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Bible & Gospel

No.509 2009年12月27日「死を恐れない理由−イエス・キリスト」

おはようございます。高原剛一郎です!

 今年一年を振り返ったとき、私にとって一番大きな事件は、最愛の妻を天国に送ったことです。彼女は末期癌と告知されて、2ヶ月半で亡くなりました。しかし、その74日間、彼女を間近で見ながら、つくづく思ったことは、死を恐れない生き方の幸いです。彼女は死を全く恐れてはいませんでした。それは聖書の約束に支えられていたからです。

死を恐れなくとも良い理由

 聖書にこう書いてあるんですね。「キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配しないことを、私たちは知っています。」
 ここに、死を恐れなくとも良い理由が3つあります。

死はもはや支配権を失っているから

 第一に、死はもはや支配権を失っているからです。
 先日私は、ある方のお話を伺いました。彼は会社勤めをしていましたが、乱暴な上司のパワーハラスメントにたえかねて、自主退職に追い込まれたって言うんですね。その上司の元ではすでに二人も鬱病になって止めるように追い込まれた同僚がいるそうです。このままでは自分まで、身も心も壊れてしまうと思い、彼は辞めました。ある意味で、上司の支配から逃れたかったんですね。

ハローワークでばったり

 ところが先日、思わぬ場所でばったり、かつての上司と会ったって言うんです。見ると随分老け込んで、一回り小さくなったみたいです。かつての強圧的態度はまるで姿を消しています。ところで、彼らはどこで会ったんでしょうか。ハローワークなんですね。職業安定所です。なんと彼が辞めた後でその上司もリストラにあったって言うんですね。かつて職場にいたときには、あれほど恐ろしく感じた人に対して、彼は全く脅威を感じることはありませんでした。何故でしょう。彼に対する支配権を奪われているからです。今や元上司は彼に何一つ命令したり、強制したりする権限がありません。だから、ばったりであったけれども、何にも恐ろしくはない。それどころか、憐れにすら見えたという風に言ってました。

クリスチャンにとって死とは権限をなくした元上司

 クリスチャンにとって死とは権限をなくした元上司のようなもんです。クリスチャンも人生のどこかで死とばったり出会うときがきます。しかし、死はクリスチャンに対して、何一つ手出し出来ないのです。彼から罪の赦しを奪い去ることは出来ません。天国の国籍を剥奪することも出来ません。永遠のいのちを持ち去ることも出来ません。神さまの手から彼を連れ去ることは出来ないのです。キリストと継ぎ合わされた人たちは、死から何一つ害を受けないのです。

復活のキリストは無敵の王者だから

 第二に、復活によって死を滅ぼしたキリストは、無敵の王者であり、クリスチャンはこの全能の救い主に、一切をゆだねることが出来るからです。

 以前、高速バスの運転手が運転中に死亡するという事故がありました。高速道路を走るバスなのに、スピードがどんどんどんどん落ちていくので、不信に思った乗客がドライバーを見たんですね。すると彼はハンドルにつっぷしているではありませんか。上り坂なのに、アクセルを踏む力がないために、スピードが落ちていったんですね。ところが、気づいたときに、今度は急勾配の下り坂になったんです。スピードがどんどんどんどん上がっていくんですね。しかもハンドルを操作する人は、息も絶え絶えなのです。その時、乗客の一人に大型免許を持っている人がいたんですね。彼の機転で、ドライバーはすぐに除かれ、床に寝かされ、代わりに乗客がハンドルを握って、そして道路脇へストップさせたんです。意識を失う前に、その様子を見たドライバーは心なしか、ほっとしたようでした。何故ですか。自分の限界を超えた時、代わってコントロールしてくれる人を見出しただからです。

死後神の審判の前に立つ時が必ずやってくる

 私たちは今まで、自分の意志で、ある程度自分の人生をコントロールしてきました。何を学ぶか、何を仕事にするのか、どこに住むのか、誰と結婚するのか、みな自分で決めて進んできましたね。しかし、人生の最中で気力も体力も衰えるときが、突然のようにやってきます。その時、あなたは自分が守ってきた家族や、友人や、財産をゆだねる相手をもってらっしゃいますか。いや、それ以上にあなた自身の命を代わりに抱き取って、守って、コントロールして下さる方を持っていらっしゃいますか。元気な時には、自分の意志で何とでもなることでしょう。しかし、永久に元気な人なんかいないんですね。人は、必ず死にます。そして、死後に神の審判の前に立つ時が、やってくるのです。

あなたの罪の処理はもう終わっている

 神の正確な審判基準を前にして罪のない人など一人もいないんですね。すべての人は神の前に弁解の余地のない罪人です。しかし、この正確な正義の審判を前にして、パーフェクトにあなたを弁護することが出来る方がいらっしゃるのです。それがイエス・キリストなんです。イエス・キリストはあなたのすべての罪の償いをあなたに代わってしてくださったのです。あの十字架に架かって、あなたの罪の裁きを身代わりに引き受けて下さったのです。即ち、あなたの罪の処理は、もう終わっているんです。ですから、「死を恐れる必要がないんだ」って言うんですね。

キリストを信じた人は復活して天国に行くから

 第三に、キリストを信じて亡くなった人には、キリストが復活したように、復活して天国に行くという結論が、定まっているんです。ですから、死は恐れるに足らないって言うんですね。

 妻が亡くなって、50日程経って一通り落ち着いた頃、何とも言えない寂しさが、私を圧倒しました。もう気力も、体力も湧いてこないのです。愛する人を亡くすって、こんなにも悲しいことだったのか。こんなにも力を奪い取るものなのかと、ただただ呻くばかりでした。その時、聖書の記事に目がとまったのです。

弟子たちの元気の理由はキリストの復活しかない

 実は聖書の中には、キリストが十字架処刑されて50日後、弟子たちの取った行動について詳しく記録されている箇所があるんです。それによると、彼らはまるでスイッチが入ったかのように、元気と勇気とエネルギーに満ちあふれて、キリスト復活を宣べ伝え始めるんですね。愛するキリストを亡くした50日後って言うのは、普通だったら最も気力も体力も失せ果てて、まるで魂の抜け殻のような状態になっているはずなのです。しかし、彼らは決してうつむいてはいませんでした。現実には彼らは全世界に、復活したキリストを宣べ伝えるために出て行ったって言うんです。何故でしょう。復活のキリストを見たからです。それ以外に彼らの元気の理由を私は合理的に説明することが出来ないのです。

 彼らは紛れもなく復活のキリストを見たのです。いや、それだけではありません。この死からよみがえったキリストが、自分たちの生きている間に、もう一度天からやってくる。その日は決して遠くないと信じていたからです。キリストの到来は弟子たちが待っていたときより、2000年も近くなりました。あなたも今年の内に、いや、今日の内に、キリストと出会う備えをなさって下さい。イエス・キリストを自分の救い主として、信じ、受け入れて下さい。心からお勧めしたいと思います。



森祐理:喜びたたえよ
新約聖書 ローマ人への手紙6:5,9
 もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。
キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配しないことを、私たちは知っています。