新約聖書
 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。
(ローマ8:34)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.732 2014年4月6日

「罪人を正直にさせるキリストの恵み」

おはようございます、高原剛一郎です!

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 私は先日、モンゴルの人たちの名前について教えられて本当にびっくりしました。というのは、とってもひどい意味の名前があるんです。フンビッシュという名前は人間ではないという意味です。ネルグユは名無し、ノホユフは犬の子供、ホロホイは虫、バーストなんて糞まみれという意味なんです。普通、親は子供には夢を託した名前を付けるのではありませんか。もし日本で糞まみれという名前で役所に申請したら窓口で突き返されると思います。ところがモンゴルでは、おおよそ動物にも付けないような意味の名前を我が子に付けるんです。一体何故なんでしょう。
 実は古来モンゴルでは子供が病気や災害で亡くなるのは魔物のせいだと考えられていたのです。そこで魔物が取りつかないように、あえて子供に人間とは思えないような名前を付けたっていうんですね。一見、悪意ある名前の付け方に見えますが、そこには親の子に対する深い愛があるのです。ひどい名前の背後に子供を思う愛が秘められているのです。

聖書が語り続ける神の愛

 この世の中で起こる様々な事件や人生の一大事に遭遇すると神が愛だとは、とても思えない時があります。実際この世の不幸の大部分は神によるものではなく罪深い人間の暴走や手抜かりによるものが多いと思います。しかし、それにもかかわらず神は愛なのです。あなたをお造りになった神はあなたを愛し、慈しみ、そして恵みを準備して待っておられる方なんですね。この神様がキリストによってあなたのためにしてくださったことを今日はご紹介いたしましょう。  聖書にこう書いてあります。

「罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。」

 ここにキリストがあなたのためにして下さった三つの事が書いてあります。

どんな罪に対しても赦しが備えられている

 第一にキリストはあなたが罪に定められることがないためにあなたの罪を負って死んでくださったという事です。このキリストの死によって私たちは恐れなく、ありのままの姿で神に近付くことができるのです。
 以前ニューヨークという週刊誌に子供を使った心理実験の話がありました。子供に対してまずオオカミ少年の話を迫力満点で聞かせるのです。暇を持て余している羊飼いの少年は狼が来たと叫びます。大人は大騒ぎして駆けつけるんですが、その慌てふためく様子がおかしくて彼はこの悪質な悪戯を何度も何度も繰り返すんですね。ところがある日の事とうとう本当に狼が襲い掛かってくるんですね。少年は大声で助けを叫びますが大人は誰も信用しません。とうとう彼は狼に食べられてしまうんです。この話は子供にとって恐るべき結末に至る怖い怖いストーリーです。嘘をついたらとんでもなく酷い目に合うという話を聞いた後、子供たちは嘘をつかなくなったかどうかを調べると、なんと、何の変化もおこすことがなかったという事が分かったんです。
 次にワシントン少年の桜の木の話をします。少年ワシントンはお父さんの大事な桜の木を斧の試し切りに当てて切り倒してしまうんです。帰宅した父親はいったい誰がやったのかと問い詰めます。ワシントンは僕がやりましたと正直に告白するんですね。お父さんは正直な息子を持つのは千本の桜を持つよりも誇らしいと応じ、彼を抱きしめるんです。この話を聞いた後で子供たちは嘘をつくことが43%も減ったというんです。心理学者たちはこの二つの実験から次のような結論を出しました。人は恐れさせると嘘をつかなくなるのではなく、もっと巧妙に嘘をつくようになる。しかし、正直は喜ばれるという事を知ると嘘から遠ざかろうとする。何故でしょう。罪の許しのある世界では嘘をつく必要性がそもそもないからです。
 キリストはあなたのために十字架にかかって、あなたの罪の償いをすでに全部なし終えてくださいました。キリストには許しがあるのです。どんな罪に対しても許しが準備されているのです。だからこそ人は悔い改める事ができるのです。恐れなく神様の前に正直に立ち返ることができるんですね。

天国の存在を保証した復活の事実

 第二に、この方は死後三日目に復活してくださったのです。死と死後の裁きが待ち受ける人生を天国と復活が待ち受ける人生に転換してくださったのです。
 ところで、どんな文章でも最後に悪い意味でと付けると、それは悪くなると言われていますね。彼は頭がいいね。悪い意味で。狡猾なやつだという意味になるんですね。彼はよく分かってるね。悪い意味で。狡いやつだという意味ですね。しかし、どんな文章でも最後に、いい意味でという言葉を付けるとそれは良い意味にひっくり返るんです。あの人はけちだね。いい意味で。倹約家という意味ですね。あの人は強引だな。いい意味で。実行力があるという褒め言葉なんです。最後に悪い言葉がくっつくと途中が良くても悪で終わります。最後に良いものがつくと途中が悪くても良い結論に至るのです。これは人生についても言える事です。罪人の人生の終わりに待っているのは死と死後の裁きでした。しかし、キリストは十字架に架かり死にそして三日目に蘇ることで天国と復活の体を保証してくださったのです。

私たちと共に歩んでくださる方

 第三に、この方は今、天国であなたのために日夜、執り成しの祈りをしておられるのです。自ら人間を経験したキリストは人間の弱さ、脆さ、限界をよく御存じです。キリストはその弱いあなたの側に立って日夜あなたを応援し、あなたのために力ある祈りを父なる神様に捧げ、また、あなたと共に歩んでくださる救い主なんです。
 今から二百年程前ハワイではハンセン病患者は見つかってしまうとすぐにモロカイ島という島に隔離されたのです。そこは患者が捨てられる場所です。その見捨てられた島にベルギーから移り住んで彼らの世話に生涯をささげた人物がいます。ダミアン神父という人です。彼はあまりにも無防備に患者の傷に触れ続けたためにやがて自らも感染し発症してしまうのです。かつて稀に見る美青年であったダミアンの姿は病魔に侵され見るも無残な姿に変わり果てていきます。しかし、ダミアン自身は初めから、この島に骨を埋めるつもりでやってきたのでした。そして人々に呼びかける時に私は、と言わず私たちハンセン病者は、と名乗っていたのです。彼は完全に見捨てられた人々の側に立っていました。その中に加わり、その人々のようになり、その人々と共に生きたのです。彼の模範はイエスキリストに他なりませんでした。
 イエスキリストこそはあなたの側に立って、あなたを取り成す救い主なのです。どうぞあなたのために十字架に死に、三日目に復活し、あなたのためにとりなしているキリストを救い主として信じ受け入れてください。心からお勧めしたいと思います。

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