新約聖書
「ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。」
(ルカ15:22-24)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.567 2011年2月6日

「あなたの帰りを待ちわびる神」

おはようございます。高原剛一郎です!

 昭和の人気作家の一人に向田邦子さんという方がいらっしゃいました。書く小説、脚本が全部ヒットするので有名な方です。彼女の手掛けた脚本の中にテレビドラマ『寺内貫太郎一家』というのがありました。いつも不機嫌で、二言目には「ばか野郎!」って怒鳴り散らして、ちゃぶ台ひっくり返す雷親父が主人公の物語です。見るからにいかついのですが、実は誰よりも子供たちを愛する父親なのです。ところが愛情表現が不器用で家族にはなかなか伝わらず、よく衝突するんですね。この寺内貫太郎という昭和の頑固親父にはモデルがあったのです。それは向田邦子さんのお父さんです。

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 向田さんは四人兄弟の長女でしたが、下に弟と妹が二人いました。お父さんは相手が娘でもげんこつで躾けたそうです。実に厳しく、口説く、細かく、やかましく、娘の向田さんは大変苦手でした。人に絶対に弱さを見せない父の姿に息が詰まりそうになるんですね。

子どもを愛する親の愛

  ところが一度だけその父親が大泣きするところを見たことがあるというのです。戦争末期の昭和20年のことです。その年の3月、東京は大空襲に見舞われました。すでに上の妹は早くから田舎へ避難疎開させていました。しかし下の妹はまだ4月から1年生であまりにも小さかったために手放すのが忍びなく一緒に暮らしていたのです。しかし、さすがに東京大空襲を受けた後は一家全滅するよりはましだと腹をくくり、とうとうこの下の妹を送り出すことにしたのです。
  出発の前日のことです。父親は遅くまでかかって大量の葉書に自宅住所を書いたものを用意しました。そして玄関口で妹にその葉書の束を渡して言ったんです。「いいか、もし元気だったら丸を書いてポストにいれなさい。元気じゃないならバツを書きなさい。」それは字の書けない妹の安否を知るためのものだったのです。妹はまるで遠足にでも出掛けるように、飛び跳ねて疎開へ行きました。

赤鉛筆で大きな丸

  しばらくすると赤鉛筆で大きな丸の書かれた葉書が届いたのです。東京より、はるかに食糧事情が良かったんですね。ところが、しばらくすると丸がどんどんどんどん小さくなっていきました。そしてある日のことバッテンと書いてあったのです。そしてとうとうバツの付いた葉書すらも届かなくなってしまったのです。慌てふためいた父親は、すぐにお母さんを疎開先へ派遣しました。お母さんが行ってみると妹は百日咳と言う病気にかかり、シラミだらけの頭をしながら、一日中暗い布団部屋に寝かされていたのです。お母さんはその日のうちに妹を連れ帰ることにしたのです。妹が戻って来るその日、家では全員が待っていました。

帰ってきたよ!

  深夜になった時、窓から偵察していた弟が言いました「帰ってきたよ!」。その時、奥の間にいた父親がものすごい勢いで外へ駈け出して行ったかと思うと、妹のところまで行って強く抱きしめ、おもてで大声で泣いたというのです。向田さんが見ると父の両足は裸足だったそうです。向田さんはいつもは人前で泣くところなど見せたことなどない父親が、幼い妹を生きて取り戻した時、おいおいと号泣するのを見て衝撃を受けたのでした。こんなにも子どもを愛していたのかと。

世界で最も有名なイエスのたとえ話

 実は聖書の中にこれとよく似た記事が登場します。それはイエス・キリストのたとえ話に出てくるのです。父親を侮辱して家出した息子が、瀕死の目にあって、もう一度家へ戻るという話です。息子の姿が遠くに見えた時、父親は走り寄って彼を抱き、何度も何度も口づけしたと書いてあります。そして息子を一言も責めることなく彼のために大宴会を開きます。どうしてこんなにも喜んでいるのでしょう。父親はこう言うのです。「この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。」

理想の父のような存在

 さて父親とは誰を表すかお分かりですか。あなたをお造りになった神です。神はあなたにとって理想の父のような存在です。あなたにすべての良きものを与えてきた方です。あなたの命のルーツです。あなたの第一原因者なのです。そしてあなたは神の前に死んでいるもののようだというのです。神の前に死んでるとはどういう状態のことを言うんでしょう。神の前にいない状態のことです。神から離れている状態、神との関係を切って生きている時、人は神の前には死んだものだというのです。しかし、もし人がイエス・キリストを自分の救い主として信じるなら、その人は神と親子の関係に入るって言うんです。

イエスを信頼するものに与えられる約束

 このイエスのたとえの中にこう書いてあります。「急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。」ここにキリストを受け入れる者に三つのものが与えられると約束なさってるんです。

第一は一番良い着物

 第一は一番良い着物です。これは罪の赦しを表しています。着物とは体を覆うものですね。今までのボロを脱がせて一番美しい着物を着せるというのは、人間の罪をキリストの償いで覆い隠すということを表しているのです。

言葉の消しゴム

 なかのひろという人が「言葉の消しゴム」という詩を書きました。
「えんぴつで かいた字は けしゴムで きえる こくばんに かいた絵も こくばんふきで けせる 口からでてしまったことば けす けしゴムないんだね とりだせないんだね きみの耳にささった ぼくのことば わすれられないよ ぼくのむねにささった きみの目 ことばをけす けしゴム あったらなあ…」
 人がしたことは、した人とされた人に残ります。そして神の前にもあり続けているのです。ところが神の前にある罪の事実を消す消しゴムが実はあるのです。それがキリストの赦しなのです。キリストの十字架の血潮が私たちの罪を完全に洗い去ると聖書は宣言するんですね。

第二は指輪

 第二は指輪です。指輪をはめるというのは相続者の印です。実はイエス・キリストご在世当時、指輪には、はめ石に模様がついていてそれが実印となったのです。キリストを信じる者には永遠の天国という究極の国が与えられると聖書は約束しているのです。この素晴らしいものの相続者となるという印、それが指輪なのです。

第三は足に履物

 第三は足に履物を履かせるということですね。当時、奴隷は全員裸足で生活していました。靴を履くということは自由人を意味するのです。かつて息子は情欲、名誉欲、物欲、金銭欲の奴隷でした。そして罪の奴隷、死の奴隷、偶像礼拝の奴隷だったのです。

罪に打ち勝つ力を与えてくださる神

 しかしキリストを信じる者には罪に打ち勝つ力、キリストの霊がその人のうちに宿ると約束されているのです。いかがですか、あなたもイエス・キリストを救い主として信じ、罪の赦しと永遠の天国、そして罪に打ち勝つ人生を歩もうと思いませんか。
 どうぞ今年、イエス・キリストを受け入れてください。心からお勧めしたいと思います。

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