新約聖書
「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。 あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」
(マタイ6:33-34)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.790 2015年5月17日

「心配からの解放の秘訣」

おはようございます、高原剛一郎です!

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 わたしはこの冬、ニュージーランドという国に行きました。
行って吃驚したことがいくつかあるんです。まず、南風が冷たいという事です。日本では北風が冷たくて、南風は暖かいのが普通なのですが、ニュージーランドでは南極に近い南からの風こそは冷たいのです。さらに夜空を見上げてびっくりしました。なんとオリオン座が引っくり返っているではありませんか。星座の形が北半球で見るのと180度逆向きなんですね。
しかし、もっとびっくりしたことがあります。実は私はある少年と仲良しになっていろいろお話が弾んだんですが、好きな生き物の話になった時、彼はなんといっても蛇が好きだ。大きくなったらニシキヘビを飼って一緒にベットで眠りたいというんです。じつは私は蛇が大嫌いなんですね。そこで思わず「変わってるなあ。」と言うと、彼は言いました。「誰と比べて?」これには参りましたね。思いがけない返しであったからです。いったい誰と比べて彼の趣味が変わっていたのでしょう。私、高原剛一郎の基準に照らし合わせると変わっているんですね。しかし私が人類のスタンダードであるはずがありません。人間の基準となるのは人間をお造りになった神の言葉だけなんです。さて今日はこの神の基準である聖書の中からキリストの言葉をご紹介致しましょう。

心配するのはやめなさい

 キリストはこうお語りになりました。

そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。 あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。 

ここには人生の思い煩いから解放される秘訣が書いてあります。ここで言う心配というのは人間として当然抱くべき用心深さや将来に対する準備を整えようとすることではありません。一年後に受験を控えている学生は今の実力では合格できないと判断すれば当然受験勉強に取り組むでしょう。それは人間として正常な事であり、その時に抱く心配は当たり前の事です。
しかしこの聖書で言っているこの箇所の語っている事は、しかしここでイエスが語る心配をやめよという意味は、心が心配で満ちていて何も手が付けられなくなる状態の事なんです。生きていくのも息絶え絶えになるほどに心配ごとに身をすり減らしてしまうこと、これをやめようと言うんですね。そのような生き方は神が人間に意図した生き方ではないと聖書は語るんです。ではどうすればいいんでしょう。3つのポイントでお話しいたしましょう。

神の国とその義を求める

 まず第一に、神の国とその義をまず第一に求める事です。神の国というのは神による支配という意味なんです。そして神の義というのは神による恩恵の事なんですね。普通倫理の道徳の学問の世界では義というと正しさを意味します。しかし、聖書の語る神の義とは神による恵み、神による慈しみを意味するのです。
この宇宙をも支配なさる神の支配力と、どんな愚かなものにも惜しみなく注がれる神様の恵みを兼ね備えておられる方が一人おられます。それはイエスキリストです。キリストこそは神の力でこの世界をコントロールできる方、また、いかなる罪人をも慈しみ救うことがおできになる方なのです。ですから人生において何においても、まずすべきことはこのキリストを自分の救い主として受け入れ神との正しい関係に入る事なのです。なぜなら多くの心配や思い煩いは、神から離れ、神という絶対的に信頼できるかたを見失った結果生じるものであるからです。

思い煩いをゆだねる

 第二に、この神に明日の思い煩いをなにもかも委ねることです。今から5年前ノーベル化学賞に二人の日本人科学者が選ばれました。鈴木博士、根岸博士です。このお二人には共通の恩師がいらっしゃいました。ハーバート・ブラウンという博士です。このブラウン博士もノーベル賞の受賞者です。
彼は自分の所にやってくる弟子たちに研究者としての大切な姿勢を繰り返し繰り返し語ってくれたそうです。研究者として一番大事なことはなにか。それはエターナル・オプティミズムだというんですね。訳しますと永遠の楽観主義です。科学者が新物質の発明に取り組む時、何回も何回も実験を繰り返し、上手くいかなければ別の方法に切り替え果てしなく挑戦し続けます。そのプロセスの中で大切になってくるのが永遠の楽観主義だっていうんです。っていうのは失敗が百回、二百回、三百回と積み重なっていくと、大抵根気が無くなり、悲観的になり、心が折れてしまい、諦めてしまうからです。そこで何度失敗してもきっと上手くいくよ。ゴールに近づいている途中なんだという楽観的に考える習慣が大切なんだっていうんですね。
アランというフランスの哲学者は悲観主義は気分であるが楽観主義は意志である。と言っています。悲しい事が起こると誰でも悲観的になります。しかし、そこで意志を働かせてより良い方向に向かうために手を打とうとするのが楽観主義です。そして聖書はこの楽観主義に根拠を与えています。それは神があなたを見守りあなたの人生を支配しあなたを恵んでくださるという約束なのです。神無き楽観主義は単なる思い込みですが神による楽観主義は信仰です。神様はあなたがキリストによって立ち返るなら全てを益にされるような人生の中に導きいれると宣言していてくださっているのです。

労苦は十分にある

 第三に、労苦はその日その日に十分あるという秘訣です。ここでいう労苦というのは何かに打ち込む時の精神状態の事を言っているのではありません。自分に出来る仕事の事です。今の自分に出来る事の事を労苦と語っているのです。心のエネルギーを無駄に消耗させるものはたくさんありますね。過去の後悔や将来への不安、心配です。これに心を使っていると一日中なにもできなくなって動けなくなってしまいます。
しかし、人生は出来ない事を悔やむことではありません。出来ることに集中するためにあるのです。以前出来たことが出来なくなってしまったということはあるでしょう。出来なくなった事はもうしなくていいんです。しかしまだできることが必ず何かしら残されているはずなんです。なぜならキリストはできることは、労苦はその日その日に十分あると語っておられるからです。この出来ることに集中して取り組んでいくことが思い煩いから開放されていく秘訣なのです。
どうぞ人生の最優先事項としてまず生けるキリストをご自分の救い主として受け入れて下さい。次に人生の重荷をキリストに明け渡してください。そして今の自分に残されている能力を使って出来ることに集中してください。心からお勧めしたいと思います。

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