新約聖書
あなた方は心を騒がしてはなりません。神を信じまたわたしを信じなさい。イエスは彼に言われた。わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
(ヨハネ14:1,6)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.652 2012年9月23日

「平安に至る道〜神とつながる〜」

おはようございます。高原剛一郎です!

 みなさん、こんにちは。高原剛一郎と言います。この時間を過ごせることをすごく楽しみにしていました。と言いますのは、実はラジオの収録というのは、孤独なんですね。スタジオの中でひとりぼっちになりましてね。自分の前にはリスナーの方はいません。ところが今日は、みなさんのお顔を拝見すること出来ますね。いつものように電波で一方的に話をするというのではなくて、同じ時間、同じ場所を共有できると言うことと、つながり会えると言うことが、私にはうれしくてたまらないことなのです。
 実はこの聖書というのは2000ページ以上ある分厚い本ですよね。その聖書のメッセージ、聖書全体のことばを一言で解くキーワードがもしあるとしたら、私はつながるということではないかなと思うのです。切れてしまったものがもう一度つながれる。壊れてしまった関係がもう一度修復される。そして、家出した少年がお父さんの懐に帰っていくように私たちを造って下さった真の神さまの所に、戻ることが出来るのだというメッセージが聖書メッセージなんですね。

 キリストが語ったことばをまずお読みしたいと思うのです。
「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」

心を騒がしてはならない

 まあ、心を騒がしてはならないという風に、キリストはおっしゃったのです。心を騒がすというのは、不安であるとか、思い煩いであるとか、緊張で、いっぱいになるとですね。私たちはね、いろいろうっかりが出てきます。
 実はね、今回あのー、この服どう思います?どう思うって言われても困ると思うんですけれどね。実はあのこう見えましても、これね、前で立つ人はね、衣装を整えようじゃないかという打ち合わせになりまして、スマートカジュアルで決めようということになったんです。いいですか。スマートカジュアル!ほいでね、一昨日、私はあのー、ユニクロに行ってきたんですよね。スマートカジュアルと言えば、ユニクロやろと、思って行ったらね、今はもうね秋物なんです。この夏の、この−なんて言いますか、クールビスのなんかない、ない中を何とか探し出してですね。そしてね、衣装を買ったんですけども。今日のこの収録の緊張のあまり、全部忘れてきたんです。こんなつもりじゃないんですよこれ。えーだからね、やっぱり心の中に心配事とか緊張があったらね。ついついこの上の空になってしまうことが多いと思います。

素晴らしかったものが欠陥商品に

 もっともっと緊張や心配事になると、ご馳走を食べても味がしない。人の話を聞いても上の空、そして、美しい景色を見ても心に感動するゆとりが無くなるのではないでしょうか。そして、心が病むとついに身体まで攻撃し始めるようになるんですよね。

 この「あなた方は心を騒がしてはならない」とキリストはおっしゃったんですが、私だってそういう風にしたい、だけど中々そうすることが出来ないその人間に対して、このようにすればよいのだという答えを語ってるのです。神を信じ、またわたしを信じなさいというのです。絶対的に信頼出来る方とつながることによって、解放されるのです。

肝っ玉の据わってる園児

 今から数年前にですね、私は九州の博多という、えーこの空港から、えー東京の羽田空港までね、飛行機でね、飛んだんですけれども普通の航空運賃に1000円余分にお金を払ったらね、スーパーシートに座らせてくれるんです。それ払ってね、疲れた同胞みたいな感じで、乗っていくんですけど、私の隣をふと見たらね、サラリーマンじゃない、どう見てもね、幼稚園児。こんな小さいときから贅沢を覚えたらね、ろくなものに育てへんぞ、みたいな感じで、おう、みたいな感じで、私も乗ってたらですね、その子のご両親やお兄さんやお姉さんや、6人家族7人家族、「はあ、金持ち家族っていいなあ」みたいな感じでですね。飛んだんですけど、そのときにものすごい乱気流に突っ込んだんです。もうね、3階から1階にストンと垂直に落ちるような揺れ方です。「気持ち悪いのよ、これ」それで後ろの方から、「ぶぉ〜、おえ〜」こんなんラジオで流してもいいんでしょうか。「ぶぉ〜、おえ〜」見たいなね。もう気持ち悪いは、むかむかするわ、「もうそれでスーパーシートかと、1000円返せー」みたいな気持ちで、私も前を持ちながらヒュ〜ヒュ〜、どうせ隣の幼稚園児はピーピー鳴いてるやろと、ぱっと見たらね。こんなんですよ。これ。「僕は大丈夫だから」みたいにね。もう微動だにしない、剛胆な園児というか、中々肝っ玉の据わってる園児じゃないかと思って関心したんですけど。お母さんに向かって「ぼく大丈夫だから、母さん心配しないで」そんな合図を送ってたんですよね。
 ようやく乱気流を突っ切りまして、羽田空港に着陸する寸前に機内アナウンスが入ったんです。いつもは女性の客室乗務員のアナウンスなのですが、その日に限って機長自らがアナウンスされていました。
 「皆さん、本日は当航空会社を使っていただいてありがとうございます。私事ですが実は今日、このフライトは私にとってラストフライトです。私は約30年間パイロット人生を来ましたが、今日を最後に引退します。これからも当社をよろしくお願いします。」っていった瞬間ね。隣の園児が、ぱちぱちぱちぱち、拍手。こういうのって伝染するんですよ。みな、ぱちぱちぱち、私も関係ないけど、ぱちぱちぱち。もうね、さっき私が出てきた時みたいな、あんな中途半ぱな拍手じゃないですよ。万雷の拍手。ねー、ほーっと、これ日本の将来捨てたもんじゃないぞ、こんな子供がおったらね。と思いながら、まあ空港に着いたときにああそうかと分かったんです。実はさっきの幼稚園児ってね、機長の孫。それでね、全て謎が解けたのです。実はこの子はね、信頼出来る方とつながっていたので、乱気流の中で正気を保つことが出来たんです。
 おじいちゃんに対する信頼です。自分の空の運命を握ってコントロールしてるのは、信頼に値するおじいちゃんなんだ、あのおじいちゃんが操縦桿を握っている限り、僕は大丈夫なのだと言うことが根拠となり、彼の平安になっていたようなのです。

最善の場所に導いて下さる方

 皆さん、私たちは人生の中でね。乱気流に突っ込むような経験を時としてするのではありませんか。自分の愛する家族が不治の病に罹ったり、或いはリストラになったり、或いは受験に失敗したり、或いは短期間の間に次から次へとがっかりするような事件が襲いかかってきたり、その時にね、「私の人生を本当の意味で支配して下さってる方は、全知全能の神で、この方は私に対して、最善未満のことは何一つなさらないんだ」と確信することが出来てる人は、恐怖のただ中でもパニックにつぶされることはないと思うのです。それはその人の根性が強いとか、意志が強いとか言うことではなく、信頼に由来するものなのです。私たちの見かけ上見える人生の中には、何か神さまなんかいないかのように、恐るべき事件やいやな問題が次から次へと降りかかるように見えるのですが、しかし、その人生の遙か上のところで、私たちを最善の場所に導いて下さっている方がおられるのだ。この全知全能の神さまとつながろうではないか。いや、この全知全能の神さまが最善をして下さるのだと言うことを信じることが出来ないので、次から次へと心配事が湧いてくるのではありませんかと。絶対的に信頼出来る私たちの造り主を見失ってるということが、私たちの不安の根源的理由なのではありませんかというのです。私たちは「この私たちを造った真の神さまとつながろうではないか」とキリストはおっしゃるのです。ぜひ、神の胸もとにキリストによって飛び込んで下さいますように、心からお勧めしたいと思います。

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