新約聖書
「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」
(ローマ5:8)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.623 2012年3月4日

「人の人らしさ-自由意志」

おはようございます。高原剛一郎です!

 世界的デフレ不況と言われて久しいですが、全ての会社の業績が悪いのではありません。アメリカのアップルという会社は、売上高が73%も増えて過去最高の利益を出したそうです。決め手はiPhoneとiPadです。この会社は次々と画期的な製品を送り出して、情報電化業界では独走状態なんですね。

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 ところで、これらの斬新な製品を生み出した、今は亡き経営者、スティーブ・ジョブズという人は、目の覚めるような商品を作り出していく情熱と動機について聞かれこう答えています。「私たちは毎日食べ物を食べています。しかしそれらの食べ物は自分で作った物ではありません。私たちは毎日服を着ています。しかしそれらの服も自分で作った物ではありません。私たちは言葉を使ってコミュニケーションしています。しかしこれも自分で作った物ではありません。私たちは数学を使って製品を作ります。しかしこれも自分で作った物ではありません。私たちは他人が作った物を使って豊かになっているんです。私は人間のこのような知恵や経験の泉に対して、素晴らしい製品を作ることで恩返しがしたいのです。」と言うんです。
 ところで人間の知恵や経験の泉とはなんでしょう。人間に言葉や数学や考えを授けた何かがある、誰かがいると彼は考えたようです。その何かに対して恩返ししたいという気持ちが、創造の動機、原動力であると言うんですね。私も人間に知恵や言語や理性を授けた存在があると信じています。ただその存在を「何か」という漠然としたもので終わらせることはできません。そのままにしておくことは私にとっては気持ちの悪いことなんですね。

感謝の気持ちを伝えたい

 少し前のことです。自宅に戻ると玄関の前に包みが置いてあるんですね。なんだろうと思って包みを開けてみますと、ロールケーキとスターバックスのコーヒー、さらにとても高価な太字の万年筆が入っていたのです。そしてワープロの活字で「どうぞお使いください」と一筆書きが入っていました。私は早速煎りたてのコーヒーをたて、ロールケーキを口に入れましたが、いやうまいのなんのってですね!もう唾液が痛いほど出ました。そして書き味の良い万年筆を握りながら思ったのは、これを使って礼状を書きたいなあということです。しかし相手が分からないんです。私には感謝する理由が沢山ありました。おいしいケーキ、コクのあるコーヒー、念願の万年筆。どれをとってみても私の心を満ちたらわせるものです。私は喜びでいっぱいなんですね。ところが肝心の感謝を伝える相手が誰なのかが分からないのです。いったい誰が贈ってくれたんだろう、あの人かなあ、この人かなあ、男性かな、女性かなあ。いろいろ考えながらいつの日にかそれが分かったときに心からお礼を言おう、そしてその時にはきっとすっきりするだろうと思いました。
 神様はあなたに価値を見出しておられます。他の人があなたに価値を見出さなくても神は「わたしの目にはあなたは高価で尊い」とおっしゃるのです。私たち人間は自分の価値を自分ではかろうとしますが、その方法は人との比較です。しかし、それは逆に自分を傷つけ自分の価値を分からなくさせているんではないでしょうか。あなたの造り主である神様こそあなたの価値をご存知の方なのです。

私たちの魂の親である創造主

 この世界には人間の心を慰めるものが満ちていると思います。いや私たちが生きて行くために無くてはならないもので満ちているのです。太陽も空気も水も台地も人間が造ったものではありません。私たちは人間以外の誰かが造ったもので生かされているのです。このすべてのものの造り主、世界の作者、宇宙の第一原因者である方を聖書は「神」と呼んでいるのです。この方は人間「が」作った神々ではありません。人間「を」お造りになった魂の親なのです。さて聖書の中に次のような言葉があります。

「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」

 

人とは自由意志を持つもの

 さて神はこの天地万物をお造りになりましたが、神が作られた作品の中で最高傑作は人間です。それは「神の形に似せて造られた」と書いてあるからです。神のように人格を持つものとして造られたというのです。
 今年の一月、将棋の米長永世棋聖がコンピュータと将棋対決をしたんですね。そして残念ながら負けたんです。一時は人間のプロ棋士の方がおしてたんですが、わずかのミスをついてコンピュータが逆転勝ちを収めたんですね。この将棋のコンピュータソフトは、年々改良に改良を重ねてぐんぐん強くなっています。そしてこの趨勢だけを見れば、いつかはコンピュータが人間を上回る日が来るのではないかと考えてしまいます。しかし、どれ程コンピュータが将棋に強くなったとしても、人間をどうしても越えることが出来ない領域が残るでしょう。それは人格という領域なんです。
 人間は単に考える力だけではなく、自分が何を考えてるかを知る力があるんです。しかしコンピュータは自分が今将棋を指しているという事すらも分からないのです。入力されてくる情報に対して演算しているだけなんですね。人間だけが自分を客観的に見ることができるのです。そして自分を見つめてる自分が別にいて、自分の気持ちや意思を持って生きているのです。勝てばホッとするし、負ければ悔しがることでしょう。しかしコンピュータにはそういう感情はありません。ただ演算の結果を出してるだけなんです。この人格の最大の特徴は自由意志です。そしてこの自由意思ほど尊いものはありません。なぜならこれこそは生きているという実感の根拠となるからです。しかし尊いものほど用い方を誤ると深刻な結末を招くのです。
 人間は自由意志を用いて自分の造り主に従うこともできました。そこには平安と命が伴うのです。しかし反逆することもできました。その結末は死と死後の裁きです。そして人間が選んだ道は神への反逆であったのです。この神に対する反逆を聖書は罪と語るのです。しかし神様はこの罪人に対してキリストを与えることでご自分の愛を明らかにされました。罪に対して怒りや罰で答えるのではなく、かえって神自らが自己犠牲を払ってご自分の一人子、イエス・キリストを裁いてくださった。そして罪人のための救いを完成してくださったのです。

私たちの帰りを待ちわびるイエス

 数年前に私の友人から真夜中に電話がありました。娘さんが家出をした、どうか祈ってくれ!と言うのです。ことの発端は娘さんが嘘をついて男性の友人と外泊したということが発覚したのです。正義感が強く生真面目な友人は、彼女を強く叱ったのですが、しかしそれは火に油でした。娘さんは悪態をつき、父親を偽善者呼ばわりして、挙句の果てに家具や食器を壊して、雨降る夜に出て行ったのです。その晩彼はどうしたでしょう。一晩中怒ってたんでしょうか。いえ、悲しんでいたのです。そして一睡も出来ずに彼女の帰りを待っていたのです。不安と闘いながら、新しいスタートを願いながら、大きな体の男がおろおろしながら、娘の帰りを待ちわびていたのです。どうしてそんなにうろたえるのでしょう。愛しているからです。そして相手は自由意志を持つ存在であったからです。
 神様はあなたを愛しておられます。そして罪人が恐れなく神のもとに戻れる備えをしながら、今この瞬間もあなたの帰りを待っておられるのです。どうぞイエス様を信じて永遠の命を持ってください。心からお勧めしたいと思います。

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