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Bible & Gospel

No.525 2010年04月18日 「神中心に生きる祝福」

おはようございます。高原剛一郎です!

 ある小学校の理科の授業で先生が小学2年生に質問しました。「氷が溶けると何になりますか。」ひとりの女の子が答えました。「春になります。」理科の授業では水になると答えなければなりませんね。しかし、冬の寒さが厳しい地方では、凍てつく氷が溶けるころ春になったということが実感出来るんですね。なぜなら今まで死んでいたような樹木や草花が一斉に開花するからです。一度はだめになったかに見えるものが、もう一度息を吹き返す姿は、見るものに勇気を与えてくれますね。そしてこれを国家の形で現しているのがイスラエルという国です。イスラエルというのはユダヤ人の国ですね。この国は過去二度までも滅ぼされて地図の上からは消されてしまったのですが、滅亡する度にまた復興する不死身の国家なのです。

自己中心が不幸の原因

 このイスラエルが一度目の滅亡から復興する直前、神からのことばを受けるんです。それはこのようなことばです。
「あなたは、彼らに言え。万軍の主はこう仰せられる。わたしに帰れ。—万軍の主の御告げ。—そうすれば、わたしもあなたがたに帰る、と万軍の主は仰せられる。」
 イスラエルという国がだめになっていったのは、創造主という中心から離れたことが最大の理由です。だからもう一度神という中心に帰りなさいという勧めなんですね。このイスラエルは人類の代表と見ることが出来るんです。人がだめになってしまう最大の原因は、人生の中心を間違うからです。神という中心を見失って、自己中心になって生きることが不幸の原因なんですね。

ドイツで実際にあったある母親の話

 これはドイツであった話なんですが、とても支配的なお母さんがいました。彼女は夫を支配し、娘を支配し、家全体を支配するとても自我の強い女性であったのです。彼女の娘が年頃でしたが、お母さんは自分の世話をさせるために、すべての縁談に反対します。しかし、ある時娘はとうとう母親の反対を押し切って、結婚することになりました。一体どうなったでしょう。結婚式の当日、みんなの見ている前で発作を起こして意識を失い、倒れてしまいます。それは、あくまでもこの結婚に反対していると言うことを表す意思表示なんですね。

母親の病気と健康回復

 娘が結婚した後も、お母さんは娘を呼び戻すことを諦めませんでした。合理的に娘を実家へ戻すために、一番都合の良いのは、お母さんが病気になることでした。この母親は、本当に次から次へと病気を発症していくのです。本人も病気の痛みには、ほとほと弱り切るのですが、治しても治しても、また新しい病気、しかも奇病に罹っていくんですね。その内、一緒に生活していたご主人の精神が、すっかり参ってしまうのです。そして、ご主人自身もとうとう重い病気になってしまうんです。それは、結腸癌という病気です。夫がいなくなってしまいますと、彼女は収入の道がありませんね。彼女は自分の病の痛みをこらえながら、一生懸命、夫の看病をするようになりました。その内に、彼女の病気が1つづつ消えていったって言うんです。気がつけば、彼女はすっかり健康を取り戻していたばかりか、夫の病まで完治していたって言う話なんです。

河野進さんの詩

 河野進さんという方がこんな詩を書いています。
一人に仕えられて、不満である。十人百人に仕えられて、さらに不満であり、千人万人に仕えられて、いよいよ不満であり、遂に人生は不満である。 一人に仕えて、感謝である。十人百人に仕えて、感謝である。千人万人に、仕えていよいよ感謝であり、遂に人生は感謝である。

あなたの存在目的の中心は神

 不思議なものですね。支配する生き方は、うまくいくと、もっともっと支配したくなります。しかし、支配すればするほど、欲望がエスカレートしていき、支配されているものの心は離れて行き、本人も周りの人々も満足できなくなっていきます。自己中心っていうのは、不幸なことなんですね。では、他者中心になったら、幸せになるんでしょうか。もしあの母親の娘さんが、母親という他者中心を徹底的に続けて行ったら、果たして幸せになっていったと言うことが出来るでしょうか。悪意ある他人に自分を譲り渡してしまうことによって人生は墓場になってしまうんです。私たちは、自己中心でもなく、他者中心でもない、人間を超えた絶対的な自己を必要としているのではないでしょうか。一体、人間の中心とはどこなんでしょう。人は誰を中心に生きたら一番幸いに至るんでしょうか。それは人間を造られた神ご自身を中心に生きることです。神はあなたの作者なのですから、あなたの存在目的の中心と行っていいんですね。
 聖書はこう言っています。わたしすなわち神さまのことです。「神に帰れ、そうすればわたしもあなたがたに帰る。」

ロシア皇帝フレデリック二世

 では人はどのようにして神の元に帰ることが出来るのでしょう。どこで神と出会うことが出来るんでしょう。イエス・キリストにおいて、人は神と出会うことが出来るんですね。

 18世紀のロシア皇帝にフレデリック二世という人物がいました。彼はある時、ベルリンの監獄を訪問するのです。受刑者たちは恩赦のチャンスだとばかりに皇帝に対して声を嗄らして訴えるんですね。「私は悪くないのにここにいれられました。私は何も悪いことをしていないのに、不当な判決でここに放り込まれた憐れな者です。」口々に絶叫するのです。しかし、そこに一人だけ、牢の隅っこの方に黙って座っている男がいたのです。皇帝はその男に興味を持ち話しかけました。「お前はなぜここにいれられたのか。」「はい、陛下。強盗のためです。」「有罪だったのか。」「はい、その通りです。私は自分のやった弁解の余地の亡い罪のためにここで罰を受けています。」フレデリック二世は看守に振り返るとこう命じました。おいこの男を釈放せよ。この男が他の罪のない者たちに悪影響を与えることがないようにするためだ。」あくまでも自分は悪くないと言い張った自称義人たちは恩赦を受けることが出来ず、罪を認めた男だけが罪赦されたのです。

罪赦されるのは過ちを認めたからではない

 ところで、誤解のないようにしたいのです。人は過ちを認めたから、赦されるのではありません。人が神の前に罪赦されるのは、人に代わって罪の償いをして下さった方がいるからです。あなたに代わって、あなたの罪を背負い、あの十字架の上で身代わりに死んで下さったイエス・キリストのゆえに、人は過去どのような罪があったとしても、赦されるのです。もしあなたがあなたのために死んでよみがえったイエス・キリストをご自分の救い主とするなら、神もイエス・キリストにおいて、あなたを豊かに赦し、受け入れそして祝福して下さるのです。どうぞ、イエス・キリストの元に駆け込んで下さい。こここそ神をあなたの待ち合わせ場所となるからです。心からお勧めしたいと思います。


みぎわ:帰ろう
旧約聖書 ゼカリヤ書1:3
 あなたは、彼らに言え。万軍の主はこう仰せられる。わたしに帰れ。——万軍の主の御告げ。——そうすれば、わたしもあなたがたに帰る、と万軍の主は仰せられる。