新約聖書
『 そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。 』
(ヘブル2:17)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.921 2017年11月19日

「神と人との架け橋イエス・キリスト」

おはようございます、高原剛一郎です!

カット
以前「日本モーターボート協会」という団体がありました。現在では「日本財団」という名称になっています。協定の収益基金の一部を慈善事業にあてる活動をなさっています。
この協会の初代会長は笹川良一という方でした。この方はこの財団のCMに自ら出演されていました。多くの子どもたちが集まる真ん中で彼は大きな声で言うんです。「世界は一家、人類はみな兄弟。」
さて、このコマーシャルには第二弾がありました。そこではたくさんの子どもたちと一緒に拍子木を打ちながら街を練り歩くのです。そして彼は大きな声で言うんです。「戸締り用心、火の用心!」
さてこのCMを見ていたイギリスの新聞記者が言ったのです。「このCMはクレージーだ。どうしてかと言うと、もし人類がみな兄弟なら戸締りする必要なんかない。もし戸締りする必要があるなら人類は兄弟なんかじゃない。」相反する二つのことを言っているという点でこのCMはおかしいって言うんですね。
しかし、私はそうは思わないのです。聖書を見ると人類は共通の先祖から出てきた兄弟姉妹です。初めの人間アダムとエバから分かれ出た子孫たちが今の人類です。
世界は一家と言うのはその意味で正しいことです。そして家族であるなら用心しなくても良いと言うのはこの新聞記者の人間観の浅さを物語っているようにも思えてくるのです。
と言うのは、実は人間は遠い関係にいる人より、むしろ近い関係にいる人との間がこじれた時の方が和解することが難しいからです。
実は世界的に殺人事件の加害者の40%は家族だということが分かっています。殺人事件にまでいかなくても、仲の悪い夫婦、親子、兄弟は世界のどこにでも見出すことが出来るのではないでしょうか。

神を見失うことが「罪」であり不幸の原因

どうして同じルーツから出て来たのに互いに尊重したり、愛し合ったりすることが出来ないんでしょう。それは人類が同じルーツを造られた神を見失っているからです。ちょうど親が生きている間は形式上仲良くしていても、親が死んだとたんに醜い遺産相続を始める子どもたちのようです。
人は皆、人を造った神を恐れなくなったために、自分の欲望を中心に生きるようになったのです。この神を恐れず、神を無視し、神から離れる生き方を聖書は「罪」と語っているのです。この罪こそが人が不幸になる最大の原因です。しかし、神は私たちにキリストを送って罪からの脱出を実現してくださったのです。
聖書はこう語っています。

そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。

キリストは人と神の仲介者

さて、ここでキリストは大祭司であると書いてありました。大祭司というのは神と人との懸け橋、仲介者のことです。
完全な仲介者になるためには両者から完全に信頼される人でなければなりません。実にキリストは神から全幅の信頼を受ける方でした。
なぜなら第一に、神に対して忠実な方だからだと書いてあるのです。忠実とはとことん真心を持って仕えるということなのです。
昔、吉田松陰という人がまだ17歳の少年だった頃のことです。彼は家庭教師、林真人先生の家に住み込みそこで学んでいました。ところが真夜中にその家が火事になったのです。松陰少年はそのまま飛び起き、寝巻のまんまで出来るだけ家のものをたくさん外へ運び出したのです。しかし、松陰少年はこの時に致命的なミスを犯すんです。何と武士の魂である自分の刀を運び出し損ねてしまったんですね。
林先生は烈火のごとく怒って少年を叱り飛ばします。「何という不届き物か!」と。実は松陰が忘れたのは刀だけではありませんでした。自分の持ち物は全部忘れていたのです。松陰少年が燃え盛る家から命がけで持ち出したものは全部林先生の物ばかりでした。彼にとっては自分の刀よりも尊敬する先生のことがもっと大事であったからです。そして、これを忠実と言うのです。
キリストは父なる神様に対して果てしなくどこまでも忠実な方でした。それで父なる神様のご意志が人類救済と分かった時、神の在り方を捨てて人としてこの世界にまで下って来られたのです。
このようにとことん忠実な方だからこそ神はキリストの言うことを何でもお聞きになるのです。

キリストは私たちに対して憐れみ深い方

第二に、この方は神に背いて離れ去った人間に対してとことん憐み深い方なのです。
江戸時代、土井利勝という老中がいました。彼は第二代将軍徳川秀忠に仕えたのです。ところで秀忠という人は大の煙草嫌いだったのです。それで江戸城内では完全禁煙令というのを出したんですね。
しかし、家来の中には重度のニコチン依存症が少なからずいたのです。それで将軍が禁止しているにもかかわらず陰でこっそりプカプカやっているようなのです。
さてある日のこと土井が湯呑場に立ち寄ると、そこで家来たちがたばこを吸っていた形跡が見つかったのです。
彼は湯呑場の戸を閉めさせおもむろに言いました。「皆が飲んでるそのうまそうな物を私もいただきたい。」そしてキセルの使い方を教えてもらい吸ったことのないたばこを吸ったのです。
土井はせき込みそうになりながら「なかなかうまいものだ。ごちそうになった。」と言って部屋をいったん出るんです。しかし、すぐに再び戻って来て言いました。「今回は私も同罪となったが、今後は場内でのタバコはおやめいただきたい。このことを他の者にも伝えてもらいたい。」
この時を境に城内での喫煙はピタッと止んだと言われています。なぜでしょう。土井は自ら一度タバコを吸うことで、もし、これまでの喫煙が将軍の耳に入ったとき、責任は最高職にある自分が引き受けるように差し向けたのです。
万が一今までの喫煙が明らかになったとき「殿、私も同罪です。もし家来たちを罰するならまず私を罰してください」と執り成す立場に自らを置いたのです。その上でこんりんざい将軍の命令に逆らってはならないということを示すために断固として命じたのです。そして家来たちがそれに感じ入ったのは本当に自分たちのことを親身になって考えている土井の心が伝わってきたからです。
ところで彼が自分の部下たちに憐み深かった以上に、キリストは私たちに対して憐み深い方なのです。

キリストの犠牲以外に罪の解決はない

その証拠は第三に、この方は罪無きご自身を十字架の上で私たちの罪の償いの代価として捧げられたからです。
私は先日、外部比較テストで日本一に選ばれた消火器の性能ムービーを見てびっくりしました。てんぷら油が天井まで燃え盛っているところに箱ごとほうりこむだけで一瞬にして鎮火してしまうからです。どんな火炎も鎮める消火器として注目されています。
ところで罪に対する神の怒りを鎮めることが出来るのは神に忠実な方の命の犠牲以外にはないのです。
あなたのために命を投げ出して死んでくださった方、そして三日目に命を取り戻して復活したキリストをどうぞ信じ、永遠の命をいただいてください。心からお勧めしたいと思います。

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