新約聖書
「キリストは神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。」
(ピリピ2:6,8)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.857 2016年8月28日

「究極のポジションチェンジ」

おはようございます、三綿直人です!

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あるとき私は友人から相談を受けました。「夫婦関係どうやって円滑にしたらええんや」という話でした。「『あんたは私のこと全然わかってへん。愛してくれてない。』って言われるんやけど、俺なりに大事にして愛してるつもりなんやけどなあ。三綿、ええアドバイスしてくれよ。」って言うんですね。
私はこんなふうに言いました。「行動で示さなあかんとこあるんちゃうか。奥さん、子ども二人目産まれて大変なんやからちょっとぐらい家事とか手伝ってやったらどうや。」
友人は「そうか分かった。」言うて「やってみる」って言うんですね。そして、しばらくして連絡が来ました。
「三綿、あかんわあ。」「どないしたん。」「こないだ な、掃除機かけたんよ。」「うん。」「ほんだらな、嫁に言われた。『何それ?嫌味?うちの掃除にケチつけてるわけ?』三綿どないしたらええねんこれ。」と言う話でした。私のアドバイス大失敗です。
私たちは心にあるものを言葉とか行動で表します。受けるほうはその言葉とか行動を見て意味を理解するんですが、その時に関係が悪いとその変換がうまくいかないんですよね。普通に良い関係があれば「掃除してくれてありがとう。」なんですけど、関係が悪いと「嫌味?掃除せんでええから。」になるんです。
関係を構築するためにコミュニケーションが大事。コミュニケーションをうまく取るためには関係が大事。本当に難しいもんですね。そもそもの関係が悪いとコミュニケーションがうまくいかない。 こういうときにどうしたらいいんでしょう。
今日は相手の立場に立つというポジションチェンジについて考えていきたいんです。

ボナー・フェラーズと河合道

1945年8月30日、日本がポツダム宣言を受諾してから約2週間たった時、ダグラス・マッカーサーとボナー・フェラーズが厚木基地にバターン号で着陸しました。この日から連合国軍による日本占領が始まったんですよね。
このダグラス・マッカーサーとその右腕のボナー・フェラーズはそのまま横浜のホテルニューグランドに宿泊します。マッカーサーの最大のミッションは日本との関係をどうするのかということでした。そしてその右腕であるボナー・フェラーズのミッションは天皇の処遇をどうするか。これをマッカーサーの目となり耳となって情報を集め、マッカーサに進言することが彼の仕事だったんです。
そしていわゆるフェラーズの覚書というものがマッカーサーに伝えられて、天皇の処遇をGHQが決定したと言うんですが、ボナー・フェラーズが横浜のホテルについて一番最初に是非この人と会わしてくれと捜索願いを出したのが河合道という人でした。
1973年に彼はなくなるんですがその時のインタビューで彼はこんなふうに言ってるんです。「私はあの覚書を河合道から授かった。彼女は実に偉大な女性だ。彼女が私を助けてくれた。マッカーサーの天皇に対する態度に大きな影響を及ぼしたのは実は河合道だ。」
河合道とはどんな人だったんでしょう。お父さんは神官です。しかし明治の改革でほとんどの神官は職を失いました。道8才の時です。
北海道の函館へ家族は移住します。そこでサラ・スミスという宣教師の女性のクリスチャンと出会うんです。それらの影響を受けながら神官であったお父さんも聖書を読みクリスチャンになります。
彼女は学校で習ってる時、札幌農学校の教授であった新渡戸稲造29才が教えに来てくれてたんですね。道14歳、新渡戸29歳の出会いでした。この出会いが彼女の人生に大きな影響を与えます。
ご存知のように新渡戸稲造も敬虔なクリスチャンでした。

相手の立場に立って理解する

1945年の9月27日、天皇・マッカーサー会見が行われます。ボナー・フェラーズは同席し、通訳はフォービアン・バワーズという人だったそうですが、この時天皇はゴッドエンペラーと英語に訳されていて、アメリカ人は神が天皇という理解をしてたんですね。そして人間なのに神、ゴッドを名乗るなんてと言うことでアメリカの世論のほとんどは天皇を厳罰に処すことを求めていました。
しかし天皇は処刑されませんでした。天皇を尊敬して日本の宝物のように連合国軍は取り扱っていったんです。その背後にこのボナー・フェラーズの覚書があります。この覚書の背後に河合道の働きかけがあったんです。
どうしてこんな結論になったんでしょう。そのキーワードがポジションチェンジです。河合道はフェラーズに力説しました。
「フェラーズさん天皇はGodではありません。日本の神とあなた方が考える、又、私も信じるGodは全然違うんです。日本人は死んで神になります。西洋人がこれを理解するのは難しいです。日本人にはGodがいません。Godは世界の造り主です。しかし日本にはたくさんの神がいます。日本人は国家のために死んで神になるんです。その死んだ人々の慰めの存在が天皇なのであって天皇はGodではないし、天皇が戦争を誘導したのではありません。もし天皇を絞首刑などにされるならば、私がいの一番に死にます。それ程天皇は慕われています。今の陛下は特にそうです。これからのアメリカと日本の関係を考えるならどうぞ天皇を手厚くお取扱いください。」
この河合道は神官の娘でした。この神道の考えと聖書の考えの両方共が理解できたんです。そしてこの2つを見比べながら真の神、世界の造り主、Godを日本人が知らないということの悲哀と、その知らない日本人を憐れんでほしいという情熱がこのボナー・フェラーズの心を動かし覚書に代わっていったんです。
相手の立場に立って理解する、そのことを実現したのは河合道という架け橋になった人の故でした。

キリストは人の立場をとられた

聖書の箇所にこういう言葉があります。

キリストは神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。

神が人となられたと宣言しているんです。それは私たちとの関係を修復するためです。キリストの十字架は赦しの宣言です。「あなたは死と滅びに向かう必要はない。わたしはあなたを愛している。あなたとの関係回復を望んでいる。」神の愛、Godの愛はキリストの十字架で表されました。真心から行いと真実を持ってあなたを愛し、私たち人間を理解しておられる神、究極のポジションチェンジをされたこの神を信じてください。心からお勧めします。

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