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Bible & Gospel

No.537 2010年07月11日 「美しき人生とは」

おはようございます。高原剛一郎です!

 私の好きな映画にライフ・イズ・ビューティフルというイタリア映画の名作があります。それは、第二次世界大戦が今にも始まろうとする頃の話です。グイドとドーラという夫婦がいました。二人の間にジョゼという男の子が生まれます。この子が5才になったとき、夫のグイドと幼い息子はナチスドイツの強制収容所へ入れられてしまうんです。なぜなら彼らはユダヤ人だったからです。

ライフ・イズ・ビューティフル

 しかし、グイドは何も知らない5才の息子を絶望させたくありませんでした。それで恐怖を味あわせなくても済むように精一杯楽しいウソをつくんです。家畜のように列車に乗せられたときには、「これは旅行なんだ。立って乗るのも楽しいだろう。」と。そして、強制収容所に入れられたときにも、「これはゲームなんだ。軍服を着た悪者に見つからないように、かくれんぼするゲームなんだ」と。さらに、「最後まで見つからない人は、ご褒美に本物の戦車に乗って家に帰れるんだ。但し、途中で泣いたり、ママに会いたいと弱音を吐いたら減点されるんだ。1000点たまったら家に帰れるぞ」と、さも楽しそうに話すんです。息子のジョゼはそれを信じ込み、収容所生活を見事に生き延びるのです。

父が命がけで守ってくれた

 しかし、収容所が連合軍によって解放される前日、父のグイドは連行されて行きます。ごみ箱に隠れてその様子を見ている息子の視線を感じたグイドはピエロの歩き方をしながら連れて行かれ、銃殺されるのです。しかし、その直後、本物の米軍戦車が収容所を解放し、息子はその戦車に乗せてもらって家に帰るという話です。ラストシーンでナレーションが流れるのです。それは、少年の独白です。「こうして僕は、父が命がけで守ってくれたお陰で、こうして今、生きているのです。」

希望という明かり

 父親グイドが守ったのは、息子の体だけではありません。心を守ったのです。極限の絶望的状況の中で、心が折れないように、希望という明かりで彼を照らし、守ったのです。実はこれと同じような働きが、実際の歴史上でも、行われていました。ユダヤ人が大迫害されていた時代、ドイツに住んでいたユダヤ人の心を守るため、子供新聞が発行されていたのです。大人の新聞と一緒に発行されるこの新聞には、ユダヤ人皆殺しの悲惨な記事は一切書かれていません。そこにはユダヤ人であることに誇りを持てるような記事、将来に希望を見出せるような内容ばかりが記載されているんです。さらに、不思議なことにエチオピアの同胞ユダヤ人たちが置かれてる悲惨な状況については書かれていたのです。

イスラエル建国の機動力

 それらを読んだドイツのユダヤ人の子どもたちは、パレスチナに行って、ユダヤ人の国を作って彼らを引き受けて助けようという思いに奮い立つのです。これら未来へ向けてのビジョンは、子どもたちが絶望してしまうことから彼らを守りました。そして、実際、戦中戦後わが子だけでも助けたいと願った親たちに、送り出された子どもたちが、何と30万人もいたんです。彼らは幼くしてユダヤ機関の援助を受け、パレスチナに移住します。そしてこの子どもたちが建国前のイスラエルの機動力となっていくのです。

生きた希望を約束する神のことば

 人生に失望はつきものです。ある場合は、絶望に至ります。一体いかにしてこの死に至る絶望という困難を乗り越えていくことが出来るんでしょう。それは、希望を持つことによってです。しかも本物の必ず実現する確実にして崇高なる希望を持つことによって人は前を向いて生きることが出来るのです。そして、聖書は私たちにそんな生きた希望を約束する神のことばなのです。

 聖書はこう語っています。
「けれども私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。」

天国という国籍を持つという希望

 ここには、キリストを信じる者に約束された3つの希望について書いてあります。
 第一に、天国という国籍を持つということですね。日本にいるクリスチャンは一言で言うと在日天国人です。住んでいるのはこの世の日本国ですが、最終的に帰り着くのは天国なのです。ですから、この世に過剰な期待はしません。この世というのは、人間が究極的に幸せになるためにあるんじゃないのです。この世というのは、人間が人間として成長したり、成熟したりするために一時的にいる場所です。それは、魂のトレーニングセンターであり、ジムであり、かなり厳しめの道場です。だから辛いことや悲しいことや、がっかりすることが起こります。それは私たちの心を鍛え、また何よりも私たちの目を神に向けさせるためです。この地上で幸せになるために生まれてきたという人生観で生きる人は必ず失望します。この地上は人間を満たすものだけではないからです。あなたの魂の故郷はあなたをお造りになった創造主なる神の国にあるのです。その国を自分の本籍地、国籍に持つということは素晴らしい希望となることです。

キリストがまたおいでになるという希望

 第二の希望、それはキリストが救い主として天からまたおいでになるという希望です。キリストは昔に活躍した立派な人なんかじゃありません。これから再びやってくる救い主なのです。過去の人ではなく、未来に来る救世主です。そして、その日はもしかしたら、今日かも知れないのです。そんなこと何で信じれるんでしょう。キリストの復活が事実であるからです。キリストは死んでよみがえり、天に昇りましたが、それは天にクリスチャンの住まいを準備するためです。その準備が出来たら、また天からやってくるんです。その時クリスチャンたちは、一瞬にして天に引き上げられ、いなくなってしまうのです。それを語っているのが、聖書なんですね。

栄光の体に変えられるという希望

 第三の希望は、キリスト再来の時、クリスチャンはみな栄光の体に変えられるという希望です。罪を犯さない体、病気のない体、死なない体、復活したキリストと同じ体に変えられるというのです。そして、朽ちていくことのない体で、死別したクリスチャンたちと再会を果たすことが出来るのです。

春は来たりつつある

 内村鑑三の残した詩の中に、春は来たりつつあるというのがあります。

 雪は降りつつある しかし 春は来たりつつある
 寒さは強くある しかし 春は来たりつつある
 春は来たりつつある 春は来たりつつある
 雪の降るにもかかわらず 寒さの強さにかかわらず
 春は来たりつつある なぐさめを得よ 苦しめる友よ
 汝の悩み多きにもかかわらず 汝の痛み強きにもかかわらず
 春は汝にもまた 来たりつつある

 確実に春が待っている人生は、途中がきつくても美しい人生だと思うのです。正にライフイズビューティフルです。どうぞ、あなたもイエス・キリストを個人的にすくいぬしとして受け入れこの希望に生きる人となって下さい。心からお勧めしたいと思います。


ノア:希望があるから
新約聖書 ピリピ人への手紙3:20
 けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。