新約聖書

こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。 その中で一番すぐれているのは愛です。
(第1コリント13:13)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.570 2011年2月27日

「神による信仰・希望・愛」

おはようございます。高原剛一郎です!

 今から数年前、私はブラジルからの小包を受け取りました。中を開けてみると、大好物のコーヒー豆が入っているではありませんか。それはこの番組をブラジルで聞いている方から、激励の意味で送られたプレゼントだったのです。いやぁ、嬉しかったですね。しかし、そのコーヒーはもう残っていません。飲んでしまったからです。使ってしまうとなくなってしまうんですね。ところが神様は、私達に決して消えていかないプレゼントをくださったというのです。聖書にこう書いてあります。

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「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」
 神様による信仰と希望と愛は、どれほど飲んでも決してなくなることはないというんですね。

決して消えることのない信仰

 第一に信仰です。先日、私はある心の病にかかった友から、こんな風に打ち明けられました。「高原さん、私ね、主治医にだけは本当のことを言わないようにしているんです。本当のことを言ったら、そうですか~、と言ってまた薬の量がどさっと増えるだけです。今でも飲みきれないのに、これ以上増やされたら薬で死んじゃいますよ」って言うんですね。

愛知県の名医

 ところが、それとは正反対の患者さんの話を昨年末に聞きました。もう亡くなられた開業医のことを今も懐かしがっている患者さんの話です。愛知県の田舎で、毎朝6時から患者が列をなして並ぶという、評判の名医でした。ある患者さんは、診察室に入るまで、目が回り、頭もくらくらし、今にも倒れそうでしたが、このドクターが脈を診るために手首に指を当てた瞬間、力が沸いてきて、治ったような気がしたって言うんですね。また、ある患者さんは、自分の部屋にまで往診で来てくださった時の話をしてくれました。それまで、胸が苦しくて呼吸が困難だったのに、このドクターがふすまを開けて部屋に入ってくるのを見るやいなや、胸の痞えがスーっと取れて息が楽になったっていうんです。すごい威力ですね。まだ薬も注射も打ってないのに、姿を見ただけで辛さが軽くなったって言うんですね。先の例と何処が違うんでしょう。信頼のあるなしです。どんな名医でも疑ってかかったら、治療を攻撃と受け止めてしまいかねません。しかし、信頼しきっているドクターなら、その姿を見ただけで心に平安が戻ってきます。この人が私のところに来てくれたからには、なんとかなるぞ、という肯定的な気持ちが働くからです。

信頼に値する方

 ところで、この愛知県の名医はなぜにそんなに信頼されていたのでしょう。一言で言うと、実績なんですね。今までこの先生の言うことを聞いて損をしたことは一回もない。彼の勧めに従うと、必ず良くなる。必ず回復する。それまでの見立ての正確さ、処置の見事さを繰り返し繰り返し経験してきた人々は、この先生の言うことなら間違いなしと、単純に信仰していたのです。神様に対する信仰も同じです。あなたを造られた真の神様は、信頼に値する神なのです。その根拠を一言で言うなら、実績です。聖書に記録されている実績なのです。聖書の神様は、人類に対して何百回もの約束をしてこられました。そして、その約束はことごとく実現してきたという歴史を記録している書物が聖書なのです。神は信頼に値する方です。そしてそれをもっともっと身近に感じる方法は、あなた自身が神のことばを信じてみるということなのです。神は決してあなたを裏切りません。従って神への信頼は、神の誠実さの故にいつまでも残るものなのです。

平安をもたらす希望の灯火

 第二に、希望です。あるクリスチャン女性の話です。彼女は大変大きな屋敷に住んでいました。その家の台所には井戸が付いていたのです。しかし、水道がひかれてからは井戸水を使うこともなくなり、今では井戸の上にダンボールで蓋をしていたのです。ところがある日のこと、水屋の上にある釜を取ろうとして、不注意にもダンボールの上に乗ってしまったんですね。彼女はあっという間に、地下6メートルの井戸の底へ落ちていったのです。幸い怪我はありませんでした。足から水に入ったからです。彼女は水から這い出して、井戸の中にある出っ張りに腰を下ろすことができました。しかし、家には彼女以外、誰もいなかったんですね。その頃、携帯電話もなかったんです。どんどんどんどん時間が経っていきます。やがて夕方になる。暗闇が降りてまいります。ところが、彼女は井戸の中で賛美歌を歌いながら、平安な気持ちを保っていることが出来たんですね。いったいなぜ、彼女はパニックに陥らなかったのでしょう。夜になると一人息子が会社から帰ってくるのを知っていたからです。彼女はこの状態が永久に続くことはない、と知っていました。やがて息子が戻ってきたら、私を探し出すに違いない。その時を静かに待てばよい。これから私を助け出す息子が必ずやって来る、という事実が、彼女の心に希望の灯火となっていたのです。

解決済みである死の問題

 ところで、人生の最後に待ち受けているものとは何でしょうか。死です。そして、死というものは、全ての希望を打ち砕くものではありませんか。それは、自力では這い上がれない暗闇の世界です。永久に人の魂を閉じ込める、恐るべき裁きの世界なのです。というのは、聖書ははっきりこう語っているからです。「人間には一度死ぬことと、死後に裁きを受けることが定まっている」と。人はこの恐るべき現実に向き合いたくないので、ことさらに人生を面白おかしくしようとしているようです。しかし、その暗闇から救い出してくださる方がいるとしたらどうでしょう。しかもその救い主は、すでにあなたの死の問題を解決済みであったとしたらどうでしょう。もしそんな救い主がいらっしゃったら是非知りたいとは思いませんか。紹介いたしましょう。イエス・キリストです。イエス・キリストは、今から約2000年ほど前、あなたの罪を背負って十字架にかかり、あなたが死後に受けるはずだった裁きを身代わりに引き受けてくださいました。そして死んで、三日後に復活し、死そのものを滅ぼしてくださったのです。あなたにはこの希望がありますか。もしまだなら、このキリストを救い主として受け入れていただきたいのです。

神の変わらない愛

 第三に愛です。神の変わらない愛ですね。ところで、人生の中ではどちらかを選ばなければならない時がありますね。我が家にもささやか事件がありました。実は、私の次男は大変にひどいアトピー性の皮膚炎なのです。原因の一つは、最近飼いだしたセキセイインコなんですね。もし彼がアトピーを簡単に治したいと願うならば、セキセイインコを追い出すことです。インコを飼うというのを選ぶならアトピーの辛さを耐えなければなりません。どっちかを選ぶしかないんです。両方とも良い面を選ぶということはできないんですね。彼はインコを飼うほうを選びました。妹が大変可愛がっていることを知っているからです。それは、愛による決断です。

信仰・希望・愛を与えてくださる方

 神もあなたのために究極の選択をしてくださいました。罪人を赦すためには、キリストを十字架の上で捨てなければならなかったのです。キリストを十字架にかけないなら、罪人を裁かなければなりません。神はどうされたでしょう。キリストを十字架で見捨てるほうを選ばれたのです。何故ですか。あなたを愛しているからです。
 どうぞイエスキリストを信じてください。神様は、信仰・希望・愛をあなたに与えて、あなたに祝福をくださる方です。心からお勧めしたいと思います。

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