旧約聖書
『 あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。 あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。 』
(出エジプト記20:3-4)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.898 2017年6月11日

「偶像からの自由」

おはようございます、高原剛一郎です!

カット
あるジャーナリストが飛行機に乗った時、とある大物政治家を見つけたのでした。
単独インタビューのチャンス到来ですね。しかし、問題がひとつあったのです。実は彼は以前、この政治家のスキャンダルを暴いたことがあったのです。 そのため、この政治家はマスコミに散々たたかれたといういきさつがあったのです。
きっと嫌がられているのに違いありません。しかし、彼は果敢にもインタビューに行ったのです。
政治家は言いました。「なぜ、あんなにひどい目にあわせたきみに私が協力しなければならないんだ」
するとジャーナリストは言ったのです。「確かに私はあなたのスキャンダルを暴きました。しかし、それはあなたを見込んでのことです。 私はあなたが将来首相になる器だと見込んでいます。 だからスキャンダルは早いうちに出してしまう方がいいのです。 あなたが首相になる直前に、スキャンダルがでたら、それこそ致命傷になると思います。 私がしたことは、あなたにとってプラスだと信じています。」
政治家は彼のインタビューを受けたというのです。

罪とは自分の造り主を神としないこと

さて、聖書の中には、人の耳に痛い言葉がよく登場します。その筆頭は罪という言葉です。聖書はすべての人は罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができないと語っているのです。
しかし、この聞きたくない指摘は、神が人を呪っているからではありません。人の将来を輝かしい結末に導くためのものなのです。人を不幸にしている根本的原因を明らかにすることによって、人を根源的に祝福されたものへと変えていくためのものなのです。
では、罪とは一体何なんでしょう。 聖書の十戒の最初に出てくる言葉はこれです。

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。 あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。

ここには、罪の明解なる定義が紹介されていますね。罪とは、自分の造り主を神としないことです。
神を神として認めないことです。そしてそれは同時に、神ではないものを神とすることが罪だと言っているのです。
私たちの文化では、そのようなことを聞くと、何か考えが狭く、束縛的で、窮屈な感情を持つかもしれませんね。しかし、本当の紙以外のものを拒否するということは、実は束縛からの自由なのです。
このことばは、あなたは自由になってよい存在なんだという、神からの呼びかけとして、読むことができるものなのです。

うつ病になった漫画家

ところで、人間にはそれぞれ自分を支配している自分なりの神々がいるようですね。
私は先日、漫画家の田中圭一さんの本を読みました。彼は会社員と漫画家の二足の草鞋を履いて、次々と精力的に仕事をこなしてきた方です。 漫画の画風がなんとなく手塚治虫に似ていて、手塚ファンだった私には郷愁を誘う漫画家なのです。しかしこの方は、大変重いうつ病を10年間も患っていたというのです。いったいどうして、うつのトンネルの中に入り込んでしまったのでしょう。 事の発端は自己嫌悪だというのです。
彼は根っからの仕事人間で、仕事が大好きで、それを苦痛と思ったことがなかったそうです。
正確に言うと、仕事が好きというより、仕事をしている自分が好きだったのでした。
ところが、勤めていたゲーム会社で、社長にいろいろと嘘をつかれてやけくそになり、そして辞表をたたきつけるのです。
知人の紹介で、小さなソフト会社で営業マンとして入社し、そこでゲーム開発ツールを売ることになりました。
それは大変畑違いの仕事でしたが、がむしゃらに頑張って入社早々大きな成果を挙げてしまうのです。 そして、それが苦しみのはじまりでした。
心の底には自分には向いていないし、よくわからないという思いがありますが、それをふたして、もっともっと頑張らなければと自分のハードルを上げて行ってしまうのです。

自己嫌悪によって引き起こされたうつ病

しかし、やがて限界が来ます。もともとプログラマーでももない自分がゲーム開発ソフトを売るのは無理があったのですね。
それでも周囲からの風当たりは強く、もっと本気を出して営業をしてほしい、手抜きをしているのではないか、サボらないでほしい、プログラムを勉強してほしいと、会社の人たちから、クレームや愚痴、不満げな顔を毎日毎日突き付けられているうちに、私って何にもできないダメ人間なのではないのか、会社のお荷物なのではないのかと、自己嫌悪に陥っていったというのです。
この自己嫌悪が引き金となります。
精神科に言って、安定剤を飲むようになりますが、その量と種類がどんどん増えていったのです。
このままではまずいと思い、とうとうしてはならないことをしてしまいます。ドクターに黙って、勝手に薬をやめてしまうのです。
これは危険な行為です。それでますます、暗やみの中に入ってしまいます。医者に不信感を持った彼は、次々と医者を変えるようになります。
頭は回らず、会社は休めず、どん底の中で、彼はあるとき小さな光を見出すのです。それはうつ病になった精神科のドクターが自ら考えだした方歩で、うつを脱出していったという本なのです。
その本の中には、うつ病にはこれ以上無理をしてはいけないというからだの発する非常ベルだと書いてあったのです。
今自分が憎んで戦っているこのうつというものは、私を気遣ってくれている体からのブレーキなんだというのです。

自分の価値を知っておられるのは創造主

では、どうやってこの厄介なものを解決していけばいいのでしょう。
著者が言うには、自分を好きになったらよい、自分を受け入れたらいいというです。
ところで、ありのままの自分を受け入れていくためには、自分を受け入れることを拒否してきた価値観をまず捨てなければなりません。
では、自分を打ち叩いて来た、その価値観というのはいったい何なのでしょう。
一言でいうと、世間の物差しだったのです。
つまり、仕事ができる人間は価値がある。しかし、仕事ができない人間には価値がない。
ライセンスのある人には価値があるが、ライセンスがない人には価値がない。学歴がある人には価値があるが、大した学歴のない人には価値がないなど、世の中が自分に突き付けてくる様々な物差しなのです。
そして、この物差しこそが自分を縛っている偶像だったのです。なぜなら、それによって自分の価値を測る絶対者となっていたからです。 創造主なる神様は、そのような人間が造った物差しで、自分を値踏みしてはならないと言われるのです。
いや、もしかしたらそれは世の中が造った物差しですらなく、ご本人が勝手に空想して作り上げた物差しなのかもしれません。
しかし私たちは、私のほかにあなたの価値を測らせてはならないという神のことばを聞くべきなのです。

創造主に立ち返るための道、キリスト

あなたはそういうものから解放されてもいいと神は宣言してくださっているのです。
今まで自分を縛ってきた価値観を偶像として捨て去ることが大事なのです。
と、同時にあなたの神を神とすることなのです。あなたの創造主のことばを受け入れるべきなのです。
ひとたび創造主なる神様を見失うと、次々とあなたを不安にするものが表れてきます。
ですから私たちは偶像を断固拒否して、自分の作者にして、第一原因者に立ち返る必要があるのです。
あなたがご自分の造り主に立ち返る道を備えるために、この世にきてくださったかたがいます。その方がイエスキリストです。
このキリストの中に、神様の本質がすべてあります。どうぞキリストを信じて、真の自由人となってください。心からお勧めしたいとおもいます。

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