新約聖書
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.691 2013年6月23日

「父の値段、私の値段」

 おはようございます。高原剛一郎です!
カット

 先日ニュースで、携帯電話の51%はスマートフォンになったと報道されていました。つまりタッチパネル型のスマートフォンが携帯電話の半分以上を占めるようになったっていうんです。元祖スマートフォンがアップル社から出てからしばらくすると、他のメーカーもみな一斉にスマートフォンを開発製造するようになったからです。これはパソコンについても言えます。タブレット型のiPadが登場すると、しばらく後で他のメーカーもみなよく似たタブレット型のパソコンを作るんです。飛びぬけて優れた製品が登場すると、みんなそれを真似するんですね。つまらない製品を真似るメーカーは一つもありません。真似をされるというのは、それだけ優れているということの証なんです。
 ところで今、世界のあらゆるジャンルのメーカーがこぞって真似ようと努力している対象があります。それは自然界です。自然界に生存している様々な生き物をものまねることが21世紀のコンセプトになっています。なぜなら、自然界の生物は究極の合理性を持つ、完璧なかたちをしているということがわかっているからです。これを英語で、「バイオミミクリー」と言います。訳すと、「生物模倣」です。模倣というのは似せること、真似ることです。

人間の予想を越えたデザイン

 今、メルセデスベンツが注目しているのは、ハコフグ、という魚です。これは、さかな君がかぶっている帽子のモデルですね。箱のかたちをしたフグなので、ハコフグと言います。英語では、「ボックス・フィッシュ」っていうんです。なぜこの魚が注目されるんでしょう?水中では四角い形は動きにくいと考えられています。現に、たいていの魚は流線型をしてるんですね。水の抵抗を受けないように、細身でなめらかなスタイルです。ところが、このハコフグは角張った形をしていながら、実に機敏な動きができるんです。ベンツ社が試しにハコフグの構造を細かく調べ上げ、工業的に再現してみると従来のボディ重量が三分の一に軽量化され、しかも衝突耐久性などが全く変わらないままで、燃費は20パーセントもカットできるということがわかってきたんです。箱型なので、たくさんの人が広々と乗り込めるのに、しかも空気抵抗低く抑えることができるんですね。

万物の第一原因者なる神

 ところで、他社に先駆けて最初に登場した、元祖スマートフォンや元祖タブレットは、誰も思いつかないアイデアを盛り込んだという点で特に優れた設計者が作ったと言えるでしょう。アップル社のスチィーブ・ジョブズがそうですね。みなから模倣の的とされる作品には、天才的な作者がいる、ということの証です。では、世界中のメーカーがこぞってものまねる自然界には、なおさら優れた作者の存在を認められるのではないでしょうか。
 聖書はその万物の第一原因者を神とお呼びするのです。この神のおこころをずばり言い尽くしたみことばを紹介致しましょう。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

 このみことばを見ると、神は間違いなくあなたを愛しておられることが、三つの点でわかります。
 神があなたを深く愛している、と言える理由の第一は、あなたが神の最高傑作である人間として造られているということです。人間と動物にはたくさんの共通点があります。しかし、動物にはなく、人間だけが持っている特質があります。それは、永遠を思う心です。祈る心です。あるいは宗教心ですね。どんなに賢いイヌも、神に祈るということはありません。ただ人間だけが永遠に対して思いをはせるんですね。神は神のイメージに似せて人間をお造りになったからです。  第二に、神さまは、たとい人が罪人と成り果てた後でも、愛し続けておられるからです。従順で神の役に立ち、品行方正で立派だから愛する、というんだったらわかります。しかし神は、世を愛された、と書いてあったのです。世というのは神に反逆する世界のことをいうんですね。神さまに逆らい、無視し、遠ざかっていく人々をもそれでも愛し惜しんでいる方、それがあなたの造り主である、神なのです。
 第三に、私たち罪人を永遠の滅びから救い出すために、ご自分のひとり子、イエス・キリストのいのちで私たちに代わって罪の償いの代価を払って下さったからです。あなたはキリストのいのちの価値を持って見られているというのです。

払った代価で愛は計られる

 古本屋を営むかたわら、直木賞作家でもある出久根達郎さんのエッセイに、「おやじの値段」というのがあります。ある時、一人のサラリーマンが出久根さんの店先で「あったぁ、ついに見つけたぞぉ。」と歓声をあげたのです。彼が見つけたその本は、一目で自費出版とわかる、なんの値打ちもない古本でした。しかし彼は声を弾ませながらこんなことを話し出したんです。
 実は自分の父親は文学好きが高じて、自分でも小説を書くのが趣味だったそうです。そうしてある日のこと、とうとう借金して二千冊のも自費出版にふみきったというんですね。本がどっさり届いた日には、お父さんの喜びようは、もうそれはなかったそうです。ひとりはしゃぎまわるそのお父さんをお母さんと自分はさびしく見つめていたっていうんですね。と言いますのは、たいへん貧しい生活をしていたからです。無名の人の書いた無冠の小説は、ほとんど売れずにいたのですが、そうこうしているうちに、父親はあっけなく亡くなってしまうのです。お母さんは借金返済のため、それを本屋や古本屋に持って行くのですが、「全部売ってもコッペパン一つ分くらいにしかなりません。」と言われて、驚愕するのです。破れかぶれになった母親は結局その本を、一冊残らず古紙回収業者に売り飛ばすのです。つまり、トイレットペーパーの材料にしかならなかったんですね。それからは借りたお金の返済でさんざん苦労することになったのです。
 ところが、あれから何十年も経って自分が父親の亡くなった年齢になった時、ふいに父親の本を読んでみたくなるのです。いったい父は何を考え、何を思い、何を訴えたかったんだろう。それで全国の古本屋をくまなく捜し歩くのですが、どこに行っても見つけることができなかったのです。その一冊をとうとう今日、この店で見つけたっていうんです。彼は言いました、「いくらですか?」出久根さんは言ったんです。「いやあ、そんなことだったら、もう無料でお持ちください。」「いやいや、それはいけません。値段を言ってくださいよ。」そこで出久根さんは言いました。「じゃ、百円で。」とその時、彼が怒り出したんですね。「なんだって?百円だって?おやじを侮辱する気ですか。」そう言うと、「五千円でどうですか。いや、五千円にしましょうよ。」と言って買って行ったというのです。どうしてわざわざ高く買うんですか。父の心を安く買いたくなかったからです。高額な代価は、父への愛の証しであったのです。

無限の愛で愛されているあなた

 ところで、神はあなたをどれほどの価値で買い取って下さったか、ご存知ですか?実にそのひとり子のいのちであなたを買い取られるまでに、あなたを愛されてるのです。
 どうぞ、この神さまの招きに応えて、イエス・キリストをご自分の救い主として信じてください。心からお勧めしたいと思います。

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