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Bible & Gospel

No.515 2010年02月07日「神に立ち返る義務と特権」

おはようございます。高原剛一郎です!

 さて、来月になると確定申告の締め切りですね。自営業の方はみな税金のために所得を自己申告しなければなりません。先日テレビで、国税庁の方が出演していました。そして、税金の説明をなさっているんですね。何でしょうか。「税金というのは、みんなで社会を支えるための会費だ」って言うんです。「会員は会費を払う代わりに、会から特権なり恩恵を受け取りますね。会費って損なことではなく、良きものを得るための対価なんです。」っていう風に説明してました。

国家の栄枯盛衰は税の取り方で決まる

 ところでこの税金についての論争というのは、どこの国でも昔からあるんです。というのは、国家の栄枯盛衰というのは、税の取り方で決まるからです。昔は酷い重税をかけると、その負担は農民が被りますね。農村は疲れ果てて行きます。そして最後は、一揆、反乱、打ち壊しです。税金の取り方次第では、国がひっくり返ることすら起こるんです。ところで、自分の国に納める税金ですら、神経がピリピリするというなら、ましてや自分の国を占領する外国に税金を納めなければならない人々が、税金問題を語る時って、たぶん目が血走っていると思うんですよね。そんな記事が聖書の中に出てくるんです。

カイザルのものはカイザルに

 ある時、イエス・キリストを罠にかけようとした人々が、とても意地の悪い質問をキリストにするんです。「税金をカイザル・ローマ皇帝に納めることは、律法にかなっていることでしょうか。それともかなってないことでしょうか。イエスは彼らの悪意を知って言われた。偽善者たち、なぜ私を試すのか。納め金にするお金を私に見せなさい。そこで彼らは、デナリを一枚イエスのもとに持ってきた。そこで彼らに言われた。これは誰の肖像ですか。彼らはカイザルのですと言った。イエスは言われた。それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして、神のものは神に返しなさい。」

人間は社会に対して義務と責任を負っている

 さて、イエス・キリストはここで3つのことを語ってらっしゃるんんですね。
 第一に、人間は自分が生活している社会に対して、義務と責任を負っていると言うことです。今日本の紙幣には二千円札以外は人間が肖像として、印刷されていますね。一万円札は福沢諭吉、五千円札は樋口一葉、千円札は野口英雄、全員日本人の肖像です。なぜですか。紙幣を発行しているのが日本銀行だからです。そして、日本銀行は日本国の中央銀行です。肖像モデルは紙幣の発行権力がどこにあるのかということを示すんです。そして、日本という社会の恩恵を受けている日本に住む人々は税金を日本に払うべきなんです。たとい今の政権が好きでも嫌いでも、無駄使いしているように思えても、それは払うべきなんですね。

ローマが嫌いでも税を払う義務があった

 さて、キリスト時代のユダヤの国の通貨は、ローマのカイザルの肖像が彫ってあったんです。当時のユダヤの国は、ローマのカイザルに支配されていたからです。カイザルの支配の下で、治安や交通や生活が保障されていました。だから、たといローマが嫌いでも、税は払う義務があったんですね。キリストはここで「カイザルのものはカイザルに、返すべきです」とおっしゃいました。税金って返すべきものだって言うんです。払っても払わなくても良いものではなく、返していく義務があるもんだっておっしゃったんですね。

納税システムが崩壊すると国家が崩壊する

 この価値観は先進国のスタンダードです。国家運営の基礎は税にあるということをキリストは見抜いていました。今、日本では年間3万人以上の方々が自殺しています。15分に一人の割合なんです。そしてその多くは小規模経営者で、追徴課税の時期に集中していると言われています。しかし、それでもこのルールは動きません。納税システムが崩壊すると国家そのものが崩壊するからです。

人間は神のものであるということ

 さて、キリストはここで終わらなかったんですね。続けてこうおっしゃいまいした。神のものは神に返しなさい。これが第二のポイントです。
 第二のポイントとは、人間は神のものであるということです。当時の通貨には、その帝国の支配者の肖像が彫り刻まれていました。カイザルがデザインされた通貨はカイザルのものです。それと同じように、人間には神の形が彫り刻まれているって言うんです。ところで、価値がないものを現すとき、塵芥とか、糞土のようと表現しますね。この塵とか芥とか糞土ってなんのことでしょう。土のことなんです。陸地にいる限り、どこへ行っても見つけることが出来るもの、それが土ですね。土そのものには値打ちはほとんどありません。ところが、この土を名人の陶器師が器に仕上げると一つ何百万円もの作品になり得るのです。それ自体は価値が亡くても、名人の手が加わることで、限りなく価値あるものに変えられるんです。
 人間の体は、土と同じ成分で出来ています。人は土で出来ていると言っていいでしょう。現に死ねば人は土に返るんです。しかし、神さまはこの土を使って人を偉大な作品に仕上げて下さったのです。しかし、人の価値の真の偉大さは、この体にあるのではないんですね。その体の中に置かれた人格、魂、いのちこそは、神の形に似せて造られた神の肖像、神の形なんです。人間って何者でしょう。土の器の中に神の形を宿す霊的な存在です。神の手により形作られ、神の形を彫り刻まれた最高傑作なんです。

神のものは神の返さなければならない

 第三に、神のものは神の返さなければならないって言うことです。社会の恩恵を受けている人は、その社会の秩序を打ち立てている主権者に当然、税を返していく義務があります。日本でも憲法第30条は納税は国民の義務という風に書いてあるんですね。それならば、そのような社会が成り立つ、もっと根本的な条件を支える神さまに対して人間は義務を負っているというのは、当然ではないでしょうか。
 私たちは誰一人神の恵みを受けていない人はいません。私たちは神さまの造った地球に生き、神さまの備えた資源を使い、神の作品である空気やエネルギーを消費し、神の作品である他の命を食べることによって、生かされているからです。

死後に裁きを受けることが定まっている

 もし、カイザルのものをカイザルに返さなければ、つまり税金を滞納したり、不正な手段で納税を免れたりしたならば、必ず呼び出しや調査が入ります。しかし、神のものを神に返さない人生を続けていても、神から取り立て人が来ないのです。それは、神に対する脱税行為なのですが、生きている間にその責任を強制執行されるということはないんですね。しかし、それは永遠に来ないということではないのです。人間には一度死ぬことと、死後に裁きを受けることが定まっていると聖書は語っているからです。人間には死後に罪の精算が待ち構えていると言うのです。この神による罪の審判から逃れることが出来る人は一人もいません。すべての人が神に対して罪人なのです。

罪人の代わりに罰を引き受けたイエス・キリスト

 しかし、その罪人をかばい、赦し、代わりに罰を引き受けるために、十字架に架かって下さった方が、おられるのです。その方こそは、イエス・キリストです。この方は十字架で息を引き取った後、三日目に復活し、天に帰って行かれました。そして、今、この瞬間もあなたが自分という神のものを神にお返しする決心をするようにと祈っておられるのです。どうぞ、あなたもイエス・キリストを信じ、神さまに立ち返って下さい。心からお勧めしたいと思います。


Wings:永遠までも
新約聖書 マタイの福音書22:21
 彼らは、「カイザルのです。」と言った。そこで、イエスは言われた。「それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」