新約聖書
狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。
(マタイ7:13)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.696 2013年7月28日

「狭い門から救いに入れ」

 おはようございます。尼川匡志です!
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 聖書の、伝道者の書の中にこんなことばがあります。

「祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。」

 奇妙なことばと思われませんか?祝宴の家より、喪中の家に行くほうがなぜよいのでしょうか?普通は逆です。でもその理由も書かれています。そこにはすべての人の終わりがある。つまり死があるからだ、というのです。聖書は私たちに自分の死を心に留めよ、と言っています。どんな人でも生まれたからには、必ず死にます。死は私たちの人生において、当然起こるべき想定内のことのはずです。しかし、いざ自分や自分の愛する人たちに死が襲いかかると、まさか、と思うんです。死は想定内のはずなのに、私たちはいつの間にか、死を想定外のこととして考えてしまっています。それは危険なことだ、と聖書は警告しているんです。なぜでしょうか?そのことを今日考えてみたいと思います。

人間を絶望に突き落とす死

 私たちが死を想定外と感じるのは、死のことを考えないようにしているからです。おもしろい映画を観ているとします。いよいよラストシーン、最高の場面に入ったその瞬間、プチッと映像も音声も切れたらどうでしょうか?たまりませんよね。でも、死とはそういうもんなんです。どんなに人生が充実していても、仕事が波に乗っていても、子供が小さく手がかかっていたとしても、苦労の末、やっと幸せになったところだとしても、死は突然、私たちに襲いかかります。映画がおもしろければおもしろいほど、途中で切れてしまったら、たまらないように、人生が充実すれば充実するほど、死によって中断されることはたまらない恐怖であり嫌悪です。だからそんなことは考えたくないのです。そして死を頭から締め出してしまうんですね。

死に向き合うことができる理由

 考えたくないもう一つの理由は、死が絶望の世界であり、一片の希望もないと考えているからです。私たちは幼い時から、死は最悪のことと教えられてきました。だから死イコール絶望です。希望があふれている世界と絶望に満ちている世界、あなたはどちらのことを考えたいでしょうか?もちろん希望の世界に決まっています。だから私たちは死を考えません。想定外へと追い出してしまうんです。でも、だからといってこの死の恐怖や絶望から解放されているわけではないんです。ただ目をつぶっているだけの話です。よく考えてみて下さい。もしあなたの未来に待っている死がある日突然襲いかかり、すべてのものを奪い去り、そこには絶望しかないとするなら、あなたの人生は、なんて不確かで恐怖に満ち、虚しいものではないでしょうか?私たちはただその中をなんの手だてもなく、黙々と歩いていくしかないんでしょうか?聖書はそうではない、というんです。死はただの暗闇、絶望ではない、そこには脱出の道があるんだ、だから死を恐れ、目をそらせ続けるのはやめよ、むしろ喪中の家に行って、しっかり自分が死ぬ者であることを見つめよ、そしてそこにある希望への脱出の道を見つけ出せ、と語っているんです。

脱出の道は備えられている

 三年前に南米のチリの鉱山で起こった落盤事故は、まだ記憶に新しいと思います。地下700メートルに作業員33名が取り残されました。すぐに生存は確認できましたが、救出は簡単ではありません。この時点で一つわかっている事実があります。それはこのまま放置すれば、この33名は多少の時間差はあったにしても、全員が死ぬということです。この状況は見方によっては、私たちの今の状態と似ていないでしょうか?時間差はあっても、全員が必ず死ぬんです。
 さてこの33人にとって必要なものとはなんでしょうか?地下生活を快適に過ごす方法でしょうか?快適な音楽やおいしい食事や豊富な情報、確かにそれらも無駄ではありません。でも一番必要なものでは、ないんです。一番必要なものはこの状況から救われる方法です。しかし、残念ながら彼らがいくら知恵を絞っても、自力で自分たちを救うことはできません。地上から助けが来なければ助からないんです。69日目にその救いが実現しました。綿密に練られた救出計画は実行され、地上からフェニックスというカプセルが吊りおろされて、33名全員が地上に救出されたのです。
 さて、あなたがこの33名の一人だとしたら、どうでしょうか?地上からの救いがなければあなたに未来はありません。そして地上で救済計画が進んでいることをもし知らされてなかったら、恐怖しかなかったはずです。私たちはこの地上の人生という時間の中に、閉じ込められている33人の一人と見ることができます。いずれ死があなたを襲います。だからそれまでの時間をいかに充実したものにするかを考えます。そして、死をできるだけ考えないようにするんです。でも、もしあなたの知らないところであなたの救済計画が練られ、実行されていたとしたらどうでしょう?そして脱出のカプセルが、あなたの目の前にあるなら、ばかばかしいと一笑にふされますでしょうか?

あなたを救う神の計画とは

 今から二千年前、あなたの救済計画がイエスの十字架によって実現したんです。イエスは天からあなたを救い出すためにこの地上に降りて来られました。永遠の天国にあなたを救い出すために。あなたの人生が、ある日突然訪れる死によって終わり、永遠の暗闇に落ちてしまうとしたら、あなたの人生は、ブレーキの利かない車で恐怖の絶壁に向かって突っ込んでいるようなもんです。でも聖書は語るんです。

「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。…いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」

 希望への道は確かに見つけにくいです。でも、本当にあるんです。天からあなたを救うためのカプセルはすでに下ってきているんです。あとあなたがその中に逃げ込めばいいだけです。その脱出カプセルを手に入れたら、あなたは死の恐怖から解放され、恐れることなくこの地上の生涯を全速力で、走り抜けることができるんです。なぜなら、死の向こうに、絶望ではなく希望の光を見出しているからです。そんなものはない、と思い込まないで下さい。永遠の希望はあるんです。あなたの人生は決して絶望で終わらないんです。狭い門を見つけ出して下さい。いのちに入って下さい。心からお勧めしたいと思います。

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