新約聖書
「イエス・キリストは、私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。」
(黙示録1:5-6)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.859 2016年9月11日

「あなたを愛しておられる神」

おはようございます、高原剛一郎です!

カット
ただいまご紹介にあずかりました、サンドイッチの中身でございます。いつもこの聖書と福音を聞いてくださいまして本当に心から感謝しております。
実は福島では放送5年目ということなんですが、大阪では今から16年前にスタートいたしました。
つい先日、850回目を放送して来たんですね。今までこんなに続けることができたのも、皆様の、この、リスナーからのお手紙、お便りですね、これで励まされてきたんですね。本当に心から感謝しております。
ですが、時に、ネタ切れになりかけるときがあるんですね。もう言うことありません、みたいなね、そういうピンチに立つときもあるのです。なので、そうならないようにするために、私は読書の時間は何が何でも確保しております。

ネガポ辞典シリーズ

 つい、この数年ですね、私が読んでいる本に、ネガポ辞典シリーズっていうのがあるんですね。これはネガティブな言葉をポジティブな言葉に言い換える辞典、たとえばですね、「まずい料理」のことは「独創的味付け」って書いてありましたね。それからね、「老けてきた」っていうのは「風格が出てきた」、「散らかった部屋」のことは「ワイルド・ディスプレイ」、「お顔に出てきたしわ」は「ビンテージライン」というそうです。「ビンテージ」っていうのは、年代物のワインのことですよね。時間が経つにしたがって、値打ちが出てくるということなんですね。で、そもそもこの辞書っていうのは誰が作ったかといいますと、北海道の女子高生です。思春期の時っていうのは、友だちの心無い言葉によって随分傷ついたりしますよね。言葉というのは人を傷つける凶器にもなりますが、同時に人を癒す薬にもなるのです。もう否定的な言葉を使うのを止めて、もっと温かいまなざしで友だちのこと見ようとということで始まったネガポ辞典なんですが、これを読んでいると元気になります。作者の人間観の温かさということが伝わってくるからですよね。

やっぱり聖書

 でも、私が何よりも勇気が出てくるというか、生きる勇気が湧いてくる本はやっぱり聖書、バイブル、永遠のベストセラー。この聖書の中に、私たちを造ってくださった神様が、私たちに計画をお持ちであり、そして私たちを愛して生かしておられて、私たちが想像もしなかった素晴らしいプレゼントを準備してるんだってことが書いてあるのです。私はこの聖書の福音を、ラジオでお伝えしているのです。

永六輔という方

 ところで今年、ラジオの世界で大御所であられる方がお亡くなりになられたんですね。永六輔という方です。で、永六輔さんはテレビにも出演なさるんですけど、何といってもね、ラジオ人なんです。もうこのテレビっていうのはですね、この、視覚から入ってきますので頭を働かせなくても見ることが出来るんですが、ラジオの場合は耳を澄ませて言葉の意味を咀嚼しないと残らない。で、ある時彼がタクシーで移動中に、NHKのラジオが流れていたそうです。で、その時にアナウンサーが一人のおばあちゃんにインタビューしてるんですね。で、このおばあちゃま、実はつい最近ご主人を無くされた方です。「どういうときに無くされたご主人のこと思い出されますか?」しばらく考え込んだおばあちゃんが一言、「背中がかゆい時」って言ったんですね。今まで背中がかゆかったら自分の手で届かない、それをご主人がかいてくれた、今はかゆくてもかいてくれる人がいない、ああ、いないのかと、ふと後ろを振り返ってみたら誰もいない。永六輔さんはそのインタビュー番組を聞いたとき、タクシーの中で号泣したそうです。言葉だけなんですけど、この仲睦まじい夫婦の風景が、わあーっと出てきたっていうんですね。で、彼はこういうふうに言っているんです。「言葉って不思議だな。見たことも会ったこともない人のことを、言葉一つで私たちはイメージすることができるんだから。ああ、言葉って大切だし不思議だな」って、そういうエッセイが残っているんですね。

真の神を聖書でご紹介

 今日、私は見ることも触ることもできない、私たちを造ってくださった真の神様のことを聖書の言葉でご紹介したいと考えております。この方は肉眼で見ることはできません。私たちの手で触ることはできません。しかしながら、言葉を通して、この言葉が皆様の心に入ることによって、皆様方の心の中に神様がイメージされたら幸いだなあ、ま、そんな願いで前に立たせていただきました。さて、お手元にこのようなプログラム用紙がありますが、右のページの上の方に、こう書いてあります。

「イエス・キリストは、私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司として くださった方である」

 この6節に、「また、私たちを王国とし、ご自分の父である神」という言葉が出てまいりました。あなたをお造りになった神はおられる、ということなのです。実は日本と中国は同じ漢字文化圏ですので、漢字の意味をじっと考えていると、多分こういう意味かなという風に了解できなくもない、そんな 感じです。

中国語と日本語

 ところがですね、実は、中国語と日本語は、同じ単語を使っていても意味が違うということがよくあるんですね。麻薬ってあるでしょ。これは中国語では麻酔薬のことです。それから麻雀っていうのがありますよね。これはゲームのことではなくて、スズメのことなんですね。私が読んでいて極め付けだなあっと思ったのはですね、実は日本では自分の奥さんのことを妻と言うでしょ。中国では奥さんのことを愛人というのです。この愛人というのは日本ではあまり、ちょっと、褒められた言葉ではない、不倫相手のことでしょ。では中国ではその不倫関係の相手のことを何と言うかと言いますと、第三者って言うんですね。ま、こうあるべきですよ皆さん。ですからね、単語は同じなんですが、意味がまるっきり違う、180度反転していると いうようなことがあるんですね。

聖書の神は魂の親であられる方

 実は、日本語の聖書の中に、「神」という言葉が何回も出てまいりますが、その神という言葉の意味は、今まで私たちが聞いてきたその神とは違うのです。私たちが今まで聞いていた神様の意味というのは、これは、人間「が」作った神々のことを神と呼んできました。しかし聖書の語っている神様というのはね、人間「を」造った方。私たちの魂の親である方、あなたのいのちの第一原因者である方、あなたのいのちのルーツである方、この世界の作者のことを聖書は「神」、「創造主」というふうに言っているんですね。聖書の神は、皆様の魂の親であられる方なのです。ちょうど子煩悩な親が、子どもを見守るように大きな大きな神が、私を愛して見守り導こうとしてくださっているんだ、という人生観で生きる人と、そんなものはないという人生観で生きる人との間には、私は決定的な違いが生じて来るのではないかなと思うんですね。どこで死んだって、どんな障害があったって、どんなトラブルのただ中でも私たちを決して捨てない、そのような全知全能者を見失っているということが、人の不安の根源的な理由ではないのかなと思うのです。聖書は私たちの父なる神様、私たちを造ってくださった魂の親は、あなたのことを愛しているよ、あなたを造った方はあなたに人生のプランをもって祝福したいと待っておられると語るのです。見ることも触ることもできない、私たちを造ってくださった真の神様のことを是非信じ、受け入れてください。 心からおすすめしたいと思います。

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