新約聖書
「肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。」
(ローマ8:3)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.635 2012年5月27日

「真の問題を解決するキリスト」

おはようございます。三綿直人です!

 今朝は、「真の問題を解決するキリスト」というテーマでお話をいたします。まず、一つめに「真の問題とは何か」ということです。私は自分の息子の病気を通して、真の問題を知ることはとても大切だなぁと思いしらされました。私の2人目の息子が、生まれて数か月たったころ、肛門付近にしこりがあることに気付きました。病院に連れて行きますと、「ああ、膿がたまっていますね。ばい菌が入ったんでしょう。抗菌剤の塗り薬と飲み薬をだしておきます。」と言われました。しばらくするとこのしこりが破れ、膿が出てきて、良くなりました。しかし、またしばらくするとしこりができるんです。病院に連れていくとまた塗り薬と飲み薬の抗菌剤が処方され、またしこりが破れ、膿が出てよくなるという状態でした。でもまたしこりができるんです。あまりにもこの症状が繰り返されるので、思い切って病院を変えてみました。するとその病院では、「あぁ、これは私どもでは対処できませんね。紹介状を書きますから、国立の小児専門病院に行ってください」と言うのです。紹介された大病院に連れて行きますと、この問題を丁寧に図を書いて説明してくださいました。


カット

 「この子は肛門が狭窄しています。ゆえに、肛門付近に便を別のところから出そうとするバイパスができかけて、このバイパスのところにばい菌が入ってしこりができてるんです。このしこりから膿を出すことも大事ですけど、本当の問題解決は、肛門を大きくして、便がきちんと肛門から出るようにすることです。お父さん、今の時期に来ていただいて良かったです。まだ手術をしなくても指で肛門を大きくできると思います。」とおっしゃるんです。そのあとはご想像のとおり、病院中に響き渡るのではないかという叫び声がこだまする指の問題解決で息子の肛門は大きくされ続けています。

人間の罪こそ最大の問題

 さて、私たち人間にとって真の問題とは何でしょう。生まれた環境でしょうか。自分に才能がないことでしょうか。教育システムが悪いのでしょうか。いいえ、聖書は、「肉によって無力になっている」のが人間だと語り、真の問題は、肉、すなわち私たち人間に内在する罪の性質であると語っています。私たちは、自分以外の何かに問題をなすりつけようとするんですが、真の問題は、私のうちにある罪なのだと聖書は語るのです。本当の問題解決は、しこりから膿を出すことではなく、肛門そのものを大きくすることであったように、私たちがその罪の問題そのもの解決することが重要だと聖書は語っているのです。

大きい問題の前で自分は無力

 次に二つめのポイントにいきます。問題解決には自分は無力である、ということです。
 実は、人間が問題解決のために無力である、ということがわからないのは、一番最初にお語りしたように真の問題を知らないことにつながっていると思います。真の問題がわかっていないので、対処も間違ってしまうんです。もっと富があれば争いはなくなると考え、富の分配について考える人たちがいます。もっと教育があれば人は豊かになると考え、人本主義を訴える人たちがいます。もっと善行をつめば世界は良くなると考える宗教家たちもいます。政治を良くすれば人は平和で豊かな暮らしができると信じる政治家たちがいます。しかし、それらの解決が抜本的解決ではなく、とりあえずの解決策にすぎないことを歴史が証明しているのではないでしょうか。
 それだけではありません。問題は私自身である、と気づいて、自分の力でこれを解決しようとすると罠にはまってしまうのです。この罪の問題を自分で解決しようとすると、まず罪責感が生まれます。そして次にもっとなんとかしよう、とエネルギーを消費し、疲れ、あきらめがうまれます。そして、最後に失敗を重ね、さらなる劣等感に悩むという負の連鎖に入って行くんです。
「律法にはできなくなっている。」と聖書は語っています。律法とは何でしょう。それは613からなる戒めですが、その内の十がモーゼの十戒として有名だと思います。「殺してはならない、姦淫してはならない、盗んではならない」などと誰もが同意する戒めです。しかし、人間はこの当然の基本的な約束事を守ることができないんです。そして破ってしまったら最後、自分を責め、人を責め、心がますます心が衰えていくんですね。戒めというのは、人間に間違いを気付かせることはできますが、人間にそれを守らせる力がありません。ですから、自分の真の問題に気付き、それを解決しようと努力すると必然的に人間には渇きが出てくるんです。そうです、私には問題を解決することができない、という渇きです。

問題解決の秘訣は創造主にある

 さて、最後に、この問題を解決するのに「神にはできる。」ということを考えてこのメッセージを終えましょう。  私はこのラジオ収録の前、あるファミリーレストランでこのメッセージの準備をしていました。ドリンクバーでコーヒーを入れようと順番を待っていると前の人がなにやら文句をいってるんです。「あかんわ、これ、ぶっつぶれとるわ。」そう言いながら何度も何度もキャラメルマキアートのボタンを押していますが、一向にマシーンは反応しません。色々なボタンを押しまくっていますが、それでもうんともすんともいわないんです。横で奥様らしき人が「あんた、お店の人に聞きや!」と言っていますが、ご主人らしきこの人は、無言でいろんなボタンを押し続けています。忍耐深い私もさすがに声をかけようかと思ったその時、お店の人がやってきました。「どうかなさいましたか?」「どうしたもこうしたも、この機械つぶれてまんがな」お店の人は即座に答えました。「お客様、この小さいカップですと、この機械は何も反応しないんです。これはこちらの大きいカップ専用ですから。この大きいカップをこちらにおいてボタンを押していただけますか?」そして、この方がその通りにすると念願のキャラメルマキアートが出てきたんです。おじさんがいいました。「この機械すごいやん。小さいカップと大きいカップを判別しよるんや。中に人が入ってんのとちゃうか?ハハハハ」さすが大阪、と思いながら私は自分のカフェオレをいれたのでした。

人間を誰よりもご存じである神

 みなさん、この機械の仕組みを知っている人に聞けば、問題解決はあっという間でした。同じように、人間の仕組みを知っている方、人間の創り主が神です。私たちがどんなに自分で考え、努力してもできないことを神はおできになります。よく考えてみるといのちの問題に関して、私たち人間は自分で自分のことを解決できないようにできているのではないでしょうか。ある有名な外科医が語っていました。私は他の人の病気の手術はできるが、自分自身の病気の手術をすることができない、と。罪の問題はいのちの問題です。「罪からくる報酬は死です」と聖書は語ります。ですから、神は罪のないご自分の御子、キリストを罪ある私たち人間の身代わりに罰して、私たちの罪の問題を解決してくださったのです。あなたの真の問題、罪の問題は、罪のないキリストが身代わりに処分してくださったのです。ゆえにあなたには希望がある、と聖書は語っています。どうか、この真の問題を解決してくださるキリストをお知りください。この方を信じ、問題を解決してくださるよう、心からお勧めいたします。

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