旧約聖書
『しかし、シオンは言った。 「主は私を見捨てた。主は私を忘れた」と。 「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。」』
(イザヤ49:14-16)

Default Text

「聖書と福音」高原剛一郎

No.886 2017年3月19日

「あなたを身体に刻む愛」

おはようございます、高原剛一郎です!

カット
さて、くまモンの作者で放送作家の小山薫堂さんがある大学で授業をした時のことです。小山さんの支持で主婦の鈴木さんが市販のルーを使って、カレーを作っていました。
食べたい人を募りますが、学生たちはランチを食べた後だったので、誰も手を挙げませんでした。その時、小山さんが主婦に尋ねたんです。
「ところでお母さん、息子さんのお名前は。」
「はい、ありふれていますが、一朗です。」
そうです。主婦は大リーグのイチロー選手のお母さん、鈴木淑江さんだったのです。学生たちは全員手を挙げて、カレーを食べたいと申し出たのでした。
イチロー選手は子供の頃から、頻繁にカレーを食べていることが知れ渡っていたからです。
ところで、イチロー選手が少年時代に食べていたのと同じカレーを食べたいと学生たちが思ったのは、なぜでしょう。カレーつながりで、イチロー選手とつながりを持てると思ったからではないかと思うのです。
人は偉大な人物、偉大な存在とつながりたい、関係を持ちたいと願っているのではないでしょうか。

神から関係を持とうとされている

ところで、最も偉大な存在の方から、あなたに対して関係を持ちたいと願っているとするなら、驚きませんか。
実はこの全宇宙をお造りになった、真の創造主である神さまはあなたとつながりたい、あなたと関係を持ちたい、あなたをご自分の子にしたい、と願っておられると聖書は語るのです。
聖書にこう書かれています。

しかし、シオンは言った。 「主は私を見捨てた。主は私を忘れた」と。 「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。」

ここから三つのポイントでメッセージを取り次ぎましょう。

神はあなたをお忘れにならない

第一に、神はどんなことがあっても、あなたをお忘れになることがない、ということです。
このことが強調されているのは、人は忘れられたと思い込む時、生きる勇気を失ってしまうということを神さまはよくご存じだからです。
イギリスの著名な国際問題評論家、ビクター・ゾルザ氏は、25歳だった娘さん、ジェーンの生と死について本を書いています。
ガンが進行して痛みと苦しみに叫び声をあげるジェーンを見て、両親は病院からホスピスに転院することを決意します。
救急車でホスピスに着いて、病室に入ると、医者がベッドサイドに椅子に座りました。両親は、どんな処置をしてくれるのかと見ていると、ドクターは何もしないでただジェーンの手を握り、静かに尋ねたのです。
「今あなたが一番してほしいと思っていることは何ですか。」
ジェーンはすぐに答えました。「お父さんにずっとそばにいてほしい。」
するとドクターは笑顔で「この部屋に予備のベッドを入れますから、大丈夫。そして、お父さんの執筆の仕事をここでできるように、机の用意もできますよ。」と配慮あることばをかけてくれたのでした。
そういう穏やかな対話が進む中で、不思議なことが起こるのです。あれほど全身の痛みを訴えていたジェーンが穏やかになり、痛みを口にしなくなっていったのです。
一体痛みはどうなったんでしょう。身体のあちこちにガンが転移し、疼痛が激しかったということは事実です。
しかし、それが絶叫するまでに至ったのは、ガンによる生理的な痛みだけではなく、死を目の前にする恐怖、自分だけが去っていくという疎外感、孤独感が痛みを何十倍、何百倍にも増幅させていたのです。つまり、魂の痛みが肉体の痛みを一層激しいものにしていたというのです。
誰からも顧みられず、忘れ去られていくということの恐怖は本当に恐ろしいものです。そして、神さまはそれをよくご存じです。
ですから、私たち一人ひとりに語りかけておられるのです。たとい女たちが自分の乳飲み子を忘れるようなことがあったとしても、このわたしはあなたを忘れない。わたしにとってあなたは、乳飲み子に勝る大切な子なのだよ、と。

神は罪人をあわれまれる

第二に、神さまは罪に堕ちたものに対して、あわれみを働かせてくださる方だ、ということです。
この語りかけは、どのタイミングでなされたものなのでしょう。「主は私を見捨てた。主は私を忘れた。」と人が言った時に神の方から間髪を入れずに呼びかけられたことばなのです。
女が乳飲み子や胎児をあわれむのは、これらがかよわく、小さく、あどけなく、反抗的でなく、愛くるしいからです。
しかし、大人になった私たちは、ふてぶてしく、反抗的で、強情で、そしてたくさんの過ちや罪を犯してきました。
しかし、神さまは人が罪に堕ちて絶望するまさにその時、あわれみを働きかけてくださる方なのです。
神さまの前には私たちの罪ですら、無力です。罪ですらも、神から愛を取り上げることはできません。
私たちが罪人であるということは、私たち自身が自覚しているよりもはるかに深く神はご存じです。その上で神さまは決して忘れていないよ、と呼びかけてくださる方なのです。

私たちのために傷つけられた

第三に、神は私たちに愛をことばで呼びかけるだけではなく、ご自分の手のひらに私たちを刻んだと宣言なさってることです。
これは詩的な表現ですね。
ところでときどき、自分の体に妻の名前や恋人の名前を入れ墨にしている人がいらっしゃいますね。
入れ墨で体に書き込むと、石鹸で洗おうが風呂に入ろうが洗い流すことはできません。いついかなる時にも自分の中にその名前が刻まれているので、どこに行く時も一緒です。しかし、タトゥを入れるためには体の皮膚を傷つけなければならないのです。
神さまはご自分のからだを傷つけて私たちを覚えることで、ご自身の愛を明らかにされるというんです。一体、どのようにしてでしょう。
この聖書の箇所が語られてから、約700年後、神のひとり子は人としてユダヤ民族の中に誕生してくださいました。赤ん坊として生まれてきてくださったのです。
そしてそれによって、肉体を持たれたのです。このからだを持たれた神こそは、イエス・キリストという方なのです。
キリストはそのからだを十字架の上にはりつけにされました。三本の釘で、両手両足が十字に組んだ丸太の杭に打ち付けられたのです。
覚醒した意識のままで、からだを引き裂きながら、キリストはあなたの罪の赦しを真心から祈ってくださいました。
そして祈るだけではなく、あなたの罪を一身に引き受け、神のさばきを受けてくださったのです。
十字架の上で息をひきとり、三日後に復活された時、この方のからだには両手両足脇腹に傷あとが残っていました。まさにキリストは、ご自分のからだに罪の償いの証拠をくっきり残して、私たちの救いの保証となってくださったのです。
いつもあなたを忘れることなく、罪を犯した時には、あわれみの心に沸き立ち、そしてご自分のからだといのちを犠牲にして、あなたを贖い取ってくださったイエス・キリスト。どうぞこのイエス・キリストをご自分の救い主として、今日、迎え入れていただきたいのです。
神はその告白を喜んで受け入れてくださる方です。心からお勧めしたいと思います。

コーヒーカップ
時計
MILANの消しゴム