新約聖書
 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
(1ヨハネ4:9)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.750 2014年8月10日

「人生のゴミをリサイクルする神」

おはようございます、高原剛一郎です!

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 私のカバンにはいつも、折りたたみ式の傘が入っています。突然の雨でも、傘があれば便利であるからですね。
 ところで、この「雨傘」はいつ、作られたんでしょう。18世紀にイギリスの商人、ジョナス・ハンウェイがペルシャを旅行中に見た中国製の傘に、防水加工を施したことが最初とされています。ところが、ハンウェイは数十年もの間、雨傘を差すたびに世間の笑いものになっていました。どうして彼は笑われていたんでしょう。当時のイギリスでは傘と言えば、女性が日差しを避けるために使う道具であったんですね。今で言うなら、男性が口紅を塗ったり、ハイヒールを履いたりするような行動なんです。当然、周りの人々から嘲笑され、時には嫌がらせまで受けたのです。しかし彼は、そんな嘲りにも負けずに、上流階級の人たちが集まるフォーマルなパーティーに、傘を持って出かけ続けたんですね。そのうちに、雨降りでいかに便利であるか、ということが認識されるようになって、一気に認知されていくんですね。そしていったん偏見がとけると、今まで採用していなかったことが不思議に思えてくる、と言うのです。しかし、イギリスでは自分たちの作ったこの偏見のために、何十年も、受け取ることができたはずの便利さを受け損ねていたんでした。

先入観からの解放

 ところで、私たち日本人にも偏見があると思います。特に、聖書に対する先入観には、とっても根深いものがあると思います。あれは外国の宗教の本である、とか、品行方正な人が読む道徳の本である、とか、まあいろんなイメージが先行していて、はじめから自分には関係が無いと思い込んでいる方が多いように思うのです。しかし、聖書は宗教の本ではありません。この世界を造られた、生けるまことの神のことばなのです。この世界の第一原因者に国境の区別はありませんね。真理は真理なのです。
 さて、この聖書のことばを今日も1つご紹介いたしましょう。

  「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」

 

 ここから、3つのポイントでお話しいたしましょう。

聖書が語る創造主なる神

 第一に、神はあなたの造り主である、ということです。聖書の語る神は、人が作った神々ではなく、人をお造りになった方です。あなたという存在に、あなたという特徴の全てを与えてくださった方なのです。神は、あなたという存在に、あなたという個性を与えてくださったんです。あなたは、あなたという賜物を神から託されているのだ、と言うことができるのです、 私は先日、フェスティバルホールで、燃える指揮者・小林研一郎さんと、ヴァイオリニストの千住真理子さんのコンサートを聴きに行きました。千住さんの持っているヴァイオリンは、言わずと知れたストラディバリウスです。しかもそれは、世界に4丁しかないデュランティで、数億円もする名器なんですね。千住家では、何とか彼女にこのヴァイオリンを与えたくて、お兄さんたちが必死で金策に走り回ったという、その話は有名なことです。そんな愛情のこもった天下の名器を、彼女はアーティストとしてそれはそれは大切にしています。大切にするとは、磨いて箱に入れて仕舞っておく、ということではありません。この楽器の能力を自分の限界まで引き出すために、徹底的に弾きこなす練習に打ち込む、ということです。

神から一人ひとりが賜ったもの

 それと同じように、私たちは一人ひとり、神から自分という特性を持った名器をプレゼントされた存在のなのです。ですから、他の人のようにならなくても良いのです。しかし、与えられた自分を乗りこなしていく努力は必要なのです。そしてその第一歩は、自分を神から賜ったものとして受け入れるということなのです。あなたという存在は、世界にたった1つです。デュランティでも4丁あります。しかしあなたは、人類史上、後にも先にもいない、たった一人の存在ですね。しかも、思慮深い神があなたに託されたのですから、それが無駄なものであるはずが無いのです。

神が私たちのためになされたこと

   第二に、神はそのひとり子を、この世に遣わしてくださった方です。
 ところで、キリストが生まれた時代とは、どんな時代、どんな世界であったのでしょう。そのころユダヤの国はヘロデ大王という、人間離れした残忍な独裁者に支配されていたのです。彼は妻を殺し、妹の二人の夫を殺し、義理の兄弟を溺死させ、義理の母親を殺害し、妹を自殺に追い込み、そして自分の死の五日前には、息子を処刑させました。権力を握りながらもあらゆる人を信じられず、明確な証拠もなしに、気に入らん者たちを次々と反逆の汚名をかぶせて殺していったのです。彼の治めた36年間は、毎日のように死刑が繰り返されていたといわれています。この時代は、暗くて、重くて、息苦しい時代です。人々は希望が見えず、いつもピリピリとしていて、生きていくことがしんどくてしんどくてたまらなくなるような空気が国中に充満していたのです。そんな絶望的な時代、重苦しい国に、神のひとり子は人としてこの世に来られました。なぜでしょう。悲しみや苦しみの渦中にある人間と、運命共同体となるためです。覚えてください。キリストはその重苦しい時代の空気を吸い、みずからもヘロデ大王に命を狙われたのです。キリストは、苦しんでいる人と共に苦しみ、悩む人と共に悩み、共感し、そばに寄り添う神なのです。そして、今も全く変わることはありません。

私たちのために十字架にかけられた方

 第三に、キリストは私たちにいのちを与えるためこの世に来られた、ということです。命の反対は、死です。そして死の原因は、神に反逆するという罪です。この罪の結果が、死と、死後の裁きなのです。しかしイエス・キリストは、あなたの罪の一切の責任を負うために十字架にかかってくださったのです。そして死後3日目に復活し、死の無い世界、罪の無い世界、永遠の神との交わりが続く世界をもたらしてくださったのです。

あらゆるものを恵みに変える創造主

   私の尊敬する作家、C・S・ルイスの結婚生活を描いた映画に、「永遠の愛に生きて」というタイトルのものがあります。ルイスの妻、ジョイ・デイヴィッドマンは、ガンの闘病中、小康状態を得、2人は、それはそれは素晴らしいギリシャ旅行を楽しむんですね。しかし再びガンが悪化することを予期しているジョイは、こう言うんです。「そのときに私が感じる痛みも、今感じている幸せの一部、そういうことね。」寒さを知る人だけが、暖房のありがたさに気づくように、不幸なことは、幸せを知るための1つの要素なんだ、と彼女は言うんです。そして、やがて彼女が亡くなった時、C・S・ルイスは、遺された彼女の息子を慰めようとして、ジョイの言葉を微妙に変えて、こう言うんです。「今感じている痛みも、そのときに感じる幸せの一部、そういうことなんだ。」天国に行くと、今感じている痛みや悲しみの光景が一変します。かつて、辛くて仕方が無かったことですら、輝かしい、価値あることの一部に変貌するのです。私はそれを待つ、というのがルイスの信仰です。そして、この信仰は報われます。なぜなら神は、苦しみというゴミやガラクタを、祝福という恵みに変える、究極のリサイクルを完成なさる方であるからです。
 どうぞあなたも、このイエス・キリストを、ご自分の救い主として信じてください。心からお勧めしたいと思います。

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