新約聖書
「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」
(ヨハネ14:1)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.794 2015年6月14日

「創造主による自由」

おはようございます、高原剛一郎です!

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 私は先日、盲導犬の番組を見て大変感心いたしました。
実は、犬の目には色の識別能力がありません。ですから、信号の色は青なのか赤なのか、盲導犬には見えていないのです。では、どのようにして判断しているのでしょう。全体を見渡して、ほかの人が道を渡っているかどうかを見届けて、これを判断するというのですね。色が見えていない犬ですが、色に変わって時を見読むすべを心得ているのです。
ところで、私たちの人間の目にも見えないものがあります。それは、神です。創造主を肉眼で見ることはできません。しかし、この自然界全体を見渡すと、確かに、この自然界を設計し、創りだされた神がおられると判断できるのではないでしょうか。今日はその創造主を信頼する祝福について、お話ししたいと思います。

心を騒がしてはなりません

 ある時キリストは、こういわれました。

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」

 神を信頼することが、心に平安を持つ秘訣なのだと言われたのです。どうしてそのように言えるのでしょうか。

自分のルーツと存在に誇りを持つ

 第一に創造主なる神を信頼することで、自らのルーツと存在に誇りを持つことが出来るからです。
 ときどき、卵が先か鶏が先かという議論を聞くことがありますね。卵がないと鶏は生まれないし、鶏がいないと卵は生まれてきません。いったいどっちが先なのかとどうどう巡りの議論になるわけです。しかし聖書によると、鶏が先ですね。
そもそも、卵だけ存在していたとしても、そこからひなが生まれるためにはオスの精子が必要です。卵だけではスーパーで売られている無精卵と同じで、いつまでたってもひよこは生まれてきません。
さらに、有精卵の状態からスタートしたとしても、孵化するためには適温で、親鳥によって温められる必要があるのです。卵だけでは、単体では孵化できません。どうしても成長した親鳥がいないと始まらないのです。
そして、いきなり成長した親鳥から始まるためには、その親鳥を創った方がいなければならないのです。

神様があなたをお創りになった
 聖書は、「初めに神が、天と地を創造した。」と語り、また「種類に従って翼のあるすべての鳥を創造された。」と語っています。鳥だけではなく、万物の命あるものを創られた方がおられます。この創造主こそがあなたをもお創りになった生ける神です。つまり、あなたのルーツは神なのです。全知全能にして恵みと祝福に満ちた神が、計画をもってあなたをお創りになったのです。決して間違うことのない神様があなたをお創りになった以上、あなたの存在は決して間違いでなければ、失敗でもありません。
神による必然があなたなのです。

束縛から人間を解放する

 第二に、まことの神のみを神として信頼することは人生をシンプルにし、様々な束縛から人間を解放するものであるからです。
昨年、テニス界に日本人選手のスーパースターが誕生しました。錦織圭選手です。世界ランキング17位でスタートしたのが、年末にはベスト5入りし、今年の初めは世界4位にランキング入りしたのです。それまで、ベスト10の壁をどうしても越えることが出来なかった彼がめきめきと実力を付けた理由は、マイケル・チャンという台湾系アメリカ人のコーチを迎えたからです。
マイケル・チャン氏は選手時代、史上最年少17歳3か月で全仏オープン優勝を果たした人です。同じような身長、同じような体格、同じアジア人のマイケル・チャンコーチのアドバイスは実に的確で、様々なスキルを10か所以上も修正されたのだそうです。

神を礼拝して尊厳ある生き方をする

 そして、コーチがトレーニングしたのは、フィジカルだけではなく、メンタルにも及んだそうです。ある時コーチが錦織選手に尊敬する選手とその理由を尋ねたのだそうです。彼は、当時どうしても手が届かなかったトップ3の選手を挙げて、彼らがどんなに素晴らしいかどうかをほめそやしたそうです。
すると、マイケル・チャン氏はこのように言ったそうです。彼らのことは尊敬してもよいが、崇拝してはいけない。崇拝している限りあなたは彼らに勝つことはできない。心が屈伏している相手に勝つことが出来るはずがない。彼らはあなたがいつか、倒さなければいけない相手なのだ。人間のことを尊敬してもよいが、礼拝してはいけない、そんな内容のアドバイスです。
人を崇拝してはいけない、礼拝してはいけない、そのように断言できたのはマイケル・チャンがクリスチャンであったからです。人間がひれ伏してもよい対象は神だけです。神は人間からそうされるにふさわしい方であるからです。なぜなら創造主は、すべてを創り、すべてを用意し、すべてを支えておられる全能者であるからです。
しかし、神未満のものに人間が崇拝の心を持つと、人間はその対象の奴隷になってしまうのですね。
お金を崇拝する人は、お金の奴隷です。恋人を崇拝する人は、恋人の奴隷です。仕事を崇拝する人は、仕事の奴隷です。
人間が自由な存在として、尊厳ある生き方が出来る唯一の道は神だけを礼拝することです。それ以外は偶像崇拝の人生になってしまうのですね。

神は信頼に値する人格のある方

 第三に、神は信頼に値する人格あるお方であるからです。
神様は今あなたをご覧になり、あるべきところに戻ってくること、神のもとに戻ってくることを心から望んでおられるのです。
むかし、宮沢賢治が農学校の先生をしていた頃のことです。彼の住んでいる村に、よく物を盗んで仕方がない子がいました。誰が叱ってもこの盗み癖が治らないのです。ある日の夕方、宮沢先生が学校から帰ってくると、畑でその子が何かを盗んでいるのです。
宮沢賢治は立ち止まりました。その子も宮沢賢治が見ていることに気が付いて立ち上がりました。宮沢賢治はその子の顔をじっと見ていました。その子も宮沢賢治のことをじっと見ていました。ただ見つめるだけで、何も言いません。この無言の対決が2、3分続くと、その子は盗んでいたものを下におろして、宮沢先生に礼をすると、家に帰っていったのです。
そこで、宮沢賢治はにこっと笑いました。そしてその子はその時から二度と物を盗むことがなかったというのです。

神は慈しみのまなざしで見ておられる
 彼はなぜ盗みをやめたのでしょう。きっと、宮沢賢治がその子を見る顔がよかったのではないかと思うのです。たいていの教育者なら「コラ!、またやったのか!」と怒鳴り散らすことでしょう。そしたら少年は走って逃げ、宮沢のいないところで同じことを繰り返したに違いありません。
ところが、宮沢は起こりませんでした。ただ見つめたのです。あるべき姿を逸脱した少年を、慈しみと悲しみの目で見ていたのです。そのまなざしが少年の心の中に焼き付いたのでないでしょうか。
神はあなたを今、慈しみの目でご覧になっているのです。そして、神に立ち返らせるために、イエス・キリストを送ってくださったのです。
 どうぞあなたも、イエス・キリストを信じてあなたの人生を祝福したいと待っておられる神様に帰ってください。心からお勧めしたいと思います。
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