旧約聖書
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。」
(伝道者の書3:11)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.596 2011年8月28日

「神のなさった3つのこと」

おはようございます。那須清志です!

 テレビ放送が地上デジタルに完全に変わってから1カ月たちました。通信の技術は日進月歩ですね。その中心は、今でこそテレビや電話、インターネットですが、それらの先駆けになったのは「電信」でした。この「電信機」の開発に成功したのはサムエル・モールスというクリスチャンです。

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SOSで馴染みのあるモールス信号は、彼の名前にちなんで付けられました。では、モールスが電信機でテストとして送った言葉は何だったでしょう?それは、聖書の言葉でした。旧約聖書、民数記23章にある「神がなさったこと」というものでした。モールスはもともと芸術家で、生涯多方面で活躍しました。この言葉は彼の生きざまを表していると言えるでしょう。今日は、「神のなさったこと」を三つ考えたいと思います。

聖書に記された驚くべき情報

 まず、第一に神は「聖書」を人間に与えられました。聖書には人間の理解を越えた神のことばが多く記されています。例えば、次の言葉は今から4000年ほど前、ヨブという人間に神が語られたものです。

「あなたはいなずまを向こうに行かせ、『私たちはここです。』とあなたに言わせることができるか。」(ヨブ記38:35)
 ここで神は、いなずまを離れたところに送って、私たちはここです、と伝えることができるか?とヨブに問いかけられたのです。いなずまの正体は「電気」です。電気を送って離れたところに情報を送る…。これはまさに無線、携帯電話、テレビが用いている技術です。いなずまが電気であることは、およそ260年前にベンジャミン・フランクリンによってようやく解明されたのです。今から3500年前に書かれた聖書にどうしてこのようなことを記すことができたのでしょうか。人間の知識や知恵をはるかに越えることを予め示すことによって、聖書がただの書物ではないことを示されたのです。聖書は私たちを造られた神の知恵が満ちています。そして、私たち人間にとって最も大きな祝福を得る方法が記されているのです。

理想の人間としてのイエス

 第二に、神は、人間の模範として「イエス」を遣わしてくださいました。
 先日、九州に行った時に珍しいものをいただきました。「冷やして食べる唐揚げ」です。説明書には「決して温めないでください」と書いているんです。凍ったままや、少しだけ自然解凍して食べるとおいしいというのです。驚きながら凍ったまま食べると、確かにおいしい!冷やして食べる時に一番おいしくなるように作られているといいますから、恐れ入りました。

すばらしいものに造られた人間

 さて、人間は創造主によってすばらしいものに造られたと聖書は語ります。神を崇め、神と共に歩むときに一番充実した生き方ができるように造られているというのです。信じられないかもしれません。ピンとこないかもしれません。しかし、これが私たちをお造りになった神さまの説明なのです。あまりにも神から離れてしまった人間は「理想の人間」をイメージできなくなってしまいました。そこで、神はこの世界に「模範となる人間、イエス」を送ってくださいました。創造主を畏れ、敬い、人々を愛している人間の理想の生き方をされたイエス。このイエスの生き方を通じて、人間はどれほどのインパクトを受けたでしょうか。イエスを通して、子どもたちに対する見方を示され、それに倣った人々によって、多くの教育機関が作られました。イエスを通して、病人に対する対処方法が示され、それに倣った人々によって、多くの医療機関が作られました。イエスを通して、依存症や反社会的行動をとる人たちへの対応の仕方が示され、それに倣った人々によって多くの更生施設や更生プログラムが作られました。このようにイエスをモデルとして、人間社会は多くの恩恵を受けたのです。
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犠牲を通して他の命が救われる

 第三に、神はイエスを十字架にかけられ、三日後によみがえらせてくださいました。神は聖書やイエスを通じて「人間の罪」を指摘するだけではなく、その罪の解決を与えようとしてくださったのです。
 二か月前ドイツで起こったことです。新聞社やテレビ局のカメラマンなど3人を乗せた飛行船が、イベントを空から取材し、戻っていました。突然エンジンから大きな音がして燃料臭がたちこめたのです。操縦士のマイケルさんはすぐに危険を察知し、地上からわずか2メートルの地点まで飛行船を降下させました。そして、3人の乗客に飛び降りるように言ったのです。3人の脱出で軽くなった飛行船は高度50メートルまで上昇し、空中で火を噴いて墜落してしまいました。マイケルさんは操縦桿を握ったままの姿で亡くなったのです。妻のリンディーさんは新聞社の取材に対し、「3人が飛び降りれば飛行船が上昇することは分かっていたはずですが、夫は身を犠牲にして乗客を救ったのです。」と語ったそうです。彼は周りに被害が及ばないように最善を尽くしたのです。彼の死は、他の多くの人を救い、守ったのです。

身代わりの死と三日後の復活

 イエスは私たちの身代わりになってくださいました。マイケルさんが自分の命を失うことをどこまで予期していたかはわかりません。しかし、イエスの場合は、必ず死ぬことがわかっていました。それも、十字架という最大の苦しみを経験した後に訪れる壮絶な死です。マイケルさんは自分を信頼して飛行船にのってくれたお客のために、責任を感じていました。しかし、イエスは自分を憎み、敵対しているもののために祈り、自分の命を捨ててくださったのです。イエスにはその義務や責任はありませんでした。ただ、私たち人間を愛して、私たちの罪が赦されるために、代わりに裁きを受けてくださったのです。
 亡くなったマイケルさんに、そのときの気持ちなどを聞くことはできません。しかし、イエスは死んで終わりではありませんでした。神はイエスを三日目によみがえらされたのです。復活に出会った大勢の弟子たちは、十字架の死や復活の意味を、イエス本人にしっかりと確認することができたのです。イエスを信じることによって、イエスと同じようにに新しい永遠のいのちを得ることができるということがわかったのです。

神がなされたことを受け入れる

 最初にお話した、サムエル・モールスは、死の4年前に次のように記していました。

「人生の歩みが終わりに近づくにつれて、聖書が神によってもたらされたという証拠がますます明らかになってきた。そして、罪に堕ちた人間を神が救う方法の偉大さと荘厳さはますます光を放っている。未来は、希望と喜びで照らされているのである。」
 モースルは、「神のなさったこと」をしっかり受け止め、イエスを自分の救い主として受け入れていました。そして、年老いて弱っていく肉体にあっても、神を信頼することから与えられる喜びはますます増し加わっていったのです。
 みなさんも是非「神さまがなさったこと」を知って、信頼して、新しい歩みに入ってくださることを心からお勧めしたいと思います。

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