旧約聖書
「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」
(イザヤ書53:6)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.615 2012年1月8日

「命の恩神イエス・キリスト」

おはようございます。高原剛一郎です!

 先日、私は灰色の縁取りをした一枚の葉書を受け取りました。それは私の恩師の死を告げる葉書でした。彼は学生時代の頃から私に大きな期待を寄せてくれた人でした。私が海外に行くときポケットマネーで援助し「最高の先行投資だ」と言って送り出してくれた人です。今でもこの方の名前を聞くだけで心の中に温かいものが湧いてきます。恩人の存在はしてくれた良いことの思い出だけではなく、自分という存在に自信を与えてくれますね。あなたにはそんな恩人がいらっしゃいますか。

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 今日はあなたにとっても、私にとっても、最大の恩人を紹介したいのです。それはあなたを造ってくださった真の神様です。この方は二重の意味であなたの恩人なのです。第一に、あなたを日々生かしておられるという点で命の恩人なんです。ある方は「私は神の世話なんかになった覚えはない」と言われるかもしれませんね。しかし、私たちは生きて行くためになくてはならないものが沢山あるのではないでしょうか。その一つは酸素です。酸素の世話にならずに生きていける人は誰もありません。

 先日、私は酸素が無ければ人はどんなにひどいことになるのか、ということを登山家の野口健さんのインタビュー記事を読んで痛感いたしました。野口さんはエベレストのゴミ掃除に取り組んでいる方です。実はエベレストの8千メートルベースキャンプには、いろんなゴミが山積みになって積み上げられているそうです。山頂まで行った登山隊は下りるときには体力の限界に来ているので、テントもボンベも寝袋も全部置いて行くそうです。少しでも軽くして下山したいというその誘惑に勝てないんですね。野口さんはこのゴミをザックに入れて、6千メートルまで降りて、テントを張って、そこにゴミを下します。2日休んでまた8千メートルまで登って、ゴミを背負って下りてきます。これを永遠2か月続けるとどうなるか。まず脳細胞が大量に死ぬそうです。8千メートルに1回行くと、ボクシングで12ラウンド殴り続けられたあげくに、ノックアウトされた時くらいのダメージが脳にあるそうです。

酸素不足がもたらす悲劇

 実際、登山家でヒマラヤに行っている人の中で、若年性認知症の人はとても多いそうです。エベレストに10回無酸素登頂した山の案内人たちは、50代半ばで完全認知症になっているそうです。さらに肝機能が低下し、血がドロドロになります。酸素が足らないためにこんなことが起こるんですね。そのために野口さんの血は献血に使えないそうです。さらに内臓がぼろぼろになります。野口さんがエベレストから日本に帰国し、講演会で話していた時のことです。突然お尻から血がドクドクと流れ出して止まらなくなったそうです。検査してみると心臓の弁がちゃんと閉まらなくなってたんですね。あまりにも低酸素濃度なので、心臓のポンプが頑張りすぎて、弁の付け根が腫れ上がり、ちゃんと閉まらなくなって、3分の2ぐらいしか閉じないので血液が逆流します。その上、胃には4ヶ所、腸にもたくさん穴が開いて、それでお尻から血が流れ出たっていうんですね。

すべてを設計し、造られた創造主

 ところで私たちは一日中忙しく動き回っていますが、脳が破壊されたり、心臓が壊れたり、胃や腸にむやみやたらに穴が開いたりしません。それは酸素を吸えるだけ吸っているからです。ではその酸素は誰が造っているのでしょう。人間が自分で自分の吸う酸素を製造しているわけではありません。もしそうであるならば、きっと酸素を吸い込むたびにお金を徴収されるのではありませんか。地球に酸素が沢山あるのは植物による光合成システムの結果です。ではこの植物による酸素供給システムは人が作ったのでしょうか。いいえ、自然界の作者である神がお造りになったのです。神はあなたを活かすために酸素供給システムを設けてくださったのです。神が造られたのは酸素だけではありません。太陽も水もエネルギーも全て人が生きて行くのになくてはならないものはことごとく神が造られたのです。これらは皆あなたが生きるために神が準備してくださったものです。まさに神はあなたの命の恩人なのです。

私たちの罪を身代わりに背負われたイエス

 第二に、この方はこの肉体の命の恩人であるだけではなく、永遠の命の恩人でもあるのです。聖書の中に次のようなみことばがあります。

「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」

 日本語のことわざに「恩を仇で返す」というのがありますね。身に受けた恩に感謝するどころか、かえって害を恩人に加えることをそのように言うんです。人が神にしてることはまさにこれだと思うのです。人間を造り、愛し、生かし、支えている恩人なる神に反逆して、羊のようにさまよい、神に背中を向けて生き、自分勝手な道を突き進んでいるからです。しかし日本語にはこういうことわざもあります。「仇を恩で報いる」。恨みのある者にかえって情けをもって恩を施すことですね。でもこのことわざは神のしてくださったことを完全には説明していません。なぜなら神はあなたに恨みを抱いている方ではないからです。あなたを愛しておられる方です。

人生の道案内人であるキリスト

 ところで野口さんは今までに32回もエベレストに登ったそうです。1回登るだけでも命を削るようなことであるのに、どうして繰り返し繰り返し過酷な登山をすることが出来たのでしょう。それはシェルパーがいるからなんです。シェルパーというのはネパールの高山地帯に住むチベット系民族のことです。彼らは生まれた時から5千メートル級の世界で生活しています。この人たちが登山隊の道案内をしてくれるのです。いやそれだけではありません。登山隊の重い重い荷物を担いで運んでいるのは実はこの人たちなんですね。彼らは山頂までエスコートしますが、テレビに映ることはまずありません。徹底的に縁の下の力持ちであるからです。登山隊の世話を何から何まで全部引き受けるエベレストの道案内人なんですね。彼らが重荷を背負い、共に歩んで案内してくれるからこそ山頂にまで登りきることが出来るのです。
 神はあなたの人生という登山にキリストというシェルパーを与えてくださいました。キリストは十字架に架かってあなたの罪を背負い永久に処分してくださったのです。そればかりか三日目に復活し、あなたの人生を死に至るまで、いや天国に至るまで先導してくださる方なのです。どうぞこのキリストを自分の救い主として信じ受け入れてください。心からお勧めいたします。

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