インターネットでラジオ関西の「聖書と福音」がいつでも聴ける(Web Radio) ウェビオ

Bible & Gospel
■ No.348  2006年11月26日   「聖書に死の完全解決がある」
おはようございます。高原剛一郎です!
 今から10年以上も前、作家の辺見淳さんが「収容所から来た遺書」という本を書かれました。第二次大戦末期、旧満州鉄道で働いていた山本旗夫さんという方の人生の最後を描いた本です。主人公の山本さんは、終戦直後にソ連軍に連行され、シベリヤの強制収容所に送られ、過酷な労働の末に現地でガンにかかって亡くなります。さて辺見さんはある時、読売新聞が主催した「昭和の遺書」という遺書の投稿企画で、選考委員を務めていました。全国から沢山の遺書が続々と集まる中に、特にキラリと光る長文の遺書があったんですね。それが山本旗夫さんのものだったのです。審査員の辺見さんはその内容に感動しつつも、一つ疑問がありました。「一体こんな長い文章の遺書をどうやってソ連から持ち帰ることが出来たのか」ということです。……(つづく)

ジョイフル・ノイズ・シンガーズ:愛する君へ

コリント第1の手紙15:55〜57
 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」死のとげは罪であり、罪の力は律法です。しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。


■ No.347  2006年11月19日   「苦々しさからの解放」
おはようございます。高原剛一郎です!
 7〜8年くらい前から関東の方に毎年年中行事のように、私を招いて下さる集会があります。私はそこへ行くのがとても楽しみなんですね。というのは、そこに私の特に親しいクリスチャンの方がいるんです。実はその方はALSという難病にかかっている方です。その病気は全身の筋肉が萎縮していき、最後は呼吸する筋肉も動かなくなるというんです。原因不明で、現在のところ治療法がありません。もし自分の身にこの病気が来たらと考えるだけで、私は心臓がドキドキしはじめます。ところがこの方はいつも笑顔で、ニコニコしてるんですね。しかも無理にニコニコしているというのではなく、喜びの秘訣のつながっているのでニコニコしているのです。……(つづく)

本田路津子:きよしこの夜

新約聖書 ヨハネ第1の手紙1:8〜9
 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。


■ No.346  2006年11月12日   「死もまた恵み」
おはようございます。高原剛一郎です!
 ある経営コンサルタントが、家族でも、学校でも、企業でも、政府でもダメになっていく条件は共通していると語っていました。それは一体何でしょう。問題があるのに、それに気づかないふりをする。問題を隠蔽する体質が根を張っていると、ダメになっていくというんですね。それを考えるとき、日本の社会の中で、徹底的に隠蔽されているもの、みんなうすうす気がついているけど、正面から見据えないように忘れたふりをしているものが一つあることに気づきます。それは死という現実です。ホテルでも病室でも、飛行機の国内線の座席シートでも、4という字はまず使われませんね。死を連想させるからです。……(つづく)

トモミ:どんなときも

新約聖書 テモテへの手紙 第2 4:6〜8
 私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。あなたは、何とかして、早く私のところに来てください。


■ No.345  2006年11月05日   「自己中心の罪からの解放」
おはようございます。高原剛一郎です!
 ある動物番組でこんなことが紹介されていました。アフリカのある国立公園で草食動物の象が、同じ草食動物のシロサイを襲いはじめたというのです。野生の動物の世界にはちゃんとルールが本能に書き込まれていて、草食動物を攻撃するのは、肉食動物と決まっているんです。しかも肉食動物だって、食べていくためにのみ襲うのであって、満腹のときには襲いません。ゲーム感覚で他の動物を襲うなどということはやらないんですね。ところがその国立公園では、野生の象が意味もなくシロサイを突き殺すんです。……(つづく)

ヨシュア:ファースト・タイム

新約聖書 ローマ人への手紙5:8〜9
 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。


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