新約聖書
『 しかし、キリストは、罪のために一つの永遠のいけにえをささげて後、神の右の座に着き、それからはその敵がご自分の足台となるのを待っておられるのです。 』
(ヘブル10:12-13)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.917 2017年10月22日

「悔い改めをもたらす」

おはようございます、高原剛一郎です!

カット
私は先日。督促OL修行日記という本を読みました。これは督促を仕事とするOLのN本さんという人が書いたものです。
督促とは要するに、借金の返済を迫ることです。彼女が入社したのはクレジットカードの会社でした。
最初の配属先はコールセンターです。しかも担当は、キャッシング専用カードのお客さんです。
当然のことながら多重債務者がたくさんいる、タフな部門なんです。それまでこのセクションには女性社員は一人もいなかったそうです。
課長から最初にかけられた挨拶は、「ようこそ男子校へ」だったそうです。そういう職場で、彼女はとにかくお客さんに電話をかけ続けるのです。
お客さんは全員返済期限が過ぎているのに、返済していない人たちなのです。この人たちは返済の督促電話なんか聞きたくありません。
それでも仕事ですから、かけなければならないのです。そしてそのやり取りを通して、彼女はどんどんどんどん心身を蝕まれていくのです。
あるお客さんは「そこまで言うなら、直接会って話そうじゃないか。N本とかいうたな、今から高速飛ばしていくから待ってろよ」、明らかに脅しですね。
別の人は「お前の会社に爆弾を送った。」と電話してくるのです。届いたのは段ボールに入ったキャベツだったそうです。
お客さんの攻撃的なことばで、彼女は入社半年にして体重が10㎏減り、10円禿ができ、顔中吹き出物だらけになり、皮膚がボロボロになってファンデーションが塗れなくなります。長時間労働の連続で、洗濯する時間も無くなり、下着はコンビニの紙パンツになったそうです。
仕事をする中で彼女は一つ発見がありました。負債を背負っている人たちは皆、弱い立場の人々だと思っていたのですが、実際恐ろしく攻撃的で、威嚇的で、高圧的だというのです。
みな苛立ち、不安定で、キレやすく、怒っている人たちばかりです。怒ってみたところで借金は減るわけではありません。だからこそ余計にいらいらするのです。
自分の力で返せないものを背負っている人たちは、皆一様に不幸です。返せないものを無理に返そうとして、犯罪に走る人もいます。
借金はすべての犯罪の温床となっているのです。そして聖書はしばしば罪を、借金にたとえて説明しているのです。
そしてこの罪と罪責感こそが、人間を不幸にしているものの元凶なのです。

ある首が回らなくなった女性

私は十数年ほど前、とある集会で聖書メッセージをお伝えしておりました。すると、数年前から首が回らなくなったという女性が、面会に来られたのです。
形成外科に行っても原因不明、整体やマッサージをしても一向によくならず、生活に支障が出ていました。いったいどうしてそんな状態になってしまったのでしょう。
実は彼女は会社勤めをしていたある日のこと、トイレに入って化粧直しをしていたというのです。すると仲良しの同僚が入って来ました。
この同僚に対して、彼女が心の中に溜めていた思いを打ち明けたのです。それは同じセクションにいる後輩のことでした。
彼女は、この後輩のやることなすこと、すべてが気に入りませんでした。口の利き方がなっていなくて、仕事が雑で、自分の都合しか考えず、迷惑をかけたのに何とも思っていないようなそぶり、どんな人格なのかと1分、2分まくしたてたというのです。
突然、使用中のトイレのドアが開いて人が出てきました。それは後輩だったのです。目を真っ赤にして泣いています。そしてそのままトイレから走って出て行ったのです。
次の日、彼女は出社してこなかったんですね。退社したからです。そんなことは大きな会社の中ではたまにあることなのかもしれません。
またこの後輩のことをよく思っていなかった人たちは、他にもたくさんいたようです。しかし彼女がやめざるをえなくなった直接の原因を作ったご本人は、心責められるようになっていったのです。
やがて心の痛みが大きくなって行くのに、それをごまかしているうちに首が回らなくなったというのです。
この原因は単なる疲労や、寝違いなんかではありません。彼女の良心が、彼女自身を罰することによって起こっているものである可能性が高いのです。私は聖書のことばを説明しました。聖書にはこう書いてあるんです。

しかし、キリストは、罪のために一つの永遠のいけにえをささげて後、神の右の座に着き、それからはその敵がご自分の足台となるのを待っておられるのです。

彼女のした悪口、陰口というのは罪です。それはすべきでありません。悔い改めるべきことです。しかしこの罪を罪として認めて、キリストの所へ行くなら、キリストは赦してくださいます。
なぜならキリストは罪の償いのために、ご自分を一つのささげ物として、十字架の上で死んでくださったからです。
一つのささげ物というのは、ただ一度きりのささげ物、という意味があるのです。キリストのいのちの代価はあまりにも高価で完全であるために、どんなに醜い罪もたった一度きりのキリストのいのちによって、永久に赦されるという意味が込められているのです。
彼女は神の前に悔い改め、キリストを救い主として信じ、そして自分のすべきことに専念することにしました。
それは後輩に手紙を書いて、詫びることです。それから半年ほどたって、私のところに連絡が入りました。
後輩から「もういい。ゆるします。私にも悪いところがあった。」という手紙が届いたのです。気がつくと彼女の首は完治していたのです。

罪の悔い改めに導くキリストの十字架

ところであなたは彼女のように、人の悪口を言ったことはありませんか。
私はありますね、それなのに平気で生きているのは、深刻な結果にまで発展しなかったからではないでしょうか。
しかし罪は必ず刈り取りをするときが来ます。人は蒔けば、刈り取るのです。罪を蒔けば、滅びを刈り取ることになるのです。
罪を持ったままでは、人は死後に滅びの中に陥るのです。だからこそキリストがただ一つのささげ物、完璧な犠牲の代価となってくださったのです。
ある小学2年の女の子の作文です
今日学校から帰るとお母さんが言った、「お兄ちゃんの机を拭いていると金魚鉢を落として割ってしまった。不注意だったお母さんが悪かった。」するとお兄ちゃんが言いました。「机の端っこに置いた僕が悪かった。」でも私は思いました。昨日おにいちゃんが端っこに置いたとき、危ないと思ったのにそれを言わなかった私が悪いって。それを帰って来たお父さんに言うと、「いやぁ、金魚鉢を買う時に四角いのと丸いのとどちらか迷ったけど、四角いのを買っておけばこうならなかった。だからお父さんも悪い。」我が家は、皆こうです。皆が悪いので、明るいです。
という作文です。この家族はどうして「私が悪かった」と告白できるんでしょう。赦されると知っているからです。赦されるから、悔い改めることができるのです。
キリストがあなたのために十字架で犠牲となり、よみがえってくださったのは、あなたを悔い改めに導くためなのです。
どうぞあなたも今までの考え方を捨て、キリストをご自分の救い主として、信じ受け入れ、永遠のいのちを頂いてください。心からおすすめしたいと思います。

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