新約聖書
「そこで、イエス彼女にこう言われた。『娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。』」
(マルコ5:34)

Default Text

「聖書と福音」高原剛一郎

No.853 2016年7月31日

「安心して生きよ」

おはようございます、尼川匡志です!

カット
今年はオリンピックイヤー。そのこともあってテレビなどでオリンピック関連の番組がよく組まれます。
先日『メダルに狂わされた人生』というようなタイトルの番組を見ました。1992年バルセロナオリンピック女子マラソンの小鴨選手についての特番でした。彼女はその年の1月、大阪国際女子マラソンでマラソンデビューするんですが、何とぶっちぎりの1位。当時の日本最高タイムでゴールするんですね。その時のオリンピック出場枠は3人でした。
彼女は文句なしにその一人に選ばれます。この時点ですでに一人の方が決まっていましたので、あとの一枠を巡ってあの有森裕子さんと松野明美さんが争うことになるんです。結局、有森さんが入り、オリンピックで銀メダルを取ることになります。残念ながら松野さんは落選しました。この小鴨選手がメダルを取っていれば問題はなかったんです。でもそうはならなかったんですね。
何と二十何位という結果だったんです。彼女は帰国後激しいバッシングを受けることになります。そして精神的に参ってしまい、走ることさえやめてしまうんですね。
大阪女子マラソンで優勝し、オリンピックへの切符をつかんだ時、誰もがシンデレラガールと思いました。しかし振り返ってみると、このことが彼女の人生を大きく狂わせてしまうきっかけとなるんです。

苦しみの中にいた長血を患った女

さて私たちの人生は未来が見えません。素晴らしい出来事の向こうにとんでもないことが待っていたり、逆に最悪としか言いようのない状況の中で人生が幸いに導かれていくこともあります。
聖書に長血という病を患った一人の女性の記事が出てきます。この長血と言われる病ですが、女性特有の出血を伴う病気でした。彼女はこの病におそわれ12年間激しい痛みで苦しんでいたんです。いろんな医者にかかりますが一向に良くならない。それどころか、かえってひどくなる一方で、とうとう持っていた財産が底をついてしまいます。彼女はどうする事もできないところに追い込まれます。苦しみは身体的な痛みだけではありませんでした。精神的にも社会的にも苦しめられたんですね。
この当時、彼女のように出血を伴う病は汚れていると言われました。そして社会的、宗教的な差別を受けたんです。この女性は働くこともできないし、人が集まってる場所に行くことさえ禁じられたんです。なぜなら彼女がさわるものすべてが汚れてしまうからなんです。ですから彼女は12年間本当に孤独でした。
でもどうしても必要に迫られて外出するような時、まるで汚いものを見るかのように見られる。こんな悲しいことがあるでしょうか。彼女は何も悪いことをしていないんです。病に苦しめられているのは彼女です。それをまるでとんでもないことをした悪者のようにさげすまれ、見下げられ、阻害されていたんですね。心の中で、「私が一体何をしたと言うの」何度もそう叫んだに違いありません。

女はイエスに近づいた

そんな時、彼女は一人の方の噂を耳にします。ツァラアトという病で苦しみ続けた人に「わたしの心だきよくなれ」と言って直した方がいる。軽蔑されていた遊女に神の愛のメッセージを伝えた方がいる。「わたしは正しい人ではなく、罪人を招くために来た」と言われた方がいる。
イエス様です。彼女は、このイエス様なら私を闇の中から救い出してくださるかもしれない、そう考え、そう信じました。そしてその日が来たんです。
彼女は自分だとばれないように顔を布で覆い、群衆にまぎれてイエスの後ろにそっと近づきました。もしばれたら万事休すです。激しい罵声や石が飛んでくるかもしれません。彼女はイエスのお体にではなく着物のふさにそっと触れました。するとどうでしょうか。今まで苦しめられていたあの痛みが去ったのです。一瞬の内に。
しかし、直後彼女は全身が凍りつくような恐怖に打ちのめされました。イエスが立ち止まられたんです。そして後ろを振り向いてこう言われました。「だれがわたしの着物にさわったのですか。だれがわたしの着物にさわったのですか。」
彼女は恐ろしかった、ばれてしまった、怒られる、汚れた私がイエス様を汚してしまった、どうしようか。心臓が高鳴り、息が詰まりそうになる。その時弟子が言いました。「イエス様こんなにたくさんの人が迫っているのだからわかりませんよ。」
イエスがこの世界に来られた目的が、同時代の同じイスラエルに生きている人間の問題を解決するだけであるならこの女性の病は治ったのですから次の人の所に急げばよかったのです。

イエスは苦しみから解放するために来られた

しかし、イエスがこの世界に来られた目的がそんなことにはありませんでした。
どの時代の、どの国の人にでも、生きている限り付きまとってくる不安、悲しみ、恐怖、絶望、自分なんか何の役にも立たないという劣等感、それらの物から解放すること。人間を造ってくださった神様があなたのことを本当に心配し、心から高価で尊いと考えておられること。あなたがかけがえのない存在だということを伝えること。そして、神を信じることを妨げている罪というものを取り除き、どんなことがあっても神を信頼して生きるならば安心して生きれるようになるということを伝えることだったんです。
私たちの住む世界はどうしてこんな目に遭わなければならないのかというような不平等や理不尽がある。不条理もある。悲しみと苦しみ、失意と絶望に沈む人が大勢いる。イエスは絶望しなくていいんだ、諦めなくて良いんだ、希望はあるんだということをはっきりと示したかったんですね。

神は安心して生きるように願っておられる

なぜご自分の着物にさわった人を探したかったのか、それは解決できない問題を抱えている全ての人にメッセージを伝えたかったからです。目の前にある問題がなくなったらそれでいいと言うのではなく、今まで知らなかったけれど、自分は神様に愛されているんだということを知って帰って欲しかったんですね。
この女性はイエスの前にひれ伏し全てを告白しました。彼女は激しく叱責されると思っていました。しかし、イエスはゆっくりと、そして丁寧に彼女の言葉一つ一つに耳を傾けられました。12年間の心の痛みをつぶさに受けとめるように。
そして、こう言われました。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。」
神はあなたに安心して生きて欲しいのです。でももし不安があるならその不安のゆえに近付いてください。この女性の様に最悪に見える中でのイエス・キリストとの出会いはあなたの人生を一変させるのです。
この方を信じて近付いてください。心からお勧めします。

コーヒーカップ
時計
MILANの消しゴム