新約聖書
「その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。『平安があなたがたにあるように。』こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。」
(ヨハネ20:19-20)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.564 2011年1月16日

「復活が保証する3つの事」

おはようございます。三綿直人です!

 私は生まれた時から両親がクリスチャンの家庭、いわゆるクリスチャンホームで育ちました。幼い頃は、聖書の話を聞くままに、素直に信じていたのですが、小学校五年生の時、ある友人の質問で、はたと深く考えることになりました。

聖書だけが本当だという根拠


 それは「イエス様が神様ってどうしてわかるの。僕の家も聖書を読んでるけど、イエス・キリストは立派な預言者だと聞いてるけど。」というものでした。私は答えることができませんでした。「だってイエス様は神様だもの」という日曜学校で習った歌が頭の中をぐるぐる回っていましたが、残念ながら、この歌詞にはイエス様が神様である根拠については歌っていません。そして、この疑問から発展して、このように思うようになったのです。僕はクリスチャンホームに生まれたから聖書の話を信じている。でも、もし僕が仏教の家に生まれていたら、仏教徒になったかもしれない、イスラム教の家に生まれていたら、イスラム教徒になったかもしれない。イエス様が神様で、聖書だけが本当だと分かる根拠は一体何なのだろう。

イエスが神であることの根拠とは

 そして先輩のクリスチャンに質問しに行きました。どうしてイエス様が神様で、救い主であることが分かるんですか。そうすると、「とても良い質問だね。一番大きな根拠はイエス・キリストが復活したという事実だよ。歴史上の人物でイエス様しか死んでよみがえった方はいない。立派な人はいっぱいいたけど、みんな死んで終わりだった。でもイエス様は違う。イエス様だけが、死を打ち破って復活し、永遠の命の希望があることを教えてくださったんだよ。」
 皆さん、聖書が語るキリストの復活は、歴史的事実であり、私たちに希望と保証を与えるものです。今日は、キリストの復活が保証することについて、三つのポイントで考えたいと思います。

1,罪の清算が完了したことの保証

 第一に、キリストの復活は私たちの罪の清算が完了したことの保証です。すなわち、罪の罰である死と裁きが、私に対して全く無力になったことの保証なのです。
 ある少年がいました。彼はあるアレルギーを持っていて、蜂に刺されると死んでしまうという病気でした。ある日、彼はお父さんと車に乗ったところ、その車に蜂が飛んでいるではありませんか。ブーンブーン。少年は「お父さん、蜂だ、蜂だ、助けて!」と叫びます。するとお父さんが「息子よ、心配するな、大丈夫だ」と言うのです。「お父さん、大丈夫って、僕の病気知ってるでしょ。」「息子よ、大丈夫だ、ほらお父さんの手を見てごらん。」そういってお父さんは息子に手のひらを見せました。するとそこに蜂の針が刺さっていたのです。「あの蜂はもう針を持ってない。息子よ、あなたを刺して死に追いやることはもうできないんだ。安心して大丈夫なんだよ。」

十字架によって罪の支払いは完了済み

 皆さん、イエス・キリストは十字架にかかって死なれて三日後、恐れて隠れていた弟子たちのところに復活の姿で現れ、その手の傷と脇腹を示されました。そして弟子たちは主を見て大喜びした、と聖書は記しています。私たちを死に追いやる罪のトゲはもうすでにキリストの手に刺さりました。あの二千年前のキリストの十字架で、あなたの罪の支払いは完了しているのです。

2,復活は今を生きる力の保証

 第二に、キリストの復活は今を生きる力の保証です。イエス様を信じてクリスチャンになっても、この世の生活がすべてうまくいくわけではありません。苦しみや悲しみを同じように経験するのです。しかし、クリスチャンには、今も生きて助けて下さる復活のキリストが共にいてくださいます。今も生きておられ、私たちを実際に助け、とりなしてくださるのです。

ある母親の手記

 ある母親の手記を読んで、大変感動しました。こういう話です。可愛い娘さんが生まれました。でもその女の子は生まれた時から、顔の額からほほにかけて大きなあざがあったのです。お母さんは不憫に思って、病院の先生に言います。「先生、なんとかなりませんか。女の子です。」すると病院の先生は、「これはなんともなりませんね。いいじゃないですか。最近はアイシャドーをするぐらいなんだから。」お母さんは何ともやりきれない気持ちになって自らの顔にべったりと青黒いシャドーを塗り、町を歩いてみました。すると人々の冷たい視線が身にしみたそうです。この母親は、このときの気持ちをこのように書いています。「さあ見るなら見たいだけ見るがいい。娘はこれから先こういう視線を浴びながら、どんなふうに心の葛藤を重ねて生きるのだろう。辛いに違いない。私が代わってあげることができれば、どんなに救われるか。嫌なことがあったときは、私にあたってほしい、辛いときは、一緒に苦しもう。悲しいときは、私も一緒に泣こう。」
 皆さん、復活して今も生きているキリストは、地上の歩みで苦しんでいる私たちを、ほうっているのでありません。一緒に苦しみ、泣き、寄り添ってくださる方です。そして聖書を通して慰めと励ましを与え、今を生きる力を与えてくださる方なのです。

3,復活は天国に入るための保証

 第三に、キリストの復活は、将来の天国に入るための栄光の体の保証です。私たちのこの血肉の体は神の国を相続できません。しかし、キリストは復活して栄光の体をお持ちになられました。そして、この栄光の体を、キリストを信じる者に無償で与えてくださるのです。よく考えれば私たちのこの肉体も、無償で与えられたものです。誰もお金を払って買った人はいません。空気も、水も、光も、私たちの命を支えるものは、実は全て無償で与えられているものです。この栄光の体も、同じように無償で与えられるのです。

私たちが成すべきこと

 ただ一つだけ私たちが成すべきことがあります。それはこの復活のキリストを信じることです。キリストがあなたの罪のために死なれたこと、葬られたこと、そして聖書に従って三日目によみがえられたことを信じるのです。そうすればこの永遠の命が、復活の体が、あなたに与えられると聖書は約束しています。
 今日、皆さんがこの復活のキリストに信頼する方となられますように。心からお勧めいたします。

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