新約聖書
「あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。」
(コロサイ2:13-14)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.865 2016年10月23日

「罪の負債からの解放」

おはようございます、高原剛一郎です!

カット
今から50年ほど前、アメリカからロバート・ケネディという若き司法長官が日本にやって来たことがありました。
彼のお兄さんはジョン・F・ケネディ、アメリカの大統領です。そしてロバート自身も兄の次に大統領になるだろうと皆から期待されていたんです。
そのロバートが早稲田大学で講演をすることになっていました。ところが当時は学生運動が盛んだったのです。そして多くの学生はアメリカに反対することが社会正義だと考えていたのです。それで講壇のステージにロバートが立つとアジテーターが立ち上がって彼を口汚く罵ったのです。
「帰れアメリカ野郎!アメリカ帝国資本主義だ!アメリカ反対だ!」と野次り倒したのです。とても講演できるような状態ではなくなったのです。
ところがその時ロバートは言ったんです。「私は一つ日本の歌を知っているのです。」そう言うと早稲田の校歌、「都の西北」を歌い出したと言うのです。次の瞬間学生たちは熱狂し、肩を組み合い、気が付けば会場は「早稲田!早稲田!」の大合唱となっていたと言うのです。
それが終わった時、学生たちのケネディに対する評価はすっかり変わっていたんです。彼は案外いい人かもしれないぞという歓迎ムードに一変してしまっていたからです。それは自分たちが大切にしてる歌を彼も日本の代表的な歌であるかのように紹介し歌ったからです。
人間っていうのは、自分が大事にしてるものを大事にしてくれる人のことを、大事にしたくなるのではないでしょうか。ところであなたにも大事にしているものがあると思います。過去の美しい思い出や、あなたの家族、健康、そして何よりあなたが大事にしているものは自分の命だと思います。そのあなたの人生やあなたの命をあなた以上に大事に思っておられる方がいるとしたらその方の言葉を聞いてみたいと思いませんか。
私はあなたの命、あなたの永遠の行き先を、心の底から心配してる方を今日紹介したいのです。それはあなたをお造りになった創造主なる神様です。

コロサイ人への手紙2章13-14節

今日はあなたの死後の将来のことまでをも真剣に案じている神の言葉を考えたいと思います。聖書の中にこういう言葉があります。

あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。

二つのポイントでお話ししましょう。

活用されていない死んだお金

第一にすべての人は神から離れる罪によって死んだものであるという事です。
普通死んでると言うと命がなくなることを意味しますね。ところで日本語の表現の中には本来命のないものにも死んでいるという言葉を使うことがあるのです。例えば「死んだ金」という言い方です。
実は日本の銀行には10年以上預けっぱなしにされ、しかも一回も引き出されたこともなく、その上連絡先も分からなくなった現金が、貯金が、850億円もあるというのです。お金は使って初めて価値を生みますね。しかし、これらのお金は誰にも活用されることがないのでお金でありながらお金の役割を果たせないのです。そしてこういうお金のことを「死んだ金」と言うのです。
この場合死んでるとはそのものが持っている本来の働きが果たせないことを言います。また陳列する場所をあやまるとせっかくの絵も死んでしまうというような場合、そのものが持っている生命観や価値がなくなるという意味ですね。

キリストの十字架は死んだ状態の人のため

人間は神に対して死んでいるというのもそれと似ています。人間は本来神と人格的に交流して生きるように造られています。これは動物と人間を分ける決定的な違いです。
ところが人間は神と交流する霊という部分が活用されない状態になっています。これを神に対して死んだ状態であると言うのです。
そしてその原因は神から離れる罪が生んだものなのです。
しかし、キリストは神と断絶状態にある私たちを再び神のもとにつなぐために来てくださったのです。そして十字架に架かって私たちの罪をその身に負い、私たちの身代わりに死んでくださったのです。

罪は負債に似ている

ところで徳川時代、江戸や、京、大阪の街には大きな呉服屋さんがありました。これらの呉服屋さんが万一火事になった時、いの一番に燃えないように井戸の中に放り投げる物があったのです。
それは一体何でしょう。一番良い反物ではありません。水に濡れたら賞品にはなりませんからね。とにかく何が何でも燃えることを阻止した物がありました。それは大福帳です。
大福帳というのは顧客リストで、そこには誰にどれだけの貸しがあるかが記録されていたのです。と言うのは、江戸時代は呉服屋の多くはツケで売ってたんですね。この付けの金額を記録した借金債務証書、この文書さえしっかり残っていたら資金回収が出来るので商売を続けることが出来たんですね。
これは現在でも同じことが言えます。消費者金融の会社が一番恐れているってことは何でしょう。それは借金を踏み倒されることでしょうか。そういう例は少ないんですね。
消費者金融の一番恐れているのは全額返済されることなのです。というのは業者にとっては利子こそは利潤のすべてだからです。
しかし、借りている方としては借金記録債務証書は負債以外の何ものでもありません。それは負債のあるものを追いかけ、追い詰めていくものであるからです。 それは罪についても言える事なのです。

罪の記録を無効にする十字架

今から70年ほど前、第二次世界大戦の時にオランダのクリスチャン女性、姉と妹の二人がランズブルックという絶滅収容所に入れられるということがありました。
妹の名前はコーリー・テン・ブームと言いました。彼女たちはユダヤ人をナチスヒットラーの手からかくまうために家を改造し、亡命組織を作って地下活動をしていたのです。
あるとき密告によって一度入ったら生きては戻れないというそのランズブルックに入れられてしまうのです。このコーリーさんのお姉さんが栄養失調で亡くなってしばらくしたあと、彼女も死刑宣告を受けるために所長に呼び出されたのです。
これが最後と思ったコーリーは所長にキリストを伝えました。すると所長は何を思ったか彼女の死刑宣告文書を暖炉の中に入れて燃やしてしまったのです。そして言いました。「あなたを死に定めた宣告証書はもはやどこにも存在しなくなった。あなたは自由だ。」
暖炉の中の燃える炎が死刑宣告文を燃やしてしまったように。十字架にかかったイエス・キリストに下った神の裁きの火はあなたの罪を指摘する一切の記録と律法債務証書を消滅させてくださったのです。
聖書はこう言っています。「神は私たちのすべての罪を赦し、私たちを責め立てている債務証書を無効にされた。」
どうぞあなたを救うために十字架の上で死に復活したイエス・キリストをご自分の救い主として信じてください。心からお勧めしたいと思います。

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