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Bible & Gospel

No.548 2010年09月26日 「聖書は独善的か?」

おはようございます。三綿直人です!

 先日デパートに行きますと、ある地域の物産展が行われていました。そこでは「ここでしか買えません!」「○○名さま、限定です!」といった威勢のよい言葉が飛びかっていました。勢いのある市場はうきうきしますね。多くの人が我先にと群がって、大変活気のある市場でした。私たちは「限定品」とか「ここでしか買えない」というものが大好きですよね。私もそうです。

限定好きの私たちがなぜ?

 聖書の中にこのような言葉があります。「この方(イエス・キリスト)以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」

 普段は限定好きの私たちがこの聖書の個所を読むとどういうわけか、「けしからん。キリスト以外に救いがないなんて独善的だ、だから聖書は嫌いなんだ」と感じてしまうのではないでしょうか。聖書は本当に独善的なのでしょうか。この聖書の個所を今日はみなさんと考えたいと思います。

友人の心配は私の心配

 あるとき、私の友人から電話がかかってきました。ずいぶんあせった緊急の声です。「息子が倒れた。今、病院に走っている。三綿の信じる神に助かるように祈ってくれ!念のため、お寺のお坊さんにも祈願してもらっている。」ということでした。この友人は普段から「聖書は独善的だ、イエス・キリスト以外に救いがないというのがよくない。いろいろな宗教があってそれぞれに良さがある。そのいいところをそれぞれ選択すればいい。選択の自由があるべきだ。」と言っているのですが、そんなときに嫌味を言うほど私も愚かではありません。友人の心配は私の心配です。私は急いで病院に駆けつけました。

聖書はいのちの書物

 到着すると彼が笑顔でロビーに出てきてこういいました。「三綿、ありがとう。たいしたことはないらしい。この薬だけ飲んでおけば、1週間もすれば回復すると医者が言ってくれた。一安心。ありがとう。三綿の神が助けてくれたのか、お坊さんの祈願が効いたのかどっちかわからんけどな。」私は心からほっとしました。友人が喜んでいるのは嬉しいことです。それと同時にピンときました。そして友人にこう話したのです。「医者はこの薬だけ飲めば大丈夫っていったのか?」「ああ」「それは安心したやろ?」「もちろん」「でももし、医者がこういったらどう思う?『お父さん、ここに薬が10種類あります。どの薬に効果があるのかはわかりません。でもお父さんには選択の自由があります。当たるも八卦、当たらぬも八卦です。』「もしそう言ったら、その医者を信用できるか?」「いや、できん。そんなん信用する人はおらんやろ。」「それと同じや、聖書がキリスト以外に救いはないっていうとき、それは独善的なんじゃなくて、命の解決策を伝えているだけや。単なる教えやったら、それはあの教えもいい、この教えもいいってなるやろうけど、いのちの問題は「これが効きます。これしかだめです。というのが平安と確信を与えるものなんと違うか。」
 みなさん、聖書は単なる教えの書物ではありません。いのちの書です。イエス・キリストは私たちの死と命の問題に解決をあたえてくださるのです。

聖書が語る「救い」とは何か

 さて、聖書が語る「救い」とは何か、この方以外には救いはない、という救いとはなんでしょう。それは「罪からの救い」です。経済的成功を収めることではありません。健康が維持されること、回復することでもありません。これらのものは確かに素晴らしいことですが、聖書が語る「救い」とは違うのです。罪とはなんでしょう。人間をつくってくださった神さまを離れている状態のことです。罪は多くの損失を人間にもたらしますが、代表的なものを三つあげてみます。

罪は死の世界に人を追いやります

 まず一つ目は、罪は死の世界に人を追いやります。私たちは罪ゆえに、必ず死を迎えなければなりません。誰も死から逃れることのできる人はいないのです。また、死後に神のさばきを受けなければならない、と聖書は語っています。

罪は人の人生を空しくします

 二つ目に罪は人の人生を空しくします。神様から離れている人間は、人生の意味と目的がわからなくなってしまいました。存在するもので意味も価値もないものって空しいと思いませんか?私たちはこの空しさから解放されようと一生懸命人生の意味、価値を探しています。造ってくださった神さまだけが人生の意味と目的をお持ちなのに、その神さまから離れて意味と価値を見出そうとすると、方法は他人との比較しかありません。他人に認められるために他人に勝利する人生で虚しさをうめようとするのです。しかし、他人との比較の人生はより疲れを促進し、虚しさを増幅しているのではないでしょうか。

罪は人の関係を破壊します

 三つ目に罪は人の関係を破壊します。人は関係の中で生きるように神にデザインされましたが、罪のゆえに私たちは神さまとの関係が壊れてしまいました。ゆえに対人関係もうまくいきません。今はうまくいっている人でも、いつか壊れてしまうのではないか、と不安と恐れがいつもつきまとっているのです。私たちの悩みの多くは対人関係にあるのではないでしょうか。

罪からの救いイエス・キリスト

 この罪からの救いを与えるのが聖書の語るイエス・キリストによる救いです。死ではなくいのちを、虚しさではなく喜びを、不安ではなく平安を与えてくれるのがイエス・キリストによる救いなのです。

 どうぞこの方を信じてください。イエス・キリスト以外に罪からの救いを与えることのできる方はいません。イエス・キリストを信じる人は、罪からの救いを無償でいただけるのです。今日、みなさんがキリストに信頼する方となられますよう心からお勧め致します。


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新約聖書 使徒の働き4:12
 この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」