新約聖書

「あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。」
(ガラテヤ人への手紙3:26, 27)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.572 2011年3月13日

「キリストを着る」

おはようございます。高原剛一郎です!

 私は先日、九死に一生を得た人の体験談を読みました。リー・チャップスというアメリカ人の話です。ある時、彼はパイロットの友人に誘われてセスナ機に乗って空中遊覧を楽しんでいたのです。ところが飛行機が巡航速度に達した時、大変なことが起こりました。パイロットが心臓麻痺で亡くなったのです。 しかもリーさんは生まれてから今まで一度も飛行機を操縦したことがないのです。彼は機内のマイクを取り上げて絶叫したんです。「誰か助けてくれ!」


 その声を近くの飛行場の管制官がキャッチしました。そして彼を落ち着かせるために言ったのです。「リーさん、不幸中の幸いが一つあります。私は飛行機のインストラクターなのです。飛行機の操縦方法をこれまでたくさんの人に教えてきました。だからこれからあなたにもそれを教えたいと思います。」リーさんは答えました。「教えてくれ!早く教えてくれ!」「分かりました。それでは私の言う通りにしてください。」「分かった!何でもあんたの言う通りにする!早く教えてくれ!」

自分を死から救う唯一の希望

 管制官は飛行機を飛ばすための基本を教えました。機体の安定のさせ方、方向舵の使い方、車輪の出し方、スピードの落とし方を教えました。そしてこう言ったのです。「知ってるだけでは駄目です。今言ったことを全部使って実際にやってみるのです。」「分かったその通りにする!」その頃飛行場には報道陣が押しかけていました。皆この一か八かの着陸を心配そうに見守っています。滑走路に向かうセスナ機は、まるで酔っぱらいのアヒルのようにフラフラしてるんですね。消防車はすでに待機しています。しかし名コーチの指導と励ましのおかげで、リーさんは遂に飛行機を着陸させ、奇跡的にかすり傷程度で助かったっていうんですね。
 彼はなぜ助かったんでしょう。飛行機を熟知している教官の言葉に従ったからです。ではなぜ従順に従ったんでしょう。この教官の言葉だけが自分を死から救う唯一の希望であると知っていたからです。教官の指示に従うのは当然のことですね。そしてそれと同じことが私たちの人生についても言えるのではないかなと思いました。

いずれ必ず訪れる大問題

 私たちの人生は、今は巡航スピードで安定飛行してる飛行機のようですが、それが永久に続くことはありません。いつかは燃料が切れ、エンジンが止まり、死という墜落をする時が来るのです。今のままでは死という現実に激突するということが分かっているのに、その死の問題を回避する方法を知らずに生きている。これはまるで着陸方法を知らずに飛んでいるセスナ機とそっくりだと思うんですね。しかしリーさんに優れたコーチがいたように、私たちには死の問題を解決してくださる優れたコーチがいるんです。その方こそはイエス・キリストなのです。

人間の死を悲しまれる神

 ところで死とは一体何でしょう。この言葉はギリシャ語ではタナトスという単語があてられています。タナトスというのは「分離する」という意味なんですね。死とは肉体と魂が分離することなのです。逆に生きているというのは肉体と魂が合体している状態です。ところがこの合体した肉体と魂が、やがて離れ離れになってしまうのはなぜなんでしょう。死と死の根本原因とは一体何なんでしょう。それは人間が神様から分離する道を選んだ結果なのだと聖書は語るんです。植物が根を切り落とされると、しばらくは生きているようでもやがて枯れてしまいますね。それと同じように、神という命のルーツと離れていることが死の根本原因だというのです。しかも人間は死ねば無に帰するのではありません。物質でできた体は地面に同化しても、体の中にあった魂は存在し続けるのです。肉体から離れた魂は死後どこへ行くのでしょう。神のない暗闇の世界に落ちていくんです。人が死を恐れるのは、死そのものより死の後に望みを見出すことができないからです。一体誰がそんな暗闇の世界に行くことを望むでしょう。

救いを成し遂げて下さる神

 しかし、この大宇宙であなたが永遠の暗闇に行くことを誰よりも望んでいない方がおられます。それがあなたの造り主である神様なんです。神様はあなたが死んだ後、永遠の地獄ではなく永遠の天国に入るために偉大な準備をしてくださいました。神様はイエス・キリストにあなたの罪を背負わせ、あなたが死後に受けるはずだった全ての裁きをキリストの上に振り下ろしてくださったのです。キリストがあなたのために死に、そして三日後に復活することであなたの救いを成し遂げてくださったんですね。聖書の中にこんな言葉があります。

「あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。」

 ここで言うバプテスマというのは洗礼式のことではありません。キリストを自分の救い主として信じ受け入れたものは、キリストと一体になった者とみなされるという意味なんですね。かつてどんなに罪深い人であったとしても、キリストを信じるならばキリストをすっぽりと来たのと同じで、神様はまるでイエス・キリストを迎えるようにその人を迎えてくださるとおっしゃるのです。

神から迎えられる秘訣

 妻が亡くなって3か月ほどたったある日のことでした。私の娘が風邪をひき高熱を出したのです。何枚毛布を掛けても寒い寒いと言ってブルブル震えるんですね。娘はフラフラになりながら自力でタンスまで行き、そしてお母さんが愛用していた厚手のセーターを着込んで床に就いたのです。その晩彼女はお母さんの夢を見ました。お母さんに抱きしめられてる夢をいくつもいくつも見たというのです。なぜなんでしょう。セーターのにおいがお母さんのにおいだったからです。朝起きるとすっかり元気になって、その夢のことを詳しく報告してくれました。私は娘をハグしたその瞬間懐かしさでいっぱいになりました。確かにセーターの香りは妻の香りだったからです。お母さんのセーターを着た娘は、まるでお母さんに抱かれてるように思い、また周りの家族にもお母さんを思い出させることになったのです。それと同じようにキリストを信じる者はキリストを着たのです。キリストを着た人は神様からまるでキリストを迎えるように迎えていただくことができるのです。

天国での再会を待ち望む

 福島県の阿武隈川という川には、毎年秋になるとたくさんの白鳥がやって来るんですね。この白鳥の世話を30年以上ボランティアでしてらっしゃる方がいます。白鳥おじさんと周りでは言われてるんですね。その方のインタビューをした記事を最近読みました。春になるとどんなに世話をした白鳥たちも一斉に北の国に帰っていくんですね。それって寂しくありませんかと聞かれた彼は、「寂しくなんかありませんよ。秋になると子連れで戻って来ますから。わたしはお別れしてるつもりはありません。出産の見送りをしているだけです。しばらくの別れの後で倍になって再会できるんですから。」クリスチャンの死は永久の別れではなく永久の再会です。天国で再会することができるんですね。
 どうぞあなたもイエス・キリストを信じてください。それがイエス・キリストを着るということになるのです。そしてキリストを着たものは、神からまるでキリストであるかのように迎えていただくことができるのです。心からお勧めしたいと思います。

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