新約聖書
「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。」
(1コリント15:3-5)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.827 2016年1月31日

「安心して信じてください」

おはようございます、慶相龍です!

カット
先日、地下鉄を利用していまして、長い地下道を歩いていました。すると、出口に向っている女子高生がいたのですが、様子が変だったのです。前かがみの姿勢で、右手を自分のおなかに、左手を地下道の壁に押し当てて、ゆっくりゆっくり、ようやくの事で歩いているのです。心配になったので「どうしたの、だいじょうぶ?」と、声をかけますと「おなかが痛いんです」と言いながら、さめざめと泣くのです。これはただごとではない、と感じ「救急車呼ぼか?」と言いますと、「携帯電話を貸してもらえませんか」と彼女は言いました。
私のスマートフォンで自分の母親に、駅まで迎えに来てくれるように頼むと、私を見上げて「電話番号、悪用しないでくださいね」と言ってきたのです。そしてそれだけではなく、「お願いします、おねがいします」と言いながら、ほとんど号泣するのです。苦しそうにおなかを抱えた前かがみの女子高生に見あげられながら、「お願いします、おねがいします」と号泣され、懇願されて立ちつくす中年男の姿を想像してみてください。道行く人は私を、まるで不審者でも見るかのような目つきで見るのです。私は「なんて日だ……」と理不尽を感じながらも、彼女の自宅の電話番号を削除したのです。
彼女の立場になって考えてみますと、無理もない部分もあります。なにが起こるか予想もつかないこの時代、見ず知らずの中年男に自宅の電話番号を知られるというのは、やはり、気持ちのいいことではないからです。もちろん、電話番号は悪用しません。しかしながら、初めて出会った彼女に「安心して下さい、私を信じてください」と言ったところで、安心して信じることなどできるわけがありません。

イエスを安心して信じられるか

ところで聖書は、イエス・キリストを造り主として信じ受け入れるならあなたは罪ゆるされ、罪の結果である永遠のさばきから救われる、と教えています。しかし、見たこともないイエスを、安心して信じ受け入れることなど、どのようにしてできるというのでしょうか。
今日は、イエス・キリストは安心して信じられるかたであるということを、みっつの側面から考えてみたいと思います。聖書のことばを紹介しましょう。

私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。

まずひとつめに、イエス・キリストは、100パーセント間違いなくあなたの救い主だから、安心して信じていいのです。
「聖書の示すとおりに」とありましたが、これは旧約聖書の預言のことです。神様は、350もの、救い主に関するさまざまな預言を旧約聖書に記して、預言どおりのかたが現れたら安心して信していいんだよ、とあらかじめ教えておられたのです。これらの預言がすべて当てはまるかたは、イエス・キリストだけです。旧約聖書の示すとおりに、あなたの罪のために死なれ、葬られ、三日目によみがえられたイエス・キリストはまちがいなく、あなたの救い主です。イエス・キリストを安心して信じ、受け入れてください。

ある不治の病の男の子

ふたつめに、イエス・キリストは、あなたを熱烈に愛しておられるからです。
先日、ある看護師さんの経験談を読みました。ある日、そのかたの勤務する病棟に、大学病院から、不治の病にかかった8歳の男の子が送られてくることになりました。ところが、入院して一週間後、男の子は息を引き取ってしまいました。お母さんは遺体に取りすがって泣きわめきます。その後、もともと男の子が入院していた大学病院から封筒が届きました。その中には、男の子が色鉛筆で描いた下手くそな絵が入っていたのです。どうやら男の子は、ベッドマットの下に隠していたようなんです。青い空、白い雲、オレンジの太陽。お父さん、お母さん、そしてその間に自分。絵には、男の子の一筆が添えられていました。
「おとうさん おかあさん ありがとう」
ここまではありきたりの小学生の絵です。しかし、もうひとこと、続けられていました。
「ごめんなさい」
絵を見たとたんに、お母さんは泣き崩れ、それを支えるお父さんも泣いていました。「おとうさん おかあさん ありがとう ごめんなさい」と書かれた下手くそな絵を見たとき、ご両親はまるで、はらわたがよじれるように心をいためながら、わが子をかわいそうに思ったことでしょう。

死なれるほど愛してくださっている

ところで、聖書によると、イエス・キリストは、神を見失い、神から離れて滅びに向って経まで生きてきた罪人のあなたを、はらわたがよじれるように激しく心をいため、かわいそうに思っておられるかたなのです。そしてもし、あなたがご自身の罪を悔い改めるなら、即座に罪を赦し、罪の結果である永遠のさばきから救うことができるように、今から2000年前に、あの十字架であなたの受けるべき罪のさばきを身代わりに受けて、死んでくださったのです。
死んでくださったほどに、あなたを愛しておられるイエス・キリストを、どうか安心して信じ、受け入れていただきたいと思います。

死の恐怖からの解放宣言

みっつめに、イエス・キリストは、考えたこともないような喜びを与えるかただからです。
イエス・キリストは、十字架で死んで、三日目によみがえられました。聖書によると、イエス・キリストの復活は、イエスを信じる人々の罪の赦しが完了したことを、そして、キリストを信じる者が、キリストと同じ、永遠に死なない体でよみがえらされることを確証するものです。いわば、イエスの復活は、このかたを信じる人々を死の恐怖から解放する、解放宣言なんですね。
私は先日、ある女性と話す機会が与えられ、彼女が深い悲しみの中にいることを知りました。じつは、彼女の息子さんが末期のガンで、助かる見込みがほとんどないというのです。30代前半の、働き盛りの息子さんに刻一刻と迫り来る死を恐れながら、深い悩み苦しみの中にいたのです。あまりにも悲しすぎて涙も出ない、とおっしゃいました。この胸の思いをどうしたらいいのかわからない、とおっしゃるのです。

いのちあふれる喜びを与えて下る方

私は正直、言葉を失いました。どれだけ親身になって、練りに練った言葉だとしても、私の言葉などが、彼女にとって力になるわけがない、ということを知っていたからです。ただ、イエス・キリストを信じる人々には、天での永遠の再会が約束されていることだけを短く、語らせていただきました。すると彼女は「再会!」と、目を大きく見開き、びっくりしたような顔をするのです。
私はそのかたと一緒に祈りました。息子さんの病気のこと、そして、そのかたも息子さんもイエス様を信じることができて、天での再会を確信することができるように、と祈っておりますと、嗚咽する彼女の声が聞こえてきました。そして祈りが終わると、彼女は涙を流しながらおっしゃるのです。「息子との再会だなんて、考えたこともなかったです」。
本当に嬉しそうでした。一時的な、感情的な喜びではなく、確信に満ちた喜びが彼女のうちで育てられるように、と今も私は祈っています。
末期ガンの息子さんに刻一刻と迫り来る死に対する恐怖と、息子を失わなければならない悲しみのまっ暗闇の中にいるお母さんに、イエス・キリストは、彼女が考えたこともなかったような喜びの光を差し込んでくださるかただったのです。
復活されたイエス・キリストは、あなたを、人類最大の敵である死の束縛から解放し、考えたこともなかったような、いのちあふれる喜びをあなたに与えて下さるかたなのです。どうか、安心して、このかたを信じ、受け入れてください。心からお勧めいたします。

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