新約聖書
「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」
(マルコの福音書10:45)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.602 2011年10月9日

「人の子が来た理由」

おはようございます。高原剛一郎です!

  今から数年前、私は友人と共に長野県の戸隠高原の山の中を散歩していました。すると前方から一人の外国人が歩いてくるんです。どっかで見た顔だなあ、と思いながら、すぐには思い出せません。しかし、しばらくしてから気がついたんです。プロ野球ロッテ球団のバレンタイン監督だったんですね。まだ、シーズン中なんです。それなのになぜこんな山の中を歩いているんだろう。私たちはいろいろ詮索を始めました。有名人が場違いなところにいると、何の目的でここに来たんだろうと、考えずにはおれないからです。

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 ところで人類史上最大の有名人はどなたかご存知ですか。イエス・キリストです。神が人類のために送ったひとり子の神、人となった生ける神がイエス・キリストです。あるときキリストはご自分がこの世に来た理由をこのように説明されました。

「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」

 ここにキリストが来られた三つの理由が記されています。
 第一に、本物の神を示すために人となられたということです。本物の神と人間が作った神々の違いはどこにあるでしょう。本物の神は人間に依存しませんが、偶像は人間に依存するということです。人が作った神々は人が水をかけたり、エプロンつけたり、火事のときにはかついで運び出したりと世話をする必要があるんです。人が守ってやらないと盗まれたり、壊されたりします。しかしこの天地万物を創造された神は、何か困ったことがあるかのように、人間の手で仕えられる必要はありません。却って人間を生かしている神、仕える神なのです。

いつも私たちをかばってくださる方

 ずっと以前、私はある絵本を読み感動しました。題して「かばいマンあらわる」です。子どもの姿をした「かばいマン」は突然クラスに現れるんですが、だれも不思議に思わないんですね。いったいどんな学校に現れるんでしょう。いじめのあるクラスに現れるんです。いじめの現場に現れて、いじめられている子を徹底的にかばいぬくんですね。「おい、あいつって本当に勉強できないなあ。落ちこぼれだなあ。」「でも一生懸命やっているよ。」「あいつ、スポーツ何やらせても下手くそだなあ。」「でもフェアプレーだよ。」「あいつの着ている服ってセンスないなあ。よくあんな恰好で学校に来れるもんだなあ。」「でも清潔だよ。」 「あいつの歌ってかばの悲鳴みたいだ。あんな音痴聞いたことないなあ。」「でも声量は天下一品だ。」「かばいマン」のことばを聞いているうちにいつしかクラスのいじめっこの見方が変わっていきます。そして、のろまでどじなクラスメートがなんとなく輝いて見え始めたときスッと姿を消すんですね。
 この「かばいマン」にはモデルがあります。イエス・キリストです。キリストは他のみんながどんなにあなたの存在を否定しても、あなたの価値をかばう方です。そして、あの十字架の上で神に対して罪の赦しのとりなしを捧げてくだっさった方です。キリストはこのように人に仕えることで神を示されたのです。

人間ができることとできないこと

 第二に、この方は私たちを神のもとに連れ戻すために来られたのです。
 十年ほど前、私は腰痛対策のために近くの市営プールに行きました。プールサイドに集合してびっくりしたことは、大半が七十代前後の高齢者の方々だったんです。しかも、彼らの泳ぎの速いこと、速いこと、追い抜かれっぱなしの私は、とうとうもっと初心者のコースに移されてしまいました。人は努力すれば高齢者になっても100メートル、200メートル、500メートルと泳ぐことができるようになります。しかし、オリンピックの水泳選手でも太平洋1万2000キロを泳いで渡りきることはできないと思います。大阪湾からアメリカ西海岸までを自力の泳ぎで越えていくということはどんな人間の努力でも不可能です。

人間にはできないことをしてくださった方

 それと同じように、自分の力で神の国である天国に到達することはどんな人にもできないことなのです。なぜなら天国と罪人との隔たりは、大阪湾からアメリカ西海岸よりももっと大きいからです。天国は罪のない者以外はだれも入ることはできません。きよくなければ入ることができないのです。ところが私たちはどんなに努力しても、神のきよさ、正しさ、善良さに到達することはできないのです。もし、どうしてもそこに行こうとするならば、それは天国から差し向けられた救い主に乗り込む以外にはないのです。キリストは私が自分の力では絶対に到達することができない天国に連れていくためにこの世に来てくださったのです。あなたのためにこの世に来られた救い主なのです。

愛してもらうように相手に強要できない

 第三に、キリストは私たちの愛を勝ち取るためにこの世に来てくださったのです。
 昨年末から、中東アラブの国々で次々と独裁者たちが倒れていきましたね。チュニジアのベンアリ大統領は23年間独裁者、エジプトのムバラク大統領は29年間独裁者、リビアのカダフィ大佐は42年間にわたって権力を欲しいままにしました。そして、その地位にある間、彼らは自分の国の中ではほとんど何でもすることができたんです。気に入らない人を殺すことができました。いつでも好きな時に好きなものを建てることができ、いつでも好きな時に戦争を起こすことすらできたんです。国外に逃亡した反対者を連れ戻して拷問にかけることもできました。おいしいビジネスを一人占めすることもできました。しかし、一つだけできないことがあったんです。国民に自分を愛させることはできなかったんです。人々が独裁者である自分を愛するように強いることはできなかったのです。彼らが自分の力をふるえばふるうほど人々は彼らを恐れはしましたが、愛さなくなりました。愛は権力で勝ち取ることができないのです。

私たちと愛の交わりを持つことを願われる神

 なぜ神はキリストという一人の人間としてこの世界に来られたんでしょう。一人の無力な赤ん坊として生まれ、30年間にわたって普通の人のように生活し、へりくだり、忍耐し、親切の限りを尽くし、挙句の果てに十字架にかけられる道をなぜ選ばれたんでしょう。どうしてもっと恐るべき力を発揮することができるのに、それをなさらなかったんでしょう。それは神がどれほどご自分の力をはっきり見せつけたとしても、私たち人間に神を愛させることはできないと知っておられたからです。神のすごさを目の当たりにすれば人は恐れはするでしょう。しかし、愛しはしなくなるのです。ただ、人となってこの世にくだり、一方的にただただひたすら愛を与え、良きものを提供し、勇気を与え、最後は私たちのために死んでくださることによってのみ、人から愛を勝ち取ることができると知っておられたのです。
 神は私たち人間が愛さなくても何も困りません。しかし、そう願ってくださったのです。なぜなら、それが人間の造られた目的であるからです。キリストは神を示し、永遠のいのちを与え、神を愛するようになるために贖いの代価として自分の命を与えるために来て下さいました。どうぞあなたもイエス・キリストを信じ、永遠の命を受け取ってください。心からおすすめしたいと思います。

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