新約聖書
「だれでもキリストにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」
(2コリ5:17)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.801 2015年8月2日

「新しく人を造り変える神」

おはようございます、 高原剛一郎です!

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 ある本によりますと、人間は生涯、五万人の人と出会って、三千人の名前を覚え、そのうち顔と名前が一致するのが、三百人。友達と呼べるのは三十人。そして親友はたったの三人なんだそうです。一生のうちに本当にたくさんの人と出会っていますが、人格と人格が出会って、自分の中に革命が起きるような出会いは、めったにあるものではありません。しかし、聖書はあなたに人生の革命を起こす方を紹介しています。それは、あなたのための救い主、イエス・キリストです。聖書はこう語っているんです。

「だれでもキリストにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」

 ここには、神がキリストによって、私たちを全く新しく造りかえてくださる、という約束が、宣言されています。一体、どのようにして新しくしてくださるんでしょう。三つのポイントで考えたいと思います。

十字架による古いものの永久処分

 第一に、古いものを過ぎ去らせることによって、造り変えるんです。
 老朽化した建物を新しくするために、まずすべきことは、取り壊しです。古い残骸をすべて撤去し、更地にすることです。では、人間にとっての古いものとは何でしょう。それは、神と人との間にあった、罪なのです。
 ヘミングウェイという人がよく好んで語った話があります。あるスペイン人の父親がマドリードへ家出した息子と和解する決心をするんです。今では、ひどく言い過ぎたと、心痛める父親は、マドリードの有名新聞である、エル リベラル という新聞紙に三行の広告をうつのです。「パコ、火曜日正午にホテル モンタナで会ってくれ。何もかも赦している。父より」パコというのは、スペインではありふれた男子の名前です。さてこの父親がホテルに近づくと、そこにはなんと父を待つ800人ものパコという名の若者が集まっていた、というのです。世の中にはなんと親との和解を求めている息子たちがたくさんいることでしょう。そしてなんと多くの親子関係が断絶したままになっていることでしょう。実はそのように言っているヘミングウェイ自身が、そうだったのです。彼は若い頃から自由奔放で、快楽に身を持ち崩す人生でありました。厳格な両親はそのことが許せず、特に母親は、自分の生きている間は目の前に現れることを禁じたのです。  ある年のヘミングウェイの誕生日には、母親はヘミングウェイの父親が自殺した時に使ったピストルを、ケーキと一緒に送りつけたのです。ヘミングウェイは母親が自分にした数々の仕打ちを生涯忘れませんでした。そして母親の方も、ヘミングウェイが自分にかけた迷惑を生涯忘れませんでした。血のつながった者同士、本物の親子だったですが、この二人の間には互いに相手がしでかした罪の生々しい記憶があって、それが思い出されるたびに、和解の気持ちが消滅してしまうのです。彼らはこの、古いものによって、引き裂かれたままで終わってしまうのです。
 しかし、神はキリストによって、この古いものはすべて過ぎ去った、と宣言なさるのです。神と人とを隔てていた罪の遮へい物、醜い人間の過去、恥ずべき行為、すべての咎はキリストが十字架で背負って永久処分してくださったが故に、神の前に過ぎ去ったもの、どこにも見当たらないものだとおっしゃるのです。

神が新しく与えてくださるもの

 第二に、神はキリストを信じる者のなかに、新しいいのち、新しい性質、新しい霊を授けてくださるのです。キリストを受け入れた人は誰でも新しいいのちで生きるんです。
 ところで、コンブは海の中にある間、どうしてダシが出ていかないんでしょうか。それはコンブが生きているからです。魚は海の中で一生生きているのに、どうして身は塩辛くならないのでしょう。これは魚が生きているからです。
 こんな実験があるんですね。人間と犬とステーキ肉を摂氏120度のサウナに45分間入れると、一体どうなるのか。人間と犬は変わらない姿で出て来たんですが、ステーキ肉の方はウエルダムに焼き上がっていたっていうんですね。というのは、タンパク質は70度で熱変性するからです。120度だと油が出て焼けてしまうんです。しかし、人間と犬は焦げません。汗をかいて、体温を調節しているからです。そしてこれが、いのち、というもんなんです。いのちとは、環境に抗って、自分を正常に保つ力を持つものなのです。たしかに私たちのからだのいのちは、環境に支配されるのではなく、環境を押し返していく力が秘められているんですね。
 しかし、私たちのこころはどうでしょう。私たちのたましいは環境にコントロールされずに、自分を保つ力があるでしょうか。他人から冷たくされると、冷たくして返したくなりますね。不親切にされると、不愉快になります。他人の態度という環境によって振り回されるのです。人の感情に自分の感情が左右され、他人にハンドルを握られてるかのような人生になってしまうからです。他人はどうであれ「おはようございます。」「おつかれさま。」とあいさつし、お茶を入れてあげて、目が合えばにっこりする。それが自分が主体的に生きるということですが、そのためには、そうしたいと思ういのちに転換される必要があるのです。神は人間にそのような新しいいのち、キリストに似ていくいのちを授けてくださるのです。

神が私たちにしてくださること

 第三に、キリストを受け入れた後、キリストはいつも共にいて、毎日毎日私たちのメンテナンスを死ぬまで続けてくださるんです。キリストの内にあるとは、キリストの支配下にすっぽり包まれるということです。キリストはあなたのかたわらにいて、訓練しまた癒していかれるのです。
 昨年、俳優の高倉健さんが亡くなられました。彼の最後の出演映画は「あなたへ」というものでした。富山刑務所で作業技官として働く倉島のところへ、亡くなった妻からの手紙が届くんです。遺骨を故郷長崎の海に散骨してほしいというんですね。さらに故郷の郵便局止にもう一通手紙があるので、それを読んでほしいっていうんです。主人公の倉島は、自家用車を改造して長崎までの12日間、一人旅に出ます。旅の途中、折に触れて、妻が元気だったころに語ってくれた言葉が思い出されます。そしてもし今生きていたら、多分言ってくれるだろう言葉を思い浮かべながら、心が不思議に癒されていくという映画なんです。窮屈な家庭環境で育った彼は、社交性に乏しく、自分を通すことができず、自分さえ我慢していたらいいんだ、と思って生きてる人です。しかし、そんな倉島の生き方や考えを、すっかり変えていったのが彼の妻でした。大阪の道具屋筋商店街に来た時、職人の作った大工道具が売られていました。職人気質の彼は、買うか買うまいか迷うんですが、妻の声が響きます。「買えば。」いつも自分を背中から押し、励まし、慰め、鼓舞してきた妻の存在によって、自分はいつの間にか大きく変えられていたということに気がついていく旅となるのでした。

キリストと共に歩む人生の祝福

 キリストはそれ以上の方です。あなたの罪を永久処分し、あなたの新しいいのちとなっただけではなく、キリストを受け入れた後の人生において、いつもあなたを励まし、応援し、語り合い、共に人生を歩んでくださる方なのです。そして私たちはこのキリストと共に歩んでいくうちに、知らず知らずの間に、キリストに似せて変えられていくのです。あなたに永遠のいのちを与え、死後のさばきから解放し、天国の国籍を与える救い主イエス・キリスト、この方をどうぞ、ご自分の救い主として、受け入れてください。心からお勧めしたいと思います。

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