新約聖書
「ダビデもまた、行いとは別の道で神によって義と認められる人の幸いを、こう言っています。『不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。主が罪を認めない人は幸いである。』」
(ローマ4:6-8)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.847 2016年6月19日

「罪を覆う神のマント=キリスト」

おはようございます、高原剛一郎です!

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さて、今年はブラジルでオリンピックがありますね。出場するのは選手達ですが、同時にコーチや監督もついて行きます。そして、コーチの中にはメンタルトレーニングコーチといわれる人々がいるんです。これは、選手の精神力や内面をトレーニングする人のことです。
そんなメンタルコーチのひとりに、田中京(みやこ)さんという方がいらっしゃいます。彼女はソウルオリンピックで、シンクロデュエット部門で銅メダルを受賞した方です。
ところで、ソウルオリンピックのときの彼女の体調はひどかったそうです。まず、中耳炎が悪化し、両耳の鼓膜に穴があき、音楽が聞こえなくなりました。これは致命的です。というのは、シンクロは音楽に合わせて水中で踊る競技だからです。さらに微熱があり、水中で逆立ちすると頭痛に悩まされたんです。決勝当日は生理痛が一番ひどくなる日でした。それでもベストの演技をして、メダリストになったんですね。それは、メンタルトレーニングのおかげでありました。
いったい、どんなメンタルトレーニングでしょう。本番三ヶ月前から、毎晩寝る前に「最悪」をイメージしたというのです。
たとえば、本番中に水着が脱げる、こむら返りを起こす、音楽が聞こえなくなる。最悪の事態を次から次へと考え、そしてそれらを乗り切る手立てを思い描いていた、というのです。それで、実際のソウルオリンピックでは耳と頭とおなかに痛みがあったんですが、「アレッ、想定していたほどひどくないぞ」。体に悪いところがあるのに、俄然、やる気が出たっていうんですね。
そもそも、本番で100%の力を出し切れるなんていうことは、考えること自体がおこがましいことなのだそうです。本番ではアクシデントや緊張がつき物で、70%の力を出せたら上出来です。そして、70%でも勝てるように日ごろから130%の力を蓄える準備をするということが、勝利への道なんだそうです。

死という最悪に対する備えをする

この方が繰り返し、くりかえし仰ってることは、「最悪の事態を想定して、解決策を準備しておく」ということです。
備えさえあれば、いざ最悪がやってきても対応できます。これが余裕を生んで、よいパフォーマンスにつながるんですね。
ところで、私たちにも人生の最期に「最悪」が待ち構えています。それは、死です。もし、この死という最悪に準備があるなら、私たちは何もうろたえることなしに、最後の大仕事に向き合うことができるのです。
聖書はこの死への備えを提供しています。人が死んでも決して滅びず、永遠の天国に行く保証を提供しているのです。聖書はこう語っています。

ダビデもまた、行いとは別の道で神によって義と認められる人の幸いを、こう言っています。『不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。主が罪を認めない人は幸いである。』

ここから、3つのポイントでお話しいたしましょう。

人にはなかなか罪が分からない

第一に、人は神に対して不法を行う者、罪人である、ということです。
私はこの間、とある清涼飲料水を飲みました。ラベルにこう書いてあったんです。「レモン43個分のビタミンC」。すごいなあ、というふうに言うと、隣で聞いていた友人が教えてくれました。「レモンってそもそも、そんなに言われるほど、ビタミンC入ってないらしいよ。すっぱいので、ついビタミンCの塊みたいなイメージ持ってるけど、濃厚なビタミンCを測る基準になるほどの食品ではないんだよ」。
私はそれを聞いて、なるほどな、と教えられました。元々レベルが低いものを基準にしたら、大抵のものはレベルが高く見えてくるのです。これは罪についてもいえることですね。私たちは毎日毎日、ひどい事件・ひどい犯罪を目にしますが、この低い道徳基準で自分を推し量ると、なんだか自分が立派に見えてくるんです。そして、罪がわからなくなります。

神を基準とすれば人は皆罪人

しかし、罪の基準は人間の低いモラルではなく、神ご自身が基準なのです。そして、神を基準にしたとき、人はひとり残らず罪人なのです。なぜなら、すべての人は神の主権を無視して生きているからです。
神から離れて生きることを、聖書は罪と語っているのです。そしてこの罪のゆえに、人は死んでも天国には行けません。日本では、人は死ねばみんな天国へ行く、といいます。しかし、天国は別名「神の国」といいます。神の王国のことです。神が王として君臨している世界を天国というのです。神が王である国に、神を無視し、神に反逆したままの人が、どうして迎え入れられるということがあるでしょう。人は罪を持ったまま天国に入ることはできないのです。

アメリカ、キューバへ渡ったあるイギリス人

第二に、しかし神は、キリストの犠牲によって私たちの罪を覆ってくださった、というのです。
今から150年ほど昔、あるイギリス人が母国に不満を持って、アメリカに行き市民権を得ました。しかしアメリカにも不満を持って、キューバに渡ったのです。その頃のキューバはスペインの植民地でした。スペインは、中南米をコントロールする拠点としてキューバを支配していました。ここを手放すということは、絶対にできないことでした。それで、キューバでたびたび起こる独立騒ぎには、いつも神経を尖らせていたのです。
さて、彼がキューバにいる間、内乱が起こってしまいます。そして、彼は内乱暴動の首班の疑いをかけられて、なんと軍法裁判に渡されるのです。そして、とうとう銃殺刑が決まるのです。その裁判はすべてスペイン語でなされていたため、彼はすべてが決定した後で死刑の現実を知らされるのです。彼はキューバ現地のイギリスとアメリカの領事に頼み込んで、無罪の訴えを取り次いでもらいましたが、スペインの将軍は一切耳を貸しませんでした。そして、とうとう処刑当日を迎えるのです。

キリストの血が罪を覆う

車で運ばれた彼は、目隠しをされ、棺の準備がされ、そして兵士達が銃を構えました。そこへ、一台の馬車が駆けつけたのです。そしてイギリスとアメリカの領事が飛び出してくるなり「止めろ!撃つな!」と叫びました。そして、イギリス領事はユニオンジャックのイギリス国旗で、目隠しされた死刑囚を覆ったのです。
次に、アメリカの領事は星条旗のアメリカ国旗で彼を覆ったのです。そして、領事たちは言いました。「撃てるものなら撃ってみろ。国旗を撃つということは、その国の主権侵犯とみなす!」という啖呵をきったんですね。将軍は銃殺を取りやめるしかありませんでした。もし撃つなら、イギリスとアメリカという大国を敵に回すことになるからです。大国の権威を覆す力は、彼にはなかったのです。
キリストはご自分の命であなたの罪を背負って、代わりに罰を受けて下さいました。そして復活をもって、この救いが完成したことを宣言なさったのです。聖書は言います。「罪を覆われた人たちは幸いである」。キリストの血が、あなたの罪を完全に覆ってくださったのです。

信じるだけでいい

第三に、それを自分のものにする方法は、行いとは別の道である、ということです。行いとは別の道、とはいったい何のことでしょう。信じるだけでいい、ということなのです。あなたの罪を赦すために、神の子イエス・キリストが十字架で死に、墓に葬られ、三日目によみがえったことを信じるなら、あなたは天国の国籍を持つのです。
どうぞこのキリストを、ご自分の救い主として受け入れて下さい。心から、お勧めしたいと思います。

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