旧約聖書
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」
(イザヤ43:4)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.883 2017年2月26日

「調和のある世界」

おはようございます、尼川匡志です!

カット
この「聖書と福音」の放送の最後に、毎回ゴスペルが流れます。その中に男性四人のコーラスで「コル・シャローム」というグループがあるのをご存じでしょうか。私はもともとこのメンバー四人と同じ教会にいました。
十年以上前のある日曜日、こんなことがあったんですね。私の右にテナー、左にバス、そして後ろにアルトのパートを受け持つメンバーが座っていたんです。つまり、その時の私の座った位置は「聖書と福音」でおなじみの那須さんのパートの位置なんです。
賛美の時間が始まりました。私はこの日の賛美の心地よさを今でも覚えているんです。いつものように主旋律を歌っただけなんですが、耳から入ってくる私の歌声は、今まで聞いたこともないような、それはそれは美しいものだったんですね。私は思わず、自分が、歌がうまくなったんではないか、と勘違いするほどでした。言うまでのありませんが「コル・シャローム」のハーモニーのおかげです。

調和のために必要な違い

さて、ハーモニー、日本語では、調和ですよね。これは本当に素晴らしいものです。
私は音楽のことがよくわからないので、テナーやアルトやバスのパートをばらばらに聞くと、正直美しいと思いません。何か調子はずれのようにさえ聞こえるんです。しかし、それが組み合わされた時、それはほんとに美しいものになります。
私たち人間の社会も、それに似ていると思うんです。みなそれぞれ違った個性を持っている。長所もあれば欠点もある。同じじゃない。それがうまく組み合わされると調和のある美しい世界が出来上がる。このハーモニーが生まれるために必要なことは、違っているという事実なんです。
同じではだめなんですね。そしてその違いを大切にすることです。

高価で貴い存在

昨年末、解散した「SMAP」の大ヒット曲に「世界に一つだけの花」があります。
「ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」
多くの人たちに愛されている名曲です。アスリートでもない限り、たいていの人は別にナンバーワンを目指しているとは言えません。でも、自分のまわりの人たちとは比較するんです。
そして、自分はあの人よりも上だとか下だとか、考えるんですね。学歴、会社、地位、能力、美貌、センス、いろんなもので人と比べます。
そして、劣等感と優越感を行き来するんです。自分はオンリーワンの存在だと知っていながら、比較し、自信を失い、自分が自分であることを受け入れなくなるんです。 ここで何度も紹介している聖書のことばに、このようなものがあります。

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

ここで「わたし」と言っておられる方は、万物を造られた創造主、神のことです。そして「あなた」とは今この放送を聴いてくださっているあなたのことです。聖書は神があなたを造った、そしてそれは決して偶然ではない、そのあなたのことを高価で尊い存在と、神は見ているんだ、ということなんです。あなたはこのことを信じられるでしょうか。

創造主である神があなたを造られた

先日私はこんな記事を読みました。
人間は母親のお腹の中で形づくられます。ごく初期の段階の胎児の手は野球のグローブのような形だそうです。
そして成長に従って、指の間の水かきのような細胞が死に、今の私たちのばらばらの指の形になります。
細胞の死には大きく分けて二種類あるそうです。
一つは外的な環境の変化で、仕方なく死ぬ「ネフローシス」という死に方、そしてもう一つは「アポトーシス」という死に方なんです。これは別名「プログラムされた死」とも呼ばれます。そして指の間の細胞はこの「アポトーシス」という死に方をします。細胞が自ら、遺伝子の中にある消滅スイッチをオンにして、消えていくんです。つまり「自死」です。
これは細胞にプログラムされているんです。このようなプログラムがなければ、私たちの指の形は今のようにはなっていないんですね。では、誰がそのプログラムをつくったのでしょうか。
親でもご先祖様でもありません。そして、偶然でもないんです。プログラムは決して偶然にできるようなものではないんですね。
このプログラムをした存在を神といいます。神があなたを形造り、この世界に送り出したんですね。

神はあなたの価値を知っておられる

さて、あなたは自分のことを「高価で尊い」存在と考えますか。
職場や学校や友だちの間で、あなたは「高価で尊い」と思われているでしょうか。家族の中ではどうでしょうか。
私たちは様々な基準でランク付けされ、この世界から価値を勝手に決めつけられます。いや、自分さえも自分のことを「高価で尊い」とは見れずに、つまらない存在だと考えることさえあります。
しかし、神は違うんです。すべての人間が、あなたに価値を見出さなかったとしても、あなたのことを「高価で尊い」と考えておられるというのです。ことばとは、それを語っている人を信頼するかどうかで、その重みは変わります。この神を知らず、信じない時「高価で尊い」ということばは、ことばに過ぎません。
しかし、あなたがこの方を知り、その真実を理解し、信じる時、そのメッセージは確かにあなたの心に届き、あなたへのメッセージとなり、自分の存在の価値がわかるんですね。

神のもとで為される完全な調和

オーケストラは、たくさんの楽器の音色が重なって、一つの音楽が奏でられます。ハーモニーです。
それが実現するためには、バイオリンはバイオリン、トランペットはトランペット、オーボエはオーボエ、シンバルはシンバルとして、自分の存在意味と特徴をしっかりと知る必要があります。
たとえ出番が少なくとも、目立たなかったとしても、そんなことは関係ないんです。他のものと比較する必要は一切ありません。自分の存在意味に誇りを持てばいいんです。「高価で尊い」のですから。
しかし、それだけではすばらしいハーモニーが生まれるわけではありません。自分がしたいように、鳴らしたい時に鳴らしていたら、ハーモニーどころか、滅茶苦茶なものが出来上がるだけです。
その時、必要になるのは、実は指揮者なんですね。指揮者が全体のバランスを考え、必要に応じ、出番を与え、テンポを決めます。そしてそれに従う必要があるんです。その時、調和が生まれる。
今の世界は調和がある世界とは決して言えません。それは、一人一人の人間の存在価値や意味がわからなくなってしまっているからです。
そして全体のバランスを考え、一人一人の特徴に応じて役割を与えてくださる指揮者のような神を見失っているからなんです。
この神と出会い、自分の価値を知り、自分らしく生きることが、実は本当に必要なんです。そしてその神はあなたをすでに見出しているんです。
では、あなたは神を見出しておられますか。
もしまだなら、ぜひ今日、神を見出し、信じ受け入れてください。あなたのすばらしい、世界の入り口がそこにあるからです。心からお勧めします。

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