新約聖書
「神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。」
(1テモテ2:5-6)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.807 2015年9月13日

「神は唯一です」

おはようございます、高原剛一郎です!

カット
みなさん、こんにちは。
フル充電の高原でございます。
実は、この公開収録というのは、私にとりましても大変ドキドキする企画なんですよね。この、ラジオでは声は聞こえても姿を見ることはできません。それで、多くの方々は声でどんな人なのかなあ、とある程度想像した上でこういう収録に来てくださることが多いんですが、たいてい実物を見てですね、ガッカリされているような感じなんですよね。というのはですね、「ちっさ……」とかいう声が時々聞こえてくるんですよね。まあでも今日、ライブですのでね、ご一緒に、聖書のメッセージのエッセンスをご紹介したいなというふうに思います。お手元のプログラム用紙の右のページの上に聖書のことば、みことばが出てきますね。まずここをお読みいたしましょう。

「神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。」


と書いてあるんですね。

一字違いで大違い

 先日私は、あるお笑い映画を見たんですね。主人公の男性がフィアンセに結婚指輪を贈るために宝石店に行くんですね。そして、リングの内側に文章を打って下さいって言うんです。その文章の中身は「永遠に一緒だよ」という誓いの言葉ですね。ところがですね、出来上がったこのリングをよく見るとですね、「永遠に一緒かよ」。一字違いは大違いですよね。「永遠に一緒かよ!」っていうのは「うんざりなんですけど!」みたいなね。一字違いで大違いということが日本語の中にありますが、最も大きな一字違い、それは神に関することだと私は思っています。

聖書が語る神は人間「を」造られた方

 実は、私たちが今まで聞いてきた神様っていうのはね、人間「が」作った神々です。人間の宗教心が作った神。人間の想像力で作り上げた神。そういう神々は、地方によって、文化によって、民族によっていろんな神々がおそらくこの世界中にあることでしょう。しかし、聖書が語っている神様は人間「を」お造りになったかた。あなたの作者であるかた。この全宇宙の第一原因者であるかた。いのちのルーツそのものであるかた。そしてその神様が、理由があってあなたという人間を造ってくださったのですよ、と聖書は語るのです。「神は唯一です」というのは、こういう意味なんですね。私たちが信頼してもよいのはただおひとり、神ご自身だけです、創造主だけなのです、とここで語っているんですね。私は、このことが本当に理解できたら依存的な生き方から解放されて、真に自立的な生き方ができるようになるのではないかな、と考えています。

幼い時の思い出の数々

 実は私はですね、2歳になる少し前に父親を亡くしました。そして、4歳になるときに母が再婚したのです。再婚相手のかた、新しい父と私の関係は最悪だったんですね。まあ、本当に家の中に居場所がなくって、いつまでこんなことが続くんだろう、というそんな少年時代でしたが、見るに見かねた母親が、私が小学校一年生、6歳になったときに、家の中に居場所がないんだったら、家の外に家庭のような場所があるから、そこに行ってみないか。それが、教会が主催している子供向けのプログラムで、日曜学校というところだったんですね。それで、母の描いてくれた地図を片手に、弟と一緒に日曜学校へ出かけましたね。朝の七時ですよ。12月、雨が降っていた。寒かったんですね。ところが、日曜学校の開始時間が9時だったんですね。まあ早く行き過ぎました。母がね、7時に間違いない、私のときはそうやったって言ってですね、いつの時代のことかなと思ったんですけど。まあ、もうね、待って待って。八時半くらいになってね、ようやくその牧師さんが出てきましてね、そして「いつから待ってたの?」「7時からです」と言ったときにかけてくれた言葉が私の心を射抜きました。「2時間近く待ったんだね。そんなに長い間待てるって、立派だね」って言ったんです。

日曜学校でのこと

   実は、私は子供のときにね、父親と同じような世代の男性から褒められるということが一回もありませんでした。だから、立派だねっていうふうに言われたときにね、もう嬉しくて。木があったらきっと登ったことでしょう。まあその後でね、日曜学校が始まるまでちょっと時間があるからと言って、牧師室というところに招き入れてくれたのです。そして、私と弟に、生まれて初めてですね、ココアを振舞ってくれたんですね。もうね、温かくって、甘くって、ホカホカしてきてね。私にとってね、神様っていうのはね、ミルクココアのイメージ。実はですね、私はそのときね、あの、子供心にひとつ願ってたことがありましてね、欲しくてほしくてたまらないものがあったんです。それは何かといいますとね、お金です。金があったらなあ、現金があったらなあ、お金ってないかなあ、いつもね、お金のことを考えている小学生だったんですね。それはなぜかといいいますとね、金さえあったら、母を楽にさせることができるんじゃないか、もっと良いところに移り住むことができるんじゃないか、この苦しい状況から脱出できるんじゃないか。だから、お金、というのはね、お金そのものに魅力を感じていたというよりも、お金がもたらしてくれるであろう平安に憧れていたのではないかと思うのですね。

幼ないなりに感じた真の平安を持つ人

 ところがね、その教会学校へ行きだしてから、日曜学校に行きだしてからですね、ちょっと頭が混乱するんです。というのはですね、その当時、私の身の回りで一番幸せそうにしている人、内面的に満ち足りていそうにしている人っていうのはね、その牧師さんだったんですね。ところがこの牧師さんはですね、どうみても、お金を持っていなさそうだったんです。まあ今でも覚えてますけどね、こう、手をこうやって振ってね、聖書の話をなさるんですけど、あるときね、腕時計がちぎれてピョ-ンと飛んでいったんや。私はですね、この、バーっと行ってこれをすぐ拾い上げて、そして牧師に渡す前にその時計見たらね、その腕時計のベルトがボロッボロ。私はそれを見たとき子供心にね、苦労なさってるんやなと、この人は貧しいんやと、確信しましたね。ところが、私の知っているたいていのお金持ちそうな人よりも、はるかに内面的には落ち着いて、平安に満たされていたのです。それはね、全知全能の神様が私の命を握っていて下さっているんだという、深い確信に由来するものであったと思うのです。この、まことの神を神にする、っていうことはね、本当に私たちのアイデンティティを自立したものにすると思うんですね。

人の価値はどのようにして決まるか

 実は私は昔、あの関西の有名私立大学で講師をやっておりました。ところが、ある年ですね、ちょっと都合で行けなくなったということを申し上げますと、じゃあピンチヒッターで誰か送って下さい、ということで私の知り合いを送ったんですよね。そうしましたらですね、しばらくすると大学から連絡がありまして、「ありがとうございます、すばらしい人を紹介して下さってね、大盛況でした。ありがとうございます……高原さんに来てもらわなくてよかったです」という、最後の一言を聞いたときにね、血の気が引いていくのがわかりましたね、ザザザザザザザザ――っと。それから一週間ほどずっと落ち込んでるんですよね。それ以来、ピンチヒッターだった彼がレギュラーとなり、二度と呼ばれてないんです、私。
 そのときにですね、なんか自分には価値がなくなってしまったんじゃないか、自分の存在価値っていうのは減ってしまったんじゃないかという風に感じてしまった、その最大の理由は何かといったら、大学当局を神にしていたからだと思うんです。神でもないものを、私の価値を決める基準としていた。神以外の、人の評判とか、あるかたはお金とか、あるかたは資格とか、あるかたは友達とか、いろんなもので自分のアイデンティティを支えようとするんですけれども、全部、ひっくり返るものです。しかし、聖書の神様というのは、昨日も今日も、いつまでも変わることはないかた、その全知全能者が私たち一人ひとりを愛して、そして私たちに対して、わたしの目にあなたは高価で尊いんだ、と本気で宣言して下さっているんですね。

「神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。」

 どうぞ、あなたの造り主のもとに、救い主イエス・キリストによって立ち返ってくださいますように、心からお勧めしたいと思います。

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