新約聖書
「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」
(ヨハネ14:1)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.629 2012年4月15日

「平安の秘訣」

おはようございます。高原剛一郎です!

 私は以前、講演先で帯状疱疹という病気になったことがありました。あんまり痛いのでペインクリニックというところへ駆け込んだんです。するとドクターは、治療の前に150項目もの質問に答えさせたのです。その質問の中には「心配事がありますか?」とか「自分が何かの役に立ってると思いますか?」とか、私の内面について問うものが3分の1くらいもあったんですね。どうしてこんなことを聞くんですかと尋ねると、「実は痛みというのは脳で感じるものなんだ」と、「そして脳は体の痛みと心の痛みを区別しないということが分かってるんだ、だから心に痛みがあると肉体の痛みが倍加するんだ」と説明してくださったんです。心と体って、私が思う以上に密接につながってるんだなあと感心したのでした。もし心に平安があれば肉体もタフになります。しかし、心が折れてしまったら、人は肉体的にももろいのです。ではどうしたら心を平安に満たすことができるのでしょうか。


カット

  ある時キリストは、こう言われました。

「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」

心を平安で満たす秘訣

 第一に、全知全能の神を信じなさい、と言うのです。
 私の大好きなテレビドラマに、「大草原の小さな家」という番組がありました。開拓地のど真ん中にお父さんが自力で建てた小さな家があります。そこで両親に愛された三人の娘がすくすくと成長していく物語なんですが、これは実話をもとにしてるんです。ある時畑からお父さんが帰宅しました。しかし、いつもと様子がまるで違うのです。顔面蒼白、しかも全身汗びっしょりなんですね。なんと、家の周りが40頭ほどの狼の群れにぐるりと取り囲まれているではありませんか。しかもその家はまだ未完成で、玄関に扉が付いていなかったのです。のれんのように薄い布をかけてあるだけで、狼たちはやすやすと中に入ることができるんです。やがて日がとっぷりと暮れると、ボス狼が遠吠えをしました。すると数十頭の狼も次々と遠吠えをします。まるでサイレンのように狼の声が家を取り囲むんです。ところが子供たちはその晩、ぐっすりと休むことができたのです。初めのうちは恐れていました。しかし、お父さんがこう言うんですね。「お父さんが寝ずに玄関口を見張っているから大丈夫。さあ、おやすみ。」いくらたくさんの狼の群れも、狭い玄関口を入ってこれるのは一頭ずつです。そしてその出入り口の正面には、お父さんがライフル銃を構えて立ちはだかってくれていたのです。子供たちは狼を追い払うことはできませんでした。しかし、狼の群れのただ中で平安だったのです。それは、父が完全に守り抜いてくれるということを信じていたからです。父に対する信頼が、心騒がずにいる根拠となっていたのです。

魂の父親に対する信頼

 私たちも時に人生において、狼に取り囲まれ八方ふさがりに思える状況になることがあるのではありませんか。自分の力でコントロールできない問題に閉じ込められてしまうことがあるのではありませんか。そんな時、その状況、その問題を完全に支配下において守ってくださる神と信頼関係にあるなら、心が折れてしまうことはないのです。キリストは言われました。「神を信じなさい」と。何故ですか。神はあなたを愛する天の父なのです。あなたを大切に思うあなたの魂の親だからです。この神を見失う人生は、精神的孤児として生きることなのです。私たちは誰もが絶対的に信頼できる父を必要としているのです。

間違いなく信頼できる方キリスト

 第二に、神を信じ、キリストを信じることです。これはキリストを神として信じるという意味です。何故キリストを信じることが大切なのでしょう。キリストは絶対に裏切ることがない、信じるに値する方であるからです。実は信仰で一番大事なことは、どんな信じ方で信じるかではなく、誰を信じているかという信仰の対象なのです。いい加減なものを熱心に信じていても、見事に騙されているだけです。しかし、間違い無き方をビクビクしながら信じるなら、間違い無い方の助けを確かに受け取ることができるのです。キリストは、紛れもなく神が遣わされた救い主であるということの証明書を持っておられました。それは旧約聖書なのです。実は旧約聖書の中には、神が遣わす救い主について350箇所も預言されているのです。この350の預言の全てを成就したのがイエス・キリストなのです。
 今から二ヶ月ほど前、永六輔さんが福島を訪問され、講演をなさいました。そこでご自分の体験談を話されたのです。実は永さんは今、パーキンソン病という病気にかかっておられます。車椅子に座ったままで歩けないのです。座っているときには前屈姿勢になっています。ある時病院に東南アジア系の女性介護スタッフがいて、永さんの担当になったそうです。そして、たどたどしい日本語でこう言いました。「この国には、『上を向いて歩こう』というとてもいい歌がありますね。私が教えてあげるから、さあ歌いましょう」どうしてそんなこと言ったんでしょう。永さんは下を向いて座っているだけだからです。だから上を向いて歩こう、と励ましたんですね。やがて病院を出るとき、永さんは彼女に言いました。「実はね、あの歌の作者、私です」すると彼女は大笑いして「も~永さんったらウソばっかりついて、何を言ってるのよ」…とうとう最後まで信じてくれなかったそうです。しかし彼女が信じようが信ずまいが、あの名曲の作詞者は紛れもなく永六輔さんですね。
 それと同じように、この世界をお創りになった作者自らが人としてこの世に来られた時、人は簡単にそうですかとは信じないでしょう。そのため、あらかじめ旧約聖書の中でやがて来る救い主の条件を預言していたのです。その預言の全てを実現したイエス・キリストは神の約束の完全実行者です。ですから、信ずるに値する救い主と言うことができるのです。

最大の問題の解決者なるキリスト

 第三に、キリストは私たちの罪と死の問題を十字架と復活によって完全解決してくださった方であるということです。 人が心騒がせる理由のひとつは、やましいものを抱えているときです。聖書の中に「悪者は追うものもないのに逃げる」という言葉があります。心に罪を隠し持っている人は、いつも何かに追跡されているような気持ちになっているって言うんです。どこに逃げても本当の平安がないんですね。本当の平安は、罪の赦しを得た後にやってくるのです。
 今から150年ほど前、アメリカのムーディーという伝道者はこんな実例を挙げました。刑務所から出た人がとある靴屋で雇ってもらったのです。ところが一年後、刑務所で知り合った悪友がそれを見つけて、靴屋に今晩泥棒に入るための協力を求めたのです。「もし断ったらお前の過去を主人に知らせるぞ、そうなったらお前はどうせクビなんだ」というふうに脅すのです。しかし彼はその誘いをきっぱり断りました。「主人はすでに私の過去を全部知っているのだ。その上で私を信用して雇ってくれたのだ。どうしてあの人を裏切ることができようか」と。赦しは彼に、人間としての誇りを回復させていたのです。
 キリストはあなたに、完全な赦しを与える方です。どうぞこの方を、救い主として受け入れてください。

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