新約聖書

「しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。」
(エペソ人への手紙2:13)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.569 2011年2月20日

「罪という病気の治療薬」

おはようございます。那須清志です!

 みなさんは、胃の中に生息するピロリ菌というのを聞かれたことがありますか?この菌は胃がんや胃潰瘍などの病気を引き起こす要因の一つと考えられています。以前は強い酸性の胃の中でも生き延びる菌などはいないと思われていました。バリー・マーシャルはこの菌が胃の中で生存できることを自分で飲んで確かめたというのです。まさに身をもって証明したのです。彼は後にノーベル医学賞を受けることになります。ここまでだったら興味深い話…しかし、この菌が、自分の胃の中にもいるとなると単なる話で終わりません。そうです。私の胃の中にもいたのです。さっそくこの菌を除菌してもらうことになりました。多くの薬を一週間集中して服用しました。但し、1回目は6割の人しか成功しないそうです。

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 除菌が成功したかは1か月後血液検査で調べます。考えたら不思議ですね。胃の中のことなのに「血液」を調べたらわかるのです。ピロリ菌に感染すると血液の中に抗体がつくられるからだそうです。現在では血液検査で、さまざまな体の状態を調べることができます。血液は体の状態を表すバロメーターになっているのですね。

神の知恵によって記された聖書

 聖書に不思議なことばがあります。「肉のいのちは血の中にあるからである。」です。これは今から3500年も前に書かれたものです。 血液が人間の体の隅々を循環して、細胞に栄養を与えたり、老廃物を運んだりする役割をすることは、今では小学生でも知っています。しかし、「血が体中を巡る」ということは今から400年程前にウィリアム・ハーベイという人が発見しました。創造主なる神を信じていたハーベイでしたが、この説を発表するのは命がけだったそうです。当時、血の役割はほとんど知られていませんでした。確かに人工心臓はできても、人工的に血液を作り出すことはまだできません。精巧に作られている脳でも血液の供給が止まると、動かなくなるのです。まさに人の命は血の中にあるといえるでしょう。

聖書は創造主からの言葉

  このように聖書には、医学的に見ても正確に書かれている箇所が幾つもあります。それも人間が発見するはるか前に書かれました。これは聖書が創造主からの言葉であることの一つの証拠にもなっています。ただ、聖書は医学書ではありません。聖書に「血」のことが取り上げられているのは、肉体のことよりももっと大事な、私たちの霊的な問題について語るためでした。

人間の罪はすべて陽性

 人は創造主なる神から離れ、霊的に「病気」にかかっていると言われています。聖書はこれを「罪」と呼んでいます。自覚症状はないかもしれません。でも自覚症状がない病気ほどこわいものです。聖書の観点から「人間の罪」を検査すると、すべての人が「陽性」なのです。そしてこの「罪」という病気こそ、私たちの「不安、憎しみ、ねたみ、争い」などを引き起こす原因となっていると言うのです。神はこの病気を治すために治療計画を立てられました。そのためにまず旧約聖書をユダヤ人たち与え、次の三つのことを繰り返し語り続けたのです。

創造主の治療計画

罪には必ず裁きがある

  一つ目は、清い神の前で、罪には必ず裁きがあるということです。必ず公平な裁きがあるのです。みなさんの中にもゆえもなく苦しめられている人がいるかもしれません。相手に対して何もできない状態かもしれません。しかし、いつまでもそのままではないのです。苦しめている人に必ず裁きがあります。人は死後、公平に裁かれる神の御前にでます。あなたを苦しめている人がそのまま放っておかれることはありません。…ただ、同時に知っておかなければならないことは、あなたも裁かれるということです。私たちはある人との関係では被害者かもしれません。しかし、ある人に対しては加害者になっていることはないでしょうか。

罪が赦される方法

 二つ目は、その罪が赦される方法についてです。「身代わりに他のものが裁かれることで罪が許される」という方法があるのです。義なる神の前で、罪が見過ごされるとことは決してありません。では罪を犯してしまったらもう絶望なのでしょうか?希望はないのでしょうか?希望はあります。他のものが犠牲になることによってその人の罪は覆われるのです。

身代わりに裁かれる方法

 三つ目は、「身代わりに裁かれる方法」として、罪のない動物が殺され、その血が流される、ということです。犠牲をささげる方法について事細かに、決まりが定められました。犠牲からはいつも血が流されました。命なる血が流されたのです。罪を犯して犠牲の動物をささげる人は、流された血を見ては、自分の罪を悔いると同時に、この血によって自分の罪が覆われたことを確認したのでした。
 ここまでは準備段階です。そして、今から2000年前、イエスがこの地上に来られ、神の治療計画はさらに進みます。イエスは次のように言われました。

「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」

イエスは「罪」という病を持つ人間を直すために医者として来られました。同時にこの医者は自分の体をもって患者を救おうとされたのです。次のようにも語られました。

「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」

 イエスは十字架の上で、私たちの身代わりに裁かれてくださいました。いのちそのものである血を注ぎ出してくださったのです。

薬の効果を確かめる方法

 私の胃の中のピロリ菌は一回で退治できませんでした。現在、違う薬を使って2回目の除菌にかかっています。薬と言えども効く場合と効かない場合があるんですね。今度は効くことを信じて、飲み続けるだけです。神さまが用意された「イエスの救い」という薬は、本当に効くのでしょうか?この方の十字架が本当に人間の罪の代わりであったとどうしてわかるのでしょうか?その証拠の一つに「復活」があります。イエスは約束どおり、三日目に墓を突き破り復活されました。神はイエスを私たちの身代わりとして、あの十字架の上で裁かれましたが、神は特別にこの方に新しい命を与えてよみがえらせました。その事実を見た、弟子たちは、この方法こそ、人間の根本の問題を癒す最高の治療薬だとわかり、世界中に言い広め始めたのです。そして、私もこれが本当に効くことを経験しました。

プレゼントとして与えられる無代価の処方

 さらに嬉しいことに、この救いはただです。神の用意された薬はただです。なぜならあなたを愛しておられる神がプレゼントとして用意してくださったものだからです。プレゼントを渡す時に値札がついているほど恥ずかしいことはありませんね。神はあなたのために大きな代価を支払ってくださいました。しかし、渡す時には値札をとって渡してくださいます。あなたも是非この方が用意しておられる「イエスによる救い」という薬を受け取ってください。そして飲んでください。飲むと言うのは、聖書のことばを指針にし、イエスに信頼して歩むということです。心からお勧めしたいと思います。

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