旧約聖書
わたしが、あなたの神、主である。わたしはあなたをエジプトの地から連れ上った。あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。
(詩篇81:10)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.683 2013年4月28日

「あなたの口を大きく開けよ」

 おはようございます。尼川匡志です!
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 私は結婚して今年で32年になるんです。ずいぶん時間が経ったなあ、と思います。結婚したのは私が23、妻が21の時でした。実は私たちが結婚した時、クリスチャンではありませんでした。6年後の私が29歳の時、まず妻が信じ、それから私が信じたんです。もしこの時、聖書に出会っていなければ私たちは今、おそらく夫婦ではなかったんじゃないか、そんな状態だったんです。私も妻も、いい人、立派な人になったわけではありません。でも、たしかに聖書に出会い、人間として大切なことを教えられました。その一つは、自分が決して正しい人間ではない、罪人だという事実です。もう一つは、人間は神の一方的な愛で愛されなければ、決して自分も自分のまわりにいる人たちをも愛することができない、という事実です。今日は、この二つのことについて考えたいと思います。

神から離れ自己中心になってしまった人間

 まず自分が罪人である、ということです。私は人から、罪人と言われる筋合いはないと考えていました。私たち夫婦はよく喧嘩をしたんです。ある時こんなことがありました。机の上に置いていた書類が見当たらないんです。私は妻に「机の上の書類、どこやった?」と訊きますと、妻は「知らないよ。」って言うんです。私は置いた、と主張し、妻は知らない、と主張する。それぞれが自分は正しくて相手が間違っている、勘違いしていると考えます。人間関係の争いは、自分が正しく相手が間違っている、という主張からすべてが始まるんです。国際紛争でも企業間の争いでもご近所のトラブルでも、親子でも兄弟でも夫婦でもみな同じです。
 さて、聖書は神が人間を造ったと語っています。そしてその初めの人間を、アダムとエバ、と言うんです。彼らは元々、神を中心に生きていました。しかし、ある時から、彼らに罪というものが入ってしまったんです。その時以来、彼らは神中心から、自己中心の生き方に変わった、というんです。神中心に生きていた時は、神が正しいと言われることが正しい、と判断しました。しかし自己中心になると、自分の考えや思いが正しい、と決めるのです。正しさの基準が私の主観になるんですね。これは困りもんです。人の数だけ、主観と正しさがあることになってしまいます。

揺るぎない価値基準である聖書

 今、人間社会の中に起こっているすべての争いの原因は、私たちの中にあるこの罪、つまり自己中心が引き金になっているです。神中心の生き方なんて、自由がないじゃないかと思われるかもしれませんね。例えば、今はボーダレスの時代です。いろんな文化、習慣、価値観を持った人たちが世界中を自由に行き来する時代ですよね。それぞれの文化や習慣や価値観は尊重されるべきですが、その違いによって争いは当然生まれます。この時、人類に共通の判断基準が必要になるんです。個々の主観ではなく、人間としてどうなのか、何が正しいのか、それが必要になるんです。そんなものがあるのか、と思われると思いますが、あるんです。それが聖書です。人間を造られた神のことばです。つまり自分の主観ではなく、神のことばを判断基準にする。これが神中心の生き方です。夫婦とはまさに一つ屋根に住む、生まれも育ちも違う他人です。自分の主観で相手をはかると必ず争いが起こる。人間として何が正しいのか、という基準が必要になるんです。私たちは結婚6年目にして、その基準を手に入れたんです。

愛された人だけが愛することができる

 さて二つ目です。人間は無条件の愛で愛されなければ決して自分もまた自分のまわりの人も愛せません。私たち人間は与えられなければ、何も持つことができない存在なんです。生まれた時から、栄養だけを与えらえて、ことばも文字も考え方も何一つ受けなかったら、その人は何もできない人間になります。正しく躾けられた人と躾けも何も受けなかった人、大人になったら大違いです。子供時代にたっぷり愛された人とほどんど愛を受けなかった人。他人を愛することができるのは、愛情注がれた人に多く顕れます。人間は愛情も受けなければ、安定しないんです。そして愛を与えることもできません。
 でも私たちは、両親も生まれる環境も自分で選ぶことができないんですね。もし不幸な境遇に生まれ、愛情受けずに子供時代を過ごせば、どうなるでしょうか?自分に自信が持てません。人と比較し劣等感を持ちます。自分には価値がないと思います。欠点だらけだと思い、自分のことが好きになれず、その欠けている部分をなんとか満たそうと必死になります。人から評価されたい、愛されたい、満たされたいと願うんです。自分のことで精いっぱいです。これではまわりの人を愛する余裕など出てくるはずがないんですね。そしてまわりとの関係がぎくしゃくするんです。それはあなたの性格によるのではありません。豊かな愛を受けてこなかった結果なんです。

あなたは豊かな愛で愛されている

  さて今日、私が聖書から受けた事実をみなさんに知ってほしいと思っています。神はあなたを愛し、この世界に生み出されたという事実です。あなたは神の無条件の愛で本当に愛されています。あなたの命もからだも目も耳も心臓も胃も腸も、そして水も空気も、すべてが与えられているのです。神に愛されているのです。でもこの事実をあなたはご存知ないんです。その愛を受け取っていないんですね。これはもったいないことです。聖書の中に、このようなことばがあります。

 「あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。」

 神の愛はあなたに豊かに注がれています。それを知れば、あなたは顔を神に向けて愛を受け取ればいいんです。でも、どうせ神なんかいない、信じたらバカを見るとうつむいているから、受けることができないんです。立ち止まって、天を仰いでみてください。思いっきり口をあけてみてください。神はあなたを満たそうと今もしておられるんです。神はあなたの天の父です。あなたを造り、あなたを心から愛しておられるんですね。でも私たちには、残念ながら罪があります。だから、神中心ではなく、自己中心の生き方になってしまうんです。自分の考えが正しいと思い込んでしまうんです。そして神を信じず、愛されていることも受け入れない。あなたの口を開こうとしないんです。この自己中心の罪が取り除かれる必要があるんです。イエス・キリストが来られたのは、このためなんです。
 イエスはある箇所でこのように呼ばれています。「世の罪を取り除く神の小羊」あなたの罪を取り除くために、来られた方です。この方を私の救い主と信じる時、あなたの罪は取り除かれ、神を信じる人生に入ることができるんです。あなたは豊かな愛で満たされるんです。あなたの口を大きくあけてください。神の愛で満たされてください。お勧めいたします。

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