新約聖書
『 見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。 』
(ルカ15:9)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.901 2017年7月2日

「自分の価値を信じる」

おはようございます、尼川匡志です!

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娘に子どもが生まれたこともあって赤ちゃんにとって完璧な栄養源と言われる母乳について少し調べて見ました。するとこの母乳は本当にすばらしいということが分かったんです。
人口乳の研究開発を30年しておられる方がこのように言っておられました。「母乳が山の頂とするなら、私たちはやっとその裾野に到着したぐらいです。」
では母乳はどのように優れているのでしょうか。それは状況に合わせて変化するということなんです。
母乳は初乳、移行乳、成乳と赤ちゃんが生まれてからの時間とともに成分が変化します。
生まれて数日間出るものを初乳と言います。この初乳には免疫グロブリンという抗体成分が多く含まれ、赤ちゃんの喉や消化管に免疫力や殺菌力を与えます。腸の善玉菌を増やしあらゆる病気に対して免疫力を高めるんです。その効果は約半年続きます。
移行乳は赤ちゃんが生まれて1~3週間の間に出るものです。免疫グロブリンが減り、脂肪と糖質が増えます。この糖質が脳の発育に大きな働きをするんです。そしてその後、成乳に変わっていくんですね。
また一回の中でも変化するそうです。飲み始めは脂肪分が少なくビタミン、ミネラル、水分が豊富です。次第に脂肪分が増え赤ちゃんに満腹感を与えるんです。飲みすぎないようにです。ちょうど前菜からメインディッシュに変わっていくようなもんなんですね。
もし赤ちゃんが未熟児の場合、母乳の中のタンパク質と脂肪が多くなりカロリーの高い母乳が出ます。お腹の中で取れなかった栄養を提供するためです。まさに状況に応じて変化していくんです。

神がおられるという事実

数年前のことですが仕事の関係で自動車の自動運転の開発エンジニアの人の話を聞く機会がありました。
この開発の大変なところは状況に応じて変化するプログラムを作ることなんです。
自動ブレーキはビニール袋が飛んできただけで作動してはダメなんです。人や車に反応する必要があります。
しかし、大人もいれば子どももいる。また、自分の車の速度も相手の車の速度も状況は少しずつ異なります。それに対応しブレーキが作動して安全に停止するプログラムを作ることは大変なんですね。
そのプログラムを作るのには蓄積された情報と技術、そして卓越した頭脳が必要です。当たり前の話ですがそのようなプログラムが偶然にできるわけがありません。
さて赤ちゃんの状況に応じて変化する母乳が偶然にできるでしょうか。30年間研究し続けても追いつくことが出来ないんです。
つまり人間をはるかに超えた英知がプログラムしてこそ初めて赤ちゃんの状況に応じた完璧な母乳が出来るんです。そしてこの人間を越えた存在こそが聖書が語る神なんですね。
知っていただきたいことは神はおられるんだという事実です。あなたは今まで神はいないと思って生きて来られたかもしれません。日本の多くの方がそうです。
それでも生きて行けるんだから別に神がいようといまいとと私の人生には関係ない。そうお考えになるかもしれませんね。でもそれは違うんです。

神は価値あるものとして人をつくられた

聖書の冒頭にこう書いてあります。

初めに、神が天と地を創造した。

神がこの宇宙も地球もすべての生き物たちも、そしてあなた自身も、目的をもって価値ある者として造られたんだと言うんです。
神が存在し神が私たちを造られた事実を知る必要はないんでしょうか。いいえ、大いにあるんです。この事実を知らなければ自分の価値を正しく認識できません。
あなたはご自分に価値があると思われていますか。もしあなたが成績優秀、運動抜群、クラスの人気者の学生ならば、また優良企業で会社の評価も高く、年収もそこそこある会社員なら、また夫にも子どもにも愛され、てきぱき家事をこなす主婦であるなら自分は価値があると思えるかもしれません。
でもそんな人たちばかりではないんです。自信がなく劣等感に悩む人たちがこの世界には多くおられます。
私は29歳で神を知りました。そして30年間で劣等感はほぼ消えました。何かが出来るようになったわけではありません。ただ自分には価値があると信じられるようになったんです。
これは重要です。あなたは自分が価値あると信じていますか。価値がないと信じますか。これによって自分の見方が一変します。

造り主のもとに戻る

あるテレビ番組で蔵に眠っていた壺を鑑定してもらった人がいました。
何とその壺には5億円という価値が付けられました。蔵にある時も、テレビ局に持ち込まれた時も、壺自体には変化はありません。しかし、その壺に対する見方、評価は大きく変わったんです。
聖書の中にこのような言葉があります。 女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。 これはある女性が10枚の銀貨を持っていて、その一枚を紛失してしまったという記事です。
どこにあるか分からないんですね。机の下か、石畳の間か、部屋の隅か。でも実はどこにあっても銀貨1枚という価値は変わりません。
ただ女性の手元にない限り価値は正しく評価されないんです。なぜなら女性だけが銀貨の価値を知り、どう使うのが最もふさわしいのかを理解しているからです。
同じように私たちを目的を持って造った方のもとに戻らない限り、その価値を正しく評価されることはないんです。
銀貨は自分の力で女性の手の元に戻ることは出来ません。見つけられなければならないんです。
ではどうすれば神の元に戻れるのでしょうか。本当におられる神に向かって「どうか私があなたを信じ、あなたの元に戻れるようにしてください。」そう祈ればいいんです。その時あなたは神の手に戻れます。
神は無理矢理あなたを連れ戻しはしません。信じ委ねる者を戻されるんです。
あなたの造り主の元、あなたの価値を知っている方の元に帰ってください。その時あなたは何かが出来るからではなく、自分の存在を神が喜んでくださっているということ、愛してくださっているということ、そして永遠にまで生きることを願ってくださっているということをはっきり知ることが出来ます。
自信と平安と希望を持って生きて行く人生に変えられるんです。この人生を選択してください。心からお勧めしたいと思います。

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