新約聖書
しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。
(Ⅰコリント1:30)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.681 2013年4月14日

「義と聖めと贖いであるキリスト」

 おはようございます。高原剛一郎です!

 さて、イスラエルという国に行きますと、死海と呼ばれる湖があります。海抜マイナス400mという世界一低い場所にある湖です。ここの塩分濃度は28%もあるため、魚も生息することができません。それで、死の海と書いて死海と呼ばれているのです。ところがこの死海の中で一か所だけ魚が生息しているところがあるんです。いったいどういう事なんでしょう。実は海底から一か所真水がすごい勢いで湧き出しているんですね。この湧水のエリア内にいる魚は普通に生きているんです。どんなに苛酷な環境の中にも、例外的な生存圏が用意されているという事に私は感動いたします。私たちの人生においても、絶対的安全圏が必要だなと思う時が多いんですね。聖書はこの神が準備した安全圏、それこそはイエスキリストなのだというんです。
聖書はこう語っています。

 「しかし、あなたがたは神によって、キリストイエスのうちにあるのです。キリストは私たちにとって義と清めと贖いとになられました。」

キリストの中という安全圏

 ここではキリストの中に逃げ込むものは、三つの特権を与えられるということが、宣言されています。
 第一に、キリストは私たちの義となられたというのです。義とは、たとえどんなに罪深い人生を生きてきたとしても決して神様から裁かれることがないという意味です。どうしてキリストのうちにあるなら、裁かれることはないんでしょう。山火事に取り囲まれて、逃げ場をなくしたとき、唯一助かる方法は自分のいる場所に火をつけることだといわれてます。火を放って、燃える物を前もって燃やし尽くしてしまうと、もはや火は焼くものがないので、やってこないからです。キリストは私たちに代わって、あの十字架に架かり神の裁きの火によって、一度焼き尽くされた方なのです。すでに焼き尽くされたところは二度と火がやってくることはないのです。したがって、キリストの中に逃げ込むのなら、どんな人であったとしても、2度と裁かれる心配のない完全に安全圏の中に入ることができるというのです。キリストが私たちの義となったとはそういう意味なんです。 

キリストの中にとどまる幸い

カット

 第二に、キリストは私たちの清めとなられたというのです。これはキリストを信じた後の歩みにおいて、私たちを癒し、回復させ、清め、より良く変えていってくださるという意味です。
 先日私は、九州に講演旅行に行きました。長崎から、宮崎、鹿児島と移動し、最後に坂本龍馬と愛妻お龍が逗留した塩浸温泉を見学したのです。この温泉に来る前、龍馬は京都の寺田谷で、暗殺されかけたのでした。それは薩長同盟を結んで、二日後のことです。盟友と二人で明け方近くまで話していたのです。そこへ50名以上の暗殺隊が襲いかかります。龍馬は持っていたピストルで応戦しますが、切りかかった刀をピストルで受けた時、左の親指と、人差し指に大けがを負うのです。血が噴出して、弾の詰め替えができないほどでした。彼はほうほうのていで逃亡しますが、出血多量で生死をさまよいます。奇跡的に薩摩藩にかくまわれ、療養した後、この塩浸温泉にやってくるのです。
 どうして京都からはるかに離れた鹿児島の山奥にまでやってきたのでしょう。ここは幕府以上の軍事力を蓄える薩摩藩の領内であったからです。すでに全国的に名を知られ幕府から、マークされていた龍馬にとって、安全な場所はほとんどなかったのです。どこへ逃げても、どこに隠れても、幕府の追手がやってくるからです。ただ、薩摩藩の領内は幕府といえども手が出せない聖域であったのです。この中に入ってしまえば、暗殺者や追手の攻撃を全く心配することなく、心身ともにリラックスすることができたのです。そこで坂本竜馬は、この世の外側に出た心地がすると言ってこの温泉を絶賛しているのです。彼はここで湯につかり、20日間もとどまり、昼はピストルで鳥を撃ち、あちこち散歩して英気を養います。そこには気の置けない妻と同志たちだけがいて、天下国家の理想を心行くまで論じ合うことができたといわれています。
 さて、キリストの中にとどまるとは、キリストと心行くまで交わることです。たとえ信じた後も試練は続くと思います。思いがけない事件や、様々な困難で傷を負うこともあるでしょう。しかし、私たちが傷を負うたびにそれをキリストの前に持って行って、正直に告白すればよいのです。聖書の言葉と、クリスチャンとの交わりによって、私たちは神から歩む力をいただくことができるのです。

栄光の姿に変えられる

 第三に、キリストは私たちの贖いとなられる方です。贖いとなるとはいったいどういう意味でしょう。ここでは、肉体の贖いを指しています。私たちの体は贖いを必要としているのだというのです。人間の体は一面においては実にうまく作られています。しかし、これらは老いていくし、病んでいくし、最後は死に至るものなのです。健康な時にはよいでしょう。しかし病によっては、自分の肉体が牢獄のように感じられることがあるのではないでしょうか。また、体の中に焼付いた悪しき習慣や薬物の記憶などは、本人の意思に反して、それを欲しがり悩ませるのではないでしょうか。私たちの体は決して、完全なものではないのです。しかし、キリストはやがてもう一度この世界に来られるのです。その時、キリストを信じている者の体は、一瞬にして栄光の体に変えられるのです。もはや死ぬこともなく、病むこともなく、老いることもなく、罪に負けることもない体に着替える日がやってくるのだと、聖書は約束しているのです。さて、これらのものはいったいどうすれば手に入れることができるのでしょう。キリストという絶対安全圏の中に身を隠すことによって得ることができるのです。キリストを自分の救い主として受け入れる人は誰でもキリストの中に匿われた者とされるのです。

今こそキリストを受け入れる絶好の機会

 実は、私の住んでいる大阪の東住吉区にはギネスブックに記録された方がお住まいなのです。大川ミサヲさんというおばぁちゃまです。彼女は115歳世界最年長の女性なのです。彼女が生まれたときの総理大臣は、伊藤博文だそうです。また、その頃ライト兄弟がまだ飛行機を発明していなかったという時代だそうです。明治、大正、昭和、平成と激動の115年を生き抜いてきたこのおばあちゃまにある新聞記者がインタビューをしていました。115年の人生を振り返って、どんな感想をお持ちですか。それに対して、彼女は言いました。「短かった。あっという間だった。」たとえ、100年以上生きても、過ぎてしまえば一瞬のことだったというのです。つまり人生というのは、まだまだあると思っているうちに、すぐに過ぎ去って行く機会なのです。
 どうぞ今日という絶好の機会を見逃さず、あなたのために人となり、十字架で裁きを引き受け、3日目に死から蘇ったイエスキリストを自分自身の救い主として信じてください。それがキリストの中に身を隠すという事なのです。心からお勧めしたいと思います。

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