新約聖書
『 また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて 言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」 また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。」 』
(マタイ26:26-27)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.904 2017年7月23日

「最後の晩餐に見るキリストのメッセージ」

おはようございます、高原剛一郎です!

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私は先日『もしも宮中晩餐会に招かれたら』という本を読みました。
作者は元宮内庁大膳課長です。皇居の料理を作るトップのシェフですね。宮中晩餐会というのは天皇家主催の夕食会のことです。
私はそんなところに招かれたことはありませんし、今のところ招かれる予定もないのですが、これから招かれるかもしれないと期待して読んでみました。
さてこの晩餐会に行くのに決定的に大切なことは招待されているということなんです。
招待状は天皇陛下主催の時は金箔の金の御紋の印が捺され、皇后陛下主催の時は縁取りだけが金、そして皇太子殿下主催の時は単に印が捺されているんだそうです。
いずれにせよ皇居に入れるかどうかはこの招待状を持っているかどうかということが決定的なことなんです。
次にそこで出される料理は当然のことながら最高の素材を使ったものとなります。
エリザベス女王が国賓でいらした時のメインディッシュは小羊の肉を使った料理でしたが、その小羊は一年前から特別に飼育されました。宮内庁が管理する御料牧場で特別な餌で養われ、臭みが残らないように毎日シャンプーし、また寝床となるわらも毎日新品のものと交換していたというのです。
ところで宮中晩餐会では主催者と主賓のあいさつは一番最後だそうです。普通パーティーや晩餐会では初めに挨拶がありますね。そして、乾杯の音頭があって、それから食事が始まります。
しかし、宮中晩餐会では席に着くとすぐに食事が出てきます。来賓たちは待たされることなく食事に入るのです。そして、すべての食事が終わった後で天皇陛下と国賓の言葉があるのです。
それは最高のご馳走は料理ではなく主催された天皇陛下の言葉と、招かれた国賓のご挨拶であるという考えなのです。フルコースの料理はこのクライマックスの御膳立てにすぎないと言うのです。

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キリストの最後の晩餐

私はこの本を読みながらイエス・キリスト主催による最後の晩餐を考えていました。
キリストが十字架にはりつけ処刑される15時間ほど前に、キリストを信じる弟子たちだけを招いて密室で食事形式の集いを持たれたのです。
聖書はその時の様子を次の様に語っています。

また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」 また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。 これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。」

さて最後の晩餐を通してキリストが伝えようとされたこと、二つのことをお話ししましょう。

罪のない方キリスト

第一に、キリストは全く罪がない完全な方であるということを示されたのです。
実はこの時キリストが裂かれたパンは、ただのパンではなく種無しパンというものでした。
種というのは酵母菌のことなんです。普通のパンは小麦粉を水で練る時に酵母菌を混ぜます。そうする事でパン全体が発酵し膨らむからです。
聖書時代のイスラエル人も通常は発酵した膨らんだパンを食べたのですが、しかし、神への捧げものにするパンだけは一切パン種を入れませんでした。このパン種、全体を変化させてしまうものは、罪のひな型と考えられていたからです。
小麦粉に混ざった小さな酵母が全体を変えてしまうように、人間性の奥深くに堕落した性質が入り込んでいるのが我々人類なんだと聖書は語っているのです。
しかし、キリストは一切パン種の入らないパンを指して「これはわたしのからだです」と言われたのです。つまりキリストはどこにも罪が見当たらない完全な人なのだと主張されたのです。
その罪無きキリストが十字架の上で肉体が引き裂かれることを現すためにパンを割かれたのです。

キリストの血による罪の赦し

第二に、ぶどう酒の杯が回されました。
このぶどう酒はキリストの血を現すものでした。キリストは十字架の上で血を流してくださったのです。
その血は多くの人の罪を償うためのものだとおっしゃったのです。このキリストの血によって人が犯した全ての罪は清算されると言うのです。
ところで今、世界に200ほどの国があります。その中で最も危険な紛争国の一つにソマリア共和国という国があるんです。
ソマリアは何十年も内戦状態がずーっと続いているんですね。おびただしい人々が今も殺し合っているのです。
ところがこのソマリア共和国の中で例外的にこの20年間平和を維持している地域があるのです。それは自称独立国家を名乗るソマリランド共和国なのです。
共和国と名乗っていますけれども国連はここを国家として認めていません。地域の人々が勝手に独立宣言して国を名乗っているのです。
しかし、勝手であろうがなんであろうがソマリランドでは人々は食べ物に困らず、携帯電話も使える、独自通貨も発行し、内戦とは全く無縁の平和な生活を送っているんです。
右を見ても左を見ても戦国時代のソマリアの中でどうしてここだけは平和なんでしょう。ソマリランドの平和はアラビア語で清算を現す「ヘサーブ」によってまるで商取引のようにもたらされているのです。
この「ヘサーブ」において重要なのは誰が先にやったとか、何が原因で起こったのか、そういうことではなくて、人が何人殺されたのか、ラクダが何頭盗まれたかという数だけが重要なんです。
例えば人が一人殺された場合、殺した側は理由が何であれ、ラクダ100頭を被害者の遺族に差し出して償うのです。そしてそれでおしまいです。いったん償いが終わったらつべこべ言いません。
そして全員がそれに従うのです。と言うのはこれはソマリアの部族で何百年にもわたって伝わってきた掟であるからです。この掟に従い清算するとそれで“The End”とするんです。
ところが同じソマリア人なのに内戦が続く南部ソマリアではそれが出来ません。なぜでしょう。
ソマリランドは昔イギリス領でした。イギリスは間接統治でしたから部族の長老や氏族の力をそのまま残したんですね。
しかし、南部ソマリアはイタリア領でした。イタリアは氏族の仕組みを壊したのです。そして、イタリア移民を1万人以上も送って社会を根本的に変えてしまったんです。
そのために掟が機能せず、争いは泥沼と化して、いまだに解決できないままなのです。しかし、北部のソマリランドでは権威あるルールによる「へサーブ」という清算ですべて片が付くのです。
ところで、この全宇宙をお造りになられた創造主なる神は、罪の赦しのために権威あるルールをお定めになりました。
それは罪なきイエス・キリストの血による贖いを信じる者は、神の前に全ての罪の清算が終わったものとみなされるというルールなのです。
これはゴールデンルールです。神の黄金律です。
どうぞあなたもイエス・キリストを救い主として信じ、罪の赦しと永遠のいのちを神ご自身からいただいてください。心からお勧めしたいと思います。

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