でしょう

 それをあるテレビ番組で専門家を呼んで、解説していたんですね。実は物質というのは、原子で出来ています。小さな粒です。この原子は核と電子で出来ています。そしてこの核の中には、陽子と中性子というのが入っているんですね。普通の物質の場合は、陽子はプラスの電気を帯びています。そして、電子はマイナスの電気を帯びているんです。ところが電子なのにプラスの電気を帯びている陽電子というものがあるんです。同じようにマイナスの電気を帯びている反陽子というものがあるんですね。さらに中性子にも反中性子があるっていうんです。重さも性質も全く同じなんですが、電気のプラスマイナスが逆になっている物質のことを反物質って言うんです。

誰かがそう造ったんです

 この反物質と物質を衝突させると、両者とも消滅します。その代わりにすさまじいエネルギーを放出するって言うんですね。ところでこの番組の中でインタビューしている方が、専門家の早野教授に最後にこのように質問するんです。「どうして陽子に反陽子、電子に反電子、中性子に反中性子ときれいに裏返したものがあるんですか。どうしてそんな構造になっているんですか。」すると教授は答えました。「誰かが決めたんです。誰かがそう造ったんです。それ以上聞かないで下さい。」って言うんですね。

最先端科学者はどこか宗教的?!

 最先端の科学者の言うことはどこか宗教的です。究極の始まりを造ったなにものかを想定して、研究に励んでいるんですね。科学者というのは、この誰かの決めたルールを探る人たちです。この誰かの決めたルールのことを、自然法則といいます。そして、自然法則というものは、なぜか知らないけれども、美しく出来ているんですね。なぜでしょう。美しく造った方がいるからです。この究極の始まりを起こされた方を聖書は神と呼んでいます。そして、この方は宇宙を造り、時間を造り、物質を造り、そして、あなたという人格を造られた方、あなたの魂の親である方なんだって語るんですね。

イエスが行った奇蹟の事実確認

 さて、この神が人としてこの世界に来て下さいました。それがイエス・キリストです。このイエス・キリストは人としてこの世に来た神なんです。どうしてそんなことが言えるんでしょうか。イエスの生涯を見ると神にしか出来ない奇蹟を行っておられるからです。では、イエスが奇蹟を行ったと言うことをどのように確かな事実として確認できるんでしょうか。

タルムードという本

 一つはユダヤ教のタルムードという本によって確認することが出来るんですね。このタルムードという本によるとイエスは病を癒し、人をよみがえらせ、悪霊を追い出したということが列記されています。ところで、タルムードを編纂した人々はイエス・キリストを目の敵にした人々なんです。イエス・キリストに対して、好意的な人が書いた本の中にイエスの奇蹟物語があったとしても、手前味噌で書いたんじゃないかと言われるかも知れません。しかし、イエスを敵対視していた人々ですら、イエスの並外れた奇蹟の数々を認めないわけにはいかなかったんですね。これはイエスが奇蹟を行ったということの立派な証拠になると思います。ところで、イエス・キリストはなぜ奇蹟を行ったんでしょう。それは、ご自分がただの人間ではなく、神から遣わされた救い主であるということを人々に確信させるためなんです。

ルールを超越出来る権限

 ところで、サッカーの試合はルールブックに基づいて行われますね。ルールに違反したら、ペナルティーを受けるんです。選手は誰もこのルールを無視することは出来ません。ところがサッカーでは、ルールブックにないことが、時に行われることがあるんですね。それは、選手が負傷したときです。怪我をした選手が担架で運び出されるまでの間、主審はゲームを中断させることが出来るのです。ところがそのようなことはルールブックの中には書かれてないんです。でもたといルールブックになくても非常事態になったときには、主審にゲームを止める権限があるんですね。選手はルールを超えることは出来ません。しかし、審判はルールを超越出来るんです。

自然法則を超越出来る権限

 それと同じことが、イエス・キリストについても言えるんです。人間は誰も自然法則というルールに逆らうことは出来ません。逆らえば滅びるのです。しかし、キリストはこの世界の作者にして、審判者であるが故に、自然法則を超えた活動をなさる権限があるんですね。そしてそのようにして活動されたその業のことを奇蹟っていうんです。  では聖書の中に出てくる奇蹟の内、最大のものは何でしょうか。聖書の中にこのようなみことばがあります。
 「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」

何の奇蹟も行わなかったという奇蹟

 イエス・キリストの生涯の中で最も際だった奇蹟は、あの十字架の上で何の奇蹟も行わなかったという奇蹟です。キリストはどんな病気でも治すことが出来ました。また、どんな権力も黙らせる権威と知恵がありました。また、大嵐、台風ですら、ひとことばで消してしまうことがお出来になりました。何でも自在に動かすことがお出来になった方です。その方があの十字架に架かられたとき、ののしられてもののしりかえさず、あざけられても怒ることなく、全くなにも出来ない無力の人のようにじっとしておられたのです。しかし、この方は何もしていなかったのではなかったんですね。何も抵抗しないということをして下さっていたのです。

愛による意志がキリストを十字架に釘づけていた

 あなたの罪を償うために、あなたの救いを完成させるために、あの十字架の上にとどまっていて下さったんです。実は、釘がキリストを十字架につけていたのではないんですね。あなたの救いを完成するためには、どんなに辛くても苦しくても、この十字架から降りないぞという意志がキリストを十字架に釘づけていたのです。宇宙の造り主が人となってあなたのためにいのちまでささげて下さったのは、なぜでしょう。愛です。

 神さまはあなたを愛しておられるのです。あなたが神から離れたまま滅びることがないために、この世に下り、十字架に架かり、三日目に復活し、天に戻り、まもなく再び迎えに来られるその約束をして下さった方ですね。どうぞ、このイエス・キリストを信じ、ご自分の救い主として受け入れて下さい。心からお勧めしたいと思います。



レインボウ・ミュージック:イエスの十字架
新約聖書 1ペテロ2:22、24
 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。……
そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。