新約聖書
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.704 2013年9月22日

「神の望み・あなたが滅びないこと」

 みなさん、こんにちは!
カット

 私は先週、福島に行きました。聖書の講演をするためです。郡山というところから福島まで、東北本線に乗って、そして電車でずっと行ったんですけど。隣に座った方ととっても仲良しになったんですね。彼はまだ若かったんですけれども、お米を作っている農家の人でした。そしてこう言うんです。「福島のお米ってのはね、すごくおいしくてね、安全でね、安くていいんです。」なぜそんなことが言えるかといいますと、毎年40種類くらいのお酒が金賞をとるそうです。そのうちの約半分が、福島の吟醸酒だそうです。「どうしてそんなにおいしいお米作れるんですか。」と訊いたら、一言こう言ってましたね。「心を込めて作るからです。」「心を込めて、手塩にかけて作ったらね、いいものができる。世の中に送り出す私たちものは、私たちが納得したものだけなんです。」ということを聞きながら、私は人間の作者である神さまのことを考えてました。

人間の限界と可能性

 今から13年前の4月の第一日曜日、この「聖書と福音」の番組が始まったんです。私は一回目に話したメッセージの内容をね、今でも覚えてるのです。その時私は、チャールズ・シュルツというアメリカの漫画家の話をしたのです。世界中の新聞に今なお掲載されているあの「ピーナッツ」という漫画の作者です。そしてチャールズ・シュルツさんは実はクリスチャンです。なのであの漫画はただの漫画ではなく、聖書の価値観や人生観をあの作品の中で表明しているのです。ある時、口うるさいルーシーという女の子がね、スヌーピーに向かって言うんですね。「どうしてあなたが犬のままで我慢できてるのか、不思議だと思うわ。」って言うんですよ。犬に向かって何ゆうてんねん、言うかもまかりません。ま、実はね、スヌーピーっと犬はね、犬離れした犬なんです。哲学する犬。「あなたみたいな思索するものがどうして犬であることに満足しているのか不思議だわ。」それに対してスヌーピーが心の中でつぶやくんですね。「配られたカードで勝負するしかほかないやんけ。」と言うんですよ。ポーカーってのは、配られたカードで勝負します。実はスヌーピーにとって、自分が犬であるということは配られたカードです。自分の飼い主がチャーリー・ブラウンという情けない少年であるというも、配られたカード。口うるさい女の子が隣人にいてるというのも、配られたカード。そしてそれをどうして受け入れることができるかと言ったら、配った作者は自分に対して、好意的だという信頼を持つことができるからです。

間違いを犯さない創造主

 みなさん、私たちの人生を考えていったときにね、自分のせいではないけれども、望まない生い立ちの人って案外いるんじゃないですか。人、親選ぶことできない。生まれてくる国や時代や文化的背景を選ぶことできないんです。配られたカードで勝負するしかない。その時にね、私にその人生を与えて下さった方は、私に悪意を抱いてる存在なのではなく、私を愛し、私を慈しみ私のことを大事に思っている、私をあったかーい眼で見守って、さあ、このカードで自分の人生の中で勝負してみないか、と冒険を誘っておられる方がおられる。もし創造主なる神が私を造ったとするならば、私の存在は絶対に間違いじゃありません。私の言うこと、やることには間違いがあるでしょう、でも私の存在そのものは間違いではありえない。なぜなら、神は絶対に間違いを犯さない神だからです。あなた自身がこの神に愛されているというを知ることが、神の望んでいることです。私たちが滅びないということです。御子を信じる者がひとりとして滅びることがないためである、と書いてありましたが、私たちが滅びないこと、これを神は心から望んでおられると聖書は語るんですね。

人間は神の前に失われている

   ところで、みなさん、滅びってどういう意味かと言いますとね。失われている、という意味があるんです。聖書が言ってる滅びっていうのは、消滅ではありません。居るべき場所に居なくなってること、所有者にとって失われている状態のことを、聖書は滅びているというふうに言うんですね。
 みなさんは、あのホンダっていうメーカー、会社、ご存知だと思いますね。このホンダの創業者は本田宗一郎さんという方です。私ね、この本田宗一郎さんと一緒に食事したことあるんです。彼によりますとね、ベトナムで走ってるオートバイの85パーセントはホンダ製だそうです。だからね、ベトナムでは単車のことをね、ホンダって言うんです。オートバイ買うって言わずに、ホンダを買う。オートバイ修理すると言わずに、ホンダを修理するって。だから、ベトナムではヤマハのオートバイ買う時にね、ヤマハのホンダを買う、って言うんですって。
 このホンダの車をアメリカでバンバン売ってくれた販売会社の社長がいたんですが、そのアメリカ人の社長、日本に呼んで、東京のとある料亭でね、労をねぎらうために宴会やったんですが、その宴会でね、お酒ちょっと飲みすぎてその社長さんがね、気持ち悪くなって、トイレ行って、ブエーッってもどした。もどした時にね、入れ歯がプオーってはずれてね、便器に落ちたそうです。水洗だったらすぐに拾い上げることできる。だけど、汚物が下に溜まってるそこに入れ歯がプカプカと。なかなか社長が帰ってこないことでホンダの社員が見に行ったらね、もう悩んではる。そこで社員たちが棒でなんとかすくい上げようと思って、すくい上げよう、すくい上げようやってるうちに押し込んでしもて。見えへん。宗一郎さんが、どないしたんだいうことで見に行ったらね、かくかく云々、こうです。おまえら、自分の身を汚さないで解決しようと思うからそうなるんや、と。言うが早いや、こう腕まくりしてね、手でガバッーつっこんで手づかみ。グワー・・・これやっ。違った・・・みたいな、これ。ダアー。ほんで無事に入れ歯をすくい上げてきれいに洗って、入れたんですが。まあね、僕はね、それは本で読んだ話です、そこの部分はね。

神が用意してくださった人間の救い

 だけどね、滅びって一体どういう意味か。失われている。オーナーの元から失われている、あるべきところにはない。これが失われているという意味。滅びている、という意味なのです。それと同じようにね、人間もね、本来いるべき、関係を結び続けているべきお方がいた、それが私たち人間の作者にしてオーナーである神さまです。神さまに背中を向けて、神なんかいないという人生観で生きることを、聖書は、罪というふうに言うのです。この創造主から離れる罪、この罪を持ったまま死ぬならば、私たちは創造主のいない世界に、死後行きます。完全に神の前から失われている状態の世界のことを、地獄って言うんです。この完全に失われる状態に行かせたくない。ああ、生まれてきてよかったという人生を、神さまは私たちに味わわせたいのです。この滅びないこと、私たちが創造主の元に立ち返えるようにするために、神はイエス・キリストという方を遣わして下さったのです。あなたが滅びないことを望んでる神さまが、あなたのために救い主イエス・キリストを遣わして下さったことを信じ、この死んでよみがえって下さった方とともに、歩むということ。これが神が私たちに無条件で与えて下さってる救いなのです。
 どうぞみなさん、このイエス・キリストをご自分の救い主として、信じ受け入れて下さい。心からお勧めしたいと思います。

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